たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

祈り

2013年11月09日 12時06分09秒 | 祈り
『レ・ミゼレブル』のエピローグのことを書く前に、20年前の私自身のことをまた書こうと思います。
おもいです。自分が書いたものですが、自分で読み返して心が痛いです。
一生懸命に書いています。(今の私も、20年前の私も一生懸命・・・)

よろしかったら読んでやってください。

「1994年11月6日(月)

外は木枯らし、暑かった夏がようやく本当に終わりを告げている。
昨夜も夢の中でもがき、何度も目がさめた。
熟睡できない毎日が続いている。
布団に入る時刻になると、いろんなことが頭の中をかけめぐり、眠れなくなってしまう。
ただ眠っているだけのようなあの子の顔が今も脳裏に焼きついてはなれない。電話の声が耳に残っている。一連の時間は、今もなお生々しく、同時に蜃気楼のようでもある。信じられないのだ、Mちゃんがお星さまになってしまったなんでー
今もなおやりきれなくて、胸のはりさけるような思いは続いている。
なんと深い傷を背負ってしまったことだろう。この傷と一生つきあっていくことしか、わたしがあの子にしてあげられることはない。
つらいことだが、死によって、あの子はなんと多くのことをわたしに教えてくれたことだろう。人間の愚かさ、弱さ、ちっぽけなこと、でも同時に人は強いものであるはずだ。私の中にある、このつらい事実と向き合い乗り越えていける強さを見つけ出したい。
自分を責めることに疲れた。
自分を縛りつけているものから、解き放たれたい、楽になりたい、穏やかに、安らかに、あの子を思い続けていたい。
Aさんがいう「逃げている」というのは、もしかしたら、自分自身から逃げているということか?まだわからない。
わたしはなにからにげているのだろう。
こんなつらいことまでも必要だったのか。
Mちゃんがわたしの罪の部分を、愚かさを背負ってくれてしまったように、思えてならないのだ。あの子はわたしの中で神さまになってしまった。
聖書を読み始めた。教会にも行った。
あの子の死の知らせをきいた時からずっとそうしたいと思っていたのだ。
目前の小さなことではなく、悠久の時の流れのうねりの中での、なにか不偏的な存在ー
全知全能の神は存在するだろうか。
もし存在するなら、こんなに素晴らしいものは他にない。
わたしは全てを委ねたい。全てを委ねて楽になって、ただ、なすがままに、あるがままに、
Let it be-進んでいきたい。示してくださる道に従って、逃げるのではなく、より良き人生のために・・・、なにかまだよくわからないが、わたしの中で少しずつなにかが解けていく、つらいこと、心の傷み、そして、それらを乗り越えようとするエネルギーの放つ素晴らしさ、いろんなことが今、やっとわかりかけてきたような気がする。
Mちゃんの30年の人生の意味、わたしになにを教えてくれたのか、考えていきたい、
安らかに祈りながら、
わたしが生きている間に、いつか、Mちゃんのことをお話に、物語にしたい。
今年はこのまま終わってしまうのだろうか。
毎日の生活は変わらない。
けど、もうつらいことはおしまい。きっと幸せがくる、と気持ちだけでも前を向いていたい、なんで取り返しのつかない、ばかなことをしてしまったんだと、あの子を責めるのはよそう、
つらいだけだから、
けど、つらい時は、つらいまんまの方がきっと楽だよね。
わたし、まだ、きっと涙を流したいのかもしれない」


藁にすがる思いでカウンセラーの先生とお会いしたのはこの頃だったと思います。
この数年後に「楽になる」ということの意味をあらためて考えることにはなるのですが、初回の面接で、泣いて泣いてただひたすらとめどなく涙を流し続けながら話す私の生きる力をY先生が信じてくれたことがわたしを救ってくれました。もちろんそう気づいてのはずっと後のことで、その時のわたしはとにかくわけがわからずもがきにもがいていました。なにをどう考えたらいいのかわかりませんでした。Y先生にお会いして、人に話せず自分の中に必死に閉じ込めていたものをここで話していいんだという安心感をあったように思います。

11月4日の乳幼児精神保健学会のセミナーで、精神病理を背負いながらも一生懸命に生きようとしている子供と両親、それぞれが良きセラピストとの出会いによって、魂の触れ合いによって、その人自身のもつ生きる力が引き出されていく、自分の感情を外に向かって表現できるようになっていく、そんな事例を聴きながら、自分自身のプロセスをあらためて思い出していました。

どんな人と出会うかによって人生は変わっていく。Y先生との出会いがなかったら、今どんな自分がいるのか、想像することができません。よくぞ受けとめてくださったと感謝しています。

『レ・ミゼラブル』の舞台から受け取るメッセージは、命はつながっていくんだということ、そして明日への希望の光。そんなことを次は書ければと思っています。

「どんな闇夜もやがて朝が来る」
バルジャン旅立ちの後、アカペラコーラスから始まる「民衆の歌」の一節です。
この訳詞をされた岩谷時子さんが先日旅立たれました。合掌。