たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」(3)

2023年07月13日 15時30分05秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」(2)

しかし、『シャロットの姫』を最初からよく読んでみると、この表現は、くりかえし出ていた。第一部の5行め、同じく第一部の32行め、第四部の149行めにもある。よって、正確に書くと、『シャロットの姫』に「塔がそびえる都キャメロット」という表現は、5回ある。

キャメロットといえば、「塔がそびえる」という、塔の林立する華やかな都を思わせる形容詞が決まりのようについていて、アンはそれを使ったのだ。

では、『シャロットの姫』とは何であろうか。これも文学辞典に出ていた。テニスン初期の作品で、1832年に発表された(1842年に改編)。シャロットの姫もまた、アーサー王の騎士ランスロットに恋いこがれ、舟で流れていく娘だ。それが後に書かれた『国王牧歌』のエレーンに発展していく。逆に言うと、エレーンの原型となった女性である。

面白いことに、カナダで撮影され1989年に製作されたミーガン・フォローズ主演の映画『赤毛のアン』では、原作本にある『ランスロットとエレーン』は登場しない。その代わりに、『シャロットの姫』をアンが朗読する場面が、二か所、出てくる。

まず映画の冒頭で、幼いアンは、テニスンの『シャロットの姫』を朗読している。森の中を歩きながら、半ば陶酔しつつ音読するシーンが、2-3分も続く。映画の字幕をご覧いただこう。

 

乙女は昼も夜も機を織る

色あざやかな魔法の布を

人々はこう囁く

キャメロットの呪いが彼女にと

呪いを知らぬ乙女は機を織り続ける

心に別の思いを抱き

シャーロットの乙女よ

 

(字幕/細川直子訳、映画『赤毛のアン』)

 

ここまで朗読したとき、アンは養家のハモンドの奥さんに呼びつけられ、仕事が遅れた罰として、テニスンの詩集を火にくべられてしまう。アンが読んでいた一節を『シャロットの姫』で探すと、本当に第二部にあった。こういう探し物は、本当にワクワクドキドキする。

もう一か所は、この第二十八章を映像化したシーンだ。

エレーンに扮して小舟で流れていく場面で、アンは「ザ・レディ・オブ・シャロット」とつぶやく。映画の製作者は、テニスンの詩と『アン』の重ね合わせの面白さを、よくわかっているのだ。そういえば私は、アンを演じたミーガン・フォローズが、エレーン姫になって乗った小舟の現物を見たことがある。カナダはオンタリオ州の避暑地バラにあるバラ博物館で、撮影に使われたボートが庭においてあったのだ。日本では、松竹がビデオ販売しているので、ご覧いただきたい。モンゴメリの意図した引用がよりわかりやすいだろう。

 

(略)

 

『アン』を訳していて、アーサー王が出てきたのは思いがけないことだったが、しかし1989年の春に、一人のブルトン人の女性に出会ったときから、私がアーサー王に関わりを持つように、見えない道は開かれていたのかもしれない。

パリで、ドミニク・パルメさんという女性のお世話になった。彼女は日本の純文学の小説をフランス語に訳す翻訳家だが、私のテレビ取材の通訳をしてもらったのだ。口数の少ない人だったが、それでも仕事の合間に、いくらか雑談をした。彼女が日本の大学に留学していた話、彼女の故郷ブルターニュのこと・・・。

そのとき、彼女は言ったのだ。ブルターニュはフランスでも特別な土地だ。ブリタニアであり、ブルトン人の土地、ヨーロッパの原型だと。

(略)

パルメさんとは、それきり会うこともなく二年がすぎ、私はまた渡仏した。JALの機内誌に紀行文を書くためにシャンパーニュ地方へむかったのだ。しかしどう考えても不可解な事情で、シャンパーニュへ行くことはできなくなり、フランス国内の他の土地へむかうことになった。

さて、どこへ行こうか。ノルマンディーもロワールもニースも、魅力的だが、紀行文を書く身からすれば、ありきたりだ。美食の土地ブルゴーニュにも心が動いたが、グルメブームの頃、盛んに紹介された場所だ。もっと個性的な土地を訪ねたい。そう思案していたとき、ふと、パルメさんの言葉が浮かんだ。

ブルゴーニュはフランスで特別な土地だ・・・。そう言った後、何か言いかけて口をつぐんだ彼女の顔も思い出した。

そうだ、ブルトン人の土地、ブルターニュへ行こう、彼女が言わなかった何かを、知りたい。まるで最初からシャンパーニュではなくブルターニュにむかうように仕組まれていたようなめぐり合わせだった・なぜなら、パリでは、ブルターニュ行きの列車が出るモンパルナス駅近くのホテルに泊まっていて、私はブルターニュの名物料理を食べていたのである。

ブルターニュに着いてみると、どう見てもフランス語とは異なる文字、つまりケルト語系の標識が目についた。歩いている人々も、ケルト系というかブルトン系独特の顔立ちだった。パルメさんの風貌は、まさにブルトンの血を引いたブルターニュ人のものだったと思い当たった。

ブルターニュから一度も出たことがないというタクシー運転手の案内で、さまざまな街や村、遺跡を、数日かけて旅した。年老いた彼もまた、ブルトンの顔をしていた。

古代ケルトの遺跡、妖精と霧の土地、濃い色の海、キリスト磔刑(たっけい)の像、イル・ド・フランスの教会とは明らかに異なる土俗的な教会、そしてアーサー王伝説にちなむ土地の伝承・・・。どこへ行っても、日本人の観光客には一人も出会わなかった。

