2013年9月10日(火)の夕刻、無事に最終訪問地のロサンゼルスから帰国しました。カラッとした所から帰ってくると涼しくなっているとはいえ、蒸し暑い・・・。
翌11日(水)の朝は-16時間の時差と疲労をたっぷりとひきずったままなんでもないような顔をしていつものように職場へ。静かにパソコンの前でたまった仕事を黙々とこなしていきます。
頭クラクラ、目はチカチカ、山のようなメールをみているだけで吐き気がしてきましたが、周りの人たちは月曜日から働いているし、海外に出かけることが日常になっている職場環境なので、11時間あまり飛行機にゆられてフラフラ状態でいることは表に出さないように、心の中では必死でした。
お昼のパスタは、水で流しこむようにしていただき、夜は空港から送ったスーツケースを受け取るためにいつもよりは早目に帰宅。宅配の業者さんに無理をいって夜の9時頃配送してもらい、無事受け取り。一気に洗濯をすませます。
3日間でたまっていた仕事は片づけ終わり、連休初日。また体に無理をさせてしまったなあというのが正直な実感です。
でもこの機会を逃したらたぶん生きている間に行くことはないであろう所をめぐる旅だったので、いろいろな学びもあり貴重な機会だったと思います。
旅日記と写真のアップはまだまだ先になりそうですが、4日目のアメリカ南部ミズーリ州マンスフィールドのローラと夫のアルマンゾが後半生を過ごし最期を迎えた家とお墓を訪れた時がいちばん深く心に残っており、まとまりが悪いですが少し書きたいと思います。
「2013年9月7日(土)
6時30分:起床
8時10分:ホテル出発(私が少しおくれた)
車でローラとアルマンゾが暮らした家に向かう。
およそ3時間。
車窓からは豊かな丘陵地帯が広がっている。
ローラが作品の殆んどを書き最期を迎えた家は、ほとんどがアルマンゾの手作りでこじんまりとしているが使いやすそうであたたかさに満ちた、とても居心地のいい空間だった。(立ち去りがたい。)145センチのローラの高さに合わせた調理台、ダイニングルームの揺り椅子、ローラの書斎の机と椅子、一休みするためのソファもローラのサイズに合わせて小ぶりで使い勝手がよさそうだった。オットマンも足元にちゃんとあった。
客間の暖炉の石はローラが農場から見つけてきたもので、アルマンゾはレンガを考えていたがローラはこれがいいといって譲らなかったそうだ。ジフテリアにかかって足が不自由になったアルマンゾの杖、ラグもアルマンゾの手作りだそうだ。
台所と居間の間は、台所でつくった食べ物をそのまま渡し、食べ終わればまたそのまま食器を受け取れるような造りになっていて機能的。居間のランプも手作り。客間のお客様を迎えるテーブルと椅子も手作り。窓からは目の前に広がる農場の景色が眺められるようにローラはカーテンをかけなかった。
2階にはあがれなかったが、娘のローズのために小さな階段がしつらえてあった。
寝室のローラの三面鏡、アルマンゾの洋服ダンス、ベッド、全て手作り。
姉のメアリが盲学校に行くために乗った汽車の絵が寝室の壁にかけられていて感動。
トイレとバスタブも小ぶりだが備わっていた。
ローラとアルマンゾの木造の家
目の前の広大な農地もローラたちのものだった。
農場内の風景
隣の博物館では、農地を買うための100万ドルをしまっていたペン箱、ローラが護身用にもっていたリボルバー銃など、ゆかりの品々をみた。
博物館も感慨深かった。
父さんと母さんの結婚証明書、幌馬車で移動しながらも大事にもっていたんだ。盲目のメアリの写真と点字の手紙、手作りの品。写真からは聡明さが感じられて感動。
妹のキャリーとグレイスの写真も、それぞれに意志の強そうな顔立ちだった。
父さんと母さんの前向きに生きる力、不屈の精神、自ら人生を切り開いていく力、それらはローラ達姉妹にしっかりと受け継がれ、ローラの娘ローズへとつながっていった。言葉に言い尽くせぬ感動。
ローラとアルマンゾがサウス・ダコタ州のデ・スメットを離れ、マンスフィールドを目指して40日かけて移動した際に乗った馬車(WAGON)の3/4のレプリカも博物館で見た。
