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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

秋の空に祈りをこめて

2013年09月21日 10時17分02秒 | 祈り
「1994年10月24日(月)

 ずいぶん長い時が過ぎたような気がする。寒くなった。疲れてしまった。いろんなことに・・・。Mちゃんが逝って1カ月。こんなにつらく悲しいことはもういやだと思う。逃げられるものならば逃げ出したいと思う。でも、あの子はもう帰ってこないのだということは向き合わなければならない事実だ。本当に不憫なことをしたと思うと、今も胸がつぶれそうな思いでやりきれない。それでも、少し時間がたったらかようやくこうしてノートに書けるのだ。わたしがどんなに自分を責めたとて、なんの解決にもならない。
いつも思ってあげることしかできないのだ。
いろんなことを思った。
家族ってなに?血のつながりってなに?
理屈ではわりきれない、どうしようもないことっていっぱいある。
理不尽なものだ。強くなれるのが大人か・・・。
生きていくってすごいことだ。上手くいえないがいろんな意味で大変なことだ。
今はまだなにをしていいのかわからない。
たくさん書きたいのだが疲れてしまった。
またね」


20年前の私が必死で自分に向かって語りかけている文章です。
このあともポツポツと日記を書くことで、私は自分の気持ちを整理していました。
捨てるつもりで昨年読み返しました。でも捨てきれなかった。
読み返してみると、なにか記録として残しておかなければならないような気持ちに勝手にかられました。自分のことなのに自分で心が痛くてたまらなくなったり。
その日を境に自分の中でそれまで必死に積み上げてきたつもりのことが音を立てて崩れ落ち、
生きなおしの日々が始まった。
それから20年、こうしてまだぐずぐずとしているのですから何も進んでないといえば進んでいない。ただ生きる時間がそれまでよりも深くなった。いろんなことを教えてもらった。そんなことがなければ出会っていないであろうこととたくさん出会ってきた。
今はただ感謝の気持ちで思い続けたいと思います。
信じられないといえば信じられない。でもほんとなんだ・・・。

これからも日記を載せていくつもりです。こうしてブログに載せていくことでやっと捨てられるかもしれません。

20年前の今日は朝からもっと蒸し暑かった。
ラジオをつければ(テレビは処分してしまったので)お月見だとあっちでもこっちでも一昨日でしたか、騒がしかったですが、この季節の満月とススキの穂をみるたびに毎年とても嫌な気持ちになります。
その一週間ぐらい前に、なぜか通りがかりの商店街で売っていた人形焼きをふと実家に送ってみようという気持ちになり、買って送りました。人形焼きを見るたびに今もいやな気持ちになってしまう私がいます。

アルバイトから帰って、夜弟から電話があって、それからのひとつひとつを今も鮮明におぼえています。泣いて泣いてこんなに涙がでるものかと思うぐらいただただ泣いて、でもお腹はすくし、眠くもなるしそんな自分に腹が立ってしまったり、自分が生きているんだと実感させられたり、その日のことは私がこの世とお別れする日まで忘れることはできないだろうと思います。
背負いながらも自分の感性を信じて、私自身の人生を一生懸命生きていこうと思います。

現実には毎日忙しく働くだけで、なんだか世の中の仕組みはへんてこだなあ、なにか根本的にちがっているなあ、自分にはあわないシステムだなあと思いながらも、これからどこに向かって進んでいけばいいのか相変わらずわからない。母のこともあって必死でカウンセリングスクールに通い、ソーシャルワーカーの国家試験にも合格しました。だからといってなんでもない。生活があるのでなかなかきびしいかな。でも自分に与えられた役割をさがし続ける気持ちを失わないようにしたいと思います。

おもたい話におつきあいいただき、ありがとうございました。