先史時代の巨石遺跡も訪ねた。紀元前500年とも、紀元前5000年とも言われる太古に作られた巨大な石墓(ドルメン)や縦列石柱を訪ねた時、不思議な経験をした。

道路から外れた山の中に、普通の人が知らないような巨大な石塔遺跡があるという。それを探しに、山に入った。もちろん道はない。黄色い花をつけたハリエニシダ。その他には、何も見えない。どこまで歩いても、頭上まで伸びているハリエニシダの茂みの中だ。香水の原料になるこの花からは、むせかえるような強烈に甘い匂いが漂って、息がつまりそうになる。聞こえるのは、やむことなく囀(さえず)りつづける鳥の声だけ。見えるのは、頭上まで伸びるハリエニシダと青空だけ。かき分けて歩くうちに、次第に、方向感覚が失われてきた。なんだか、意識まで遠くなりそうだ。どこまで歩いても、黄色い花をつけた茂みの中。巨石らしきものも見えない。けれど、吸い込まれるように足がどんどん進んで行く。下り道だったのか、足が前に進んで止まらない。危ない、これは帰れなくなる。そう直感して、後戻りした。帰りもまた、どこまでもハリエニシダの花の高い茂みの中。顔にぶつかる花をかきわけて歩く。夢を見ているようだった。妖精の国、伝説の国という言葉が、浮かんだ。

アーサー王を育てた妖精メルラン(英語ではマーリン)が住んでいた湖は、ブルターニュにあったと言われている。魔術を使う妖精は本当にいたかもしれないと、少し恐ろしくなったのは、無事に山を出た後だ。

ワーグナーが、オペラ『トリスタンとイゾルデ』に仕立てた悲劇のトリスタンも、もともとはブルターニュの伝説の英雄である。彼は、いつのまにかイギリスのアーサー王伝説に組み込まれ、王の19番目の騎士となったの。

ブルターニュといえば、ヨーロッパの最果て、古代ケルト、荒れた海、霧と沼、伝説と妖精、中世の城壁の街という言葉で飾られる。陳腐な形容だと思っていたが、行ってみると、本当に病みつきになる不思議な魅力があった。

ブルターニュを離れるとき、何日も行動を共にした運転手に、私は別れの挨拶をした。

「もう二度とブルターニュには来ないだろうけれど、すばらしい所だった」

するとブルトン人の彼は、私の手を強く握りながら、言ったのだ

「そんなことを言うな。おまえは、きっとまたブルトン人の土地に戻って来る」

その予言は、本当になった。私は、アーサー王とエレーンにゆかりの土地に、何度も行くことになったのだ。

数年たった94年、私は、悲劇のスコットランド女王メアリ・スチュアートが住んでいた城を、エジンバラにたずねた。ホリールード宮殿だ。『アン』には、メアリ女王の生涯を描いた詩を朗読する記述があり、興味があったのだ。すると宮殿の裏山が、なんと「アーサー王の玉座」という名前だった。アーサー王は、ブリテン島の南部にいたとされるので、北のエジンバラまでは行っていないはずだが、ケルト系のスコットランド人は、アーサー王にゆかりがある土地だと信じて、王の名を冠しているのだ。

さらに数年後には、アーサー王の円卓があるイギリスの古都ウィンチェスターへ、一人で行った。円卓といっても、アーサー王が生きていた5世紀のものではなく、13世紀に作られたものだ。

ウィンチェスターは不思議な街だった。15世紀に『アーサー王の死』を書いたマロリーは、王の城があった都キャメロットは、ウィンチェスターだと書いている。

またこの街には、1382年創設、英国最古のパブリック・スクールといわれるウィンチェスター大学があるが、その蔵書に、アーサー王伝説の手書きの写本が発見されたのだ。それには、マロリーの原本と思われてきた印刷物『アーサー王の死』とは異なる文章があり、この写本のほうが、原本により近いらしいのだ。都キャメロットはどこにあったのか、邪馬台国論争と同じで、ほかにも候補地はある。いずれ、すべてたずねたいと思っているが、写本の発見には感動した。

なぜなら、アーサー王が実在したにしろ、しなかったにしろ、彼は大昔の人物だ。日本では、古墳時代に相当する。そんな太古の王の物語を、1500年間もの間、ヨーロッパの人々が語り継いできたことに感銘するからだ。印刷のない時代、人々は長い物語を手で書き写して写本にした。そして王は1500年もの間、人の心の中で生き続けてきたのだ。私は王の話そのものよりもむしろ、伝承が続いてきた歴史に感動するのだ。

その旅では、『不思議の国のアリス』を調べるために、オックスフォードへも足をのばした。『アン』には『アリス』も登場するからだ。作者のルイス・キャロルが少女アリスと出会い、金色の時間をすごしたオックスフォードへ、その翌日は、キャロルが亡くなったイギリス南部のギルフォードという小さな町へ行った。

エレーン姫が住んでいたアストラットの百合の乙女は、ギルフォードとする説が有力だった。

そこでギルフォードでは、キャロル関係の小さな博物館へ行ったとき、学芸員の人たちにアーサー王伝説のエレーン姫について質問した。エレーンが都まで流れていくような川が、この町にあるでしょうかと。

するとギルフォードには、ウェイ川という川があり、都ロンドンまで流れているというのだ。エレーンが流れた川である可能性があると教えてもらい、私はタクシーでウェイ川まで行ってみた。

川につくと、私は水辺に生えていた柳の葉をちぎって川にうかべた。それは、きらきらと木漏れ日に光る水面を漂うように、ゆっくりと流れていった。私は川辺にたたずみ、ゆるやかな葉の流れに、美しい姫が、実らなかった恋の悲しみを抱いて漂っていく姿を重ね合わせてみた。まさにアンのように、ロマンチックな想像にひたったのである。」

 

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』97~106頁より)

 

 

 

 


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