今だからこそ失わないでほしい(「人生手帳」1972年12月号文理書院)
「-戦争で奪われた青春-
私は女ばかりの姉妹だったので、みうちが戦死するというような、一番大きな不幸はなかったのですが、食べものがないとか、家が焼かれるとかいう、当時にとっては人並みの苦労はありました。
私は小さいときから絵が好きだったので、たとえその専門家になれないとしても、一生絵を描いていたいと思っていました。けれど、そんな夢はかなえられない時代でした。なにしろフォスターの歌なんかうたおうものなら、敵国の歌だと非難されるんですから。戦争というのは、家が焼かれるとか、人が殺されるとかいうことだけじゃなくて、人の心もむしばんでしまうのです。とりわけ文化的な欲求をもっている人たちにとっては、どう生きていいのかわからない恐ろしい世の中です。だから、いつも、なんで戦争なんかあるんだろう? どうしてこの戦争が聖戦なんていわれるんだろう?と思いながら、希望もなく厭世的に生きていました。
戦争が終わって、はじめてなぜ戦争がおきるのかということが学べました。そして、その戦争に反対して牢に入れられた人たちのいたことを知りました。殺された人のいることも知りました。大きい感動をうけました。そして、その方々の人間にたいする深い愛と、真理を求める心が、命をかけてまでこの戦争に反対させたのだと思いました。
いま、ベトナムにアメリカが爆弾の雨をふらしていますけれど、戦争を知っている私は、その恐ろしさにゾッとします。そこで殺され、傷つけられる人たちに20何年前の私たちの姿を見ます。人ごとではないのです。この非人間的なことをやっているアメリカに怒りもなにも感じないとしたら、それはどういうことになるでしょう。やさしい心の人たちは、みんな怒っています。そして、その爆撃をやめさせようと、何らかの形でベトナムに手をさしのべています。愛情と怒りは、まさに表裏一体なのです。」
「-失われている人間らしさ-
人間が活き活きと暮らせるというのは、明るい平和ないい世の中でなくてはむつかしいことです。その人間を生きにくくしている公害や戦争や物価が上がるのは、みんな人間がやっていること、つまり、政治がそうしているのです。
私は絵描きだから、絵だけ描いて暮らせたらいいと思うんですけれど、そううまくはいかないのがいまの世の中です。好きな絵を安心して描くためにも、ゼンソクになっちゃあだめだし、物価が高くて、生活がおびやかされるんじゃあどうしようもありません。まして、戦争にでもなったら最後です。そういうわけで、誰でもがちゃんと政治のことを考えて、みんながしあわせに生きられるように、しっかりしていなければならないんだと思います。
私は子どもはまず健康で、すこやかであってほしい。それからそれぞれの子どもが個性的な、いろいろな能力をいっぱいにのばしてほしいと思います。けれどそういうふうに育てようと思っても、この世はちっともうまくいってはおりません。
子どもが生まれると、すぐ親は延々とつづく学校教育のために、せっせとお金をためなくてはならないし、親が必死になって入れた学校というのは、受験のための教育に終始しているのです。なにしろ、子どもは友だちより一点でも半点でもよけいに点をとらなければ、上の学校には入れてもらえないのです。いい上級学校を卒業しなければ、人よりえらくなって、より豊かな暮らしはできないしくみにくみこまれた子どもたちは、ただ馬車馬のようにはげまなくてはなりません。こういう学校教育のなかで、矛盾を感じないでスイスイと人間不在の勉強をし、上に上にとあがっていった人たちがやっているのが、いまの日本の政治じゃないんでしょうか。その政治家たちは、もう一段いまの教育を改悪しようとしています。子どもたちが若すぎて、どんな能力があるかわからないうちに、できる子とできない子をわけてしまおうというのです。できないようにみえる子をそのままきりすてて、勉強から遠ざけてしまうんだそうです。偉くなる人はたくさんはいらないというのです。これが中教審教育の中身だとのこと。ちょっと目にボーっとしている子が、まったく能力がないといえるでしょうか。家が貧乏で、勉強どころでない子を、馬鹿といえるでしょうか。子どもというのは、あらゆる可能性をもっている大切な人間の宝です。だから、私たちは、この教育面でも、政治のことを考えなければならないのです。」