自らの人生を自らの手で切り開き、数々の困難を乗り越えていったローラの強さ。アルマンゾを愛し愛されながらも寄りかからず(ローラは結婚式で当時としては珍しく「夫に従う」という言葉は言わなかった)、自らの人生を生き抜いたローラの不屈の精神に触れることができた。素晴らしかった。父さんと母さんのもとで育てられたからこそのローラの人生だったんだと思う。うまく言えないがすごい人だったんだと肌で感じることができた。
ジャーナリストだった娘のローズが当時よく売れた小説によって得た収入でローラとアルマンゾのために買った「石の家」も同じ農地内にあった。電気が通り、近代的な設備で家具も高価。とてもお金をかけられているが居心地の良さは木造の家にはかなわない。二人は8年間暮らしたが、最初の家に戻って最期を迎えたそうだ。納得。
娘ローズが建てた石の家の案内板
二人のお葬式が挙げられた教会は現在はない。建て替えられた教会の外観のみ見学。
最後にローラとアルマンゾ、ローズが眠るお墓にお参り。造花が飾られているところがアメリカらしい。この下で眠っているんだなあと思うと感動がこみあげてくる。二度とくることはないと思うので立去りがたく、手を合わせて墓石をなでてお別れした。
写真は撮れなかった分心に焼きついた、最もローラの生き方に触れることができた一日だった。
たくましく二つの世界大戦も生き抜いて90才で人生を全うしたローラに出会えてよかった。手を合わせながらお礼を言った。
父さんと母さんは特別しっかりとした家庭を築いた人たちだったんだろうと思う。父さん・母さん・メアリがこの世を去り、ローラは晩年にさしかかって人生を振り返った時物語として書き残しておきたくなった、その気持ちに触れることができた。
精一杯生き抜いた人生だったと思う。ローラの子孫は絶えてしまっているが、こうして受け継がれていくんですね。
中学・高校生の頃だったと思うが家に帰ってテレビをつけると、いつもローラをやっていた。台所では母が夕食の仕度。そんな光景も今もおぼろげに思い出す。色んな事が起こり、父も母も今はもうこの世にいない。自分と重ね合わせて考えると涙が出てきてしまった。私も一生懸命生きなくっちゃ。
妹の遺品の中にあった(妹の手作りの)小花模様のスカートをはいた。一緒に旅をして、一日を過ごすことができてよかった。急に思い立ってスーツケースに入れたがよかったと思う。
ミズーリ州セントルイス泊」
長い文章におつき合いくださり、ありがとうございました。
翌11日(水)の朝は-16時間の時差と疲労をたっぷりとひきずったままなんでもないような顔をしていつものように職場へ。静かにパソコンの前でたまった仕事を黙々とこなしていきます。
頭クラクラ、目はチカチカ、山のようなメールをみているだけで吐き気がしてきましたが、周りの人たちは月曜日から働いているし、海外に出かけることが日常になっている職場環境なので、11時間あまり飛行機にゆられてフラフラ状態でいることは表に出さないように、心の中では必死でした。
お昼のパスタは、水で流しこむようにしていただき、夜は空港から送ったスーツケースを受け取るためにいつもよりは早目に帰宅。宅配の業者さんに無理をいって夜の9時頃配送してもらい、無事受け取り。一気に洗濯をすませます。
3日間でたまっていた仕事は片づけ終わり、連休初日。また体に無理をさせてしまったなあというのが正直な実感です。
でもこの機会を逃したらたぶん生きている間に行くことはないであろう所をめぐる旅だったので、いろいろな学びもあり貴重な機会だったと思います。
旅日記と写真のアップはまだまだ先になりそうですが、4日目のアメリカ南部ミズーリ州マンスフィールドのローラと夫のアルマンゾが後半生を過ごし最期を迎えた家とお墓を訪れた時がいちばん深く心に残っており、まとまりが悪いですが少し書きたいと思います。
「2013年9月7日(土)
6時30分:起床
8時10分:ホテル出発(私が少しおくれた)
車でローラとアルマンゾが暮らした家に向かう。
およそ3時間。
車窓からは豊かな丘陵地帯が広がっている。
ローラが作品の殆んどを書き最期を迎えた家は、ほとんどがアルマンゾの手作りでこじんまりとしているが使いやすそうであたたかさに満ちた、とても居心地のいい空間だった。(立ち去りがたい。)145センチのローラの高さに合わせた調理台、ダイニングルームの揺り椅子、ローラの書斎の机と椅子、一休みするためのソファもローラのサイズに合わせて小ぶりで使い勝手がよさそうだった。オットマンも足元にちゃんとあった。
客間の暖炉の石はローラが農場から見つけてきたもので、アルマンゾはレンガを考えていたがローラはこれがいいといって譲らなかったそうだ。ジフテリアにかかって足が不自由になったアルマンゾの杖、ラグもアルマンゾの手作りだそうだ。
台所と居間の間は、台所でつくった食べ物をそのまま渡し、食べ終わればまたそのまま食器を受け取れるような造りになっていて機能的。居間のランプも手作り。客間のお客様を迎えるテーブルと椅子も手作り。窓からは目の前に広がる農場の景色が眺められるようにローラはカーテンをかけなかった。
2階にはあがれなかったが、娘のローズのために小さな階段がしつらえてあった。
寝室のローラの三面鏡、アルマンゾの洋服ダンス、ベッド、全て手作り。
姉のメアリが盲学校に行くために乗った汽車の絵が寝室の壁にかけられていて感動。
トイレとバスタブも小ぶりだが備わっていた。
ローラとアルマンゾの木造の家
目の前の広大な農地もローラたちのものだった。
農場内の風景
隣の博物館では、農地を買うための100万ドルをしまっていたペン箱、ローラが護身用にもっていたリボルバー銃など、ゆかりの品々をみた。
博物館も感慨深かった。
父さんと母さんの結婚証明書、幌馬車で移動しながらも大事にもっていたんだ。盲目のメアリの写真と点字の手紙、手作りの品。写真からは聡明さが感じられて感動。
妹のキャリーとグレイスの写真も、それぞれに意志の強そうな顔立ちだった。
父さんと母さんの前向きに生きる力、不屈の精神、自ら人生を切り開いていく力、それらはローラ達姉妹にしっかりと受け継がれ、ローラの娘ローズへとつながっていった。言葉に言い尽くせぬ感動。
ローラとアルマンゾがサウス・ダコタ州のデ・スメットを離れ、マンスフィールドを目指して40日かけて移動した際に乗った馬車(WAGON)の3/4のレプリカも博物館で見た。
自らの人生を自らの手で切り開き、数々の困難を乗り越えていったローラの強さ。アルマンゾを愛し愛されながらも寄りかからず(ローラは結婚式で当時としては珍しく「夫に従う」という言葉は言わなかった)、自らの人生を生き抜いたローラの不屈の精神に触れることができた。素晴らしかった。父さんと母さんのもとで育てられたからこそのローラの人生だったんだと思う。うまく言えないがすごい人だったんだと肌で感じることができた。
ジャーナリストだった娘のローズが当時よく売れた小説によって得た収入でローラとアルマンゾのために買った「石の家」も同じ農地内にあった。電気が通り、近代的な設備で家具も高価。とてもお金をかけられているが居心地の良さは木造の家にはかなわない。二人は8年間暮らしたが、最初の家に戻って最期を迎えたそうだ。納得。
娘ローズが建てた石の家の案内板
二人のお葬式が挙げられた教会は現在はない。建て替えられた教会の外観のみ見学。
最後にローラとアルマンゾ、ローズが眠るお墓にお参り。造花が飾られているところがアメリカらしい。この下で眠っているんだなあと思うと感動がこみあげてくる。二度とくることはないと思うので立去りがたく、手を合わせて墓石をなでてお別れした。
写真は撮れなかった分心に焼きついた、最もローラの生き方に触れることができた一日だった。
たくましく二つの世界大戦も生き抜いて90才で人生を全うしたローラに出会えてよかった。手を合わせながらお礼を言った。
父さんと母さんは特別しっかりとした家庭を築いた人たちだったんだろうと思う。父さん・母さん・メアリがこの世を去り、ローラは晩年にさしかかって人生を振り返った時物語として書き残しておきたくなった、その気持ちに触れることができた。
精一杯生き抜いた人生だったと思う。ローラの子孫は絶えてしまっているが、こうして受け継がれていくんですね。
中学・高校生の頃だったと思うが家に帰ってテレビをつけると、いつもローラをやっていた。台所では母が夕食の仕度。そんな光景も今もおぼろげに思い出す。色んな事が起こり、父も母も今はもうこの世にいない。自分と重ね合わせて考えると涙が出てきてしまった。私も一生懸命生きなくっちゃ。
妹の遺品の中にあった(妹の手作りの)小花模様のスカートをはいた。一緒に旅をして、一日を過ごすことができてよかった。急に思い立ってスーツケースに入れたがよかったと思う。
ミズーリ州セントルイス泊」
長い文章におつき合いくださり、ありがとうございました。