たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『フランケンシュタイン』思い出し日記

2017年06月11日 14時30分38秒 | ミュージカル・舞台・映画
1月24日(火)13時開演『フランケンシュタイン』の観劇思い出し日記をようやく少し。

STORY(公式プログラムより)

「19世紀初頭、科学者ビクター・フランケンシュタイン(中川晃教/柿澤勇人)は執事のルンゲ(鈴木壮麻)を伴い、軍の指揮の元、戦死した死体を蘇らせる兵士再生の研究を行っていた。ビクターは、敵兵の治療の行ったかどで銃殺されそうになっていた軍医のアンリ・デュプレ(加藤和樹/小西遼生)を助ける。ビクターの研究は神の摂理に触れる行為だと反発するアンリだったが、人間が安らかに暮らせる理想の世界を自らの手で実現したいというビクターの情熱に心打たれ、研究を手伝うことを決意。二人は固い友情で結ばれる。

 戦争が終結し、ビクターの叔父でジュネーヴ市長ステファン(相島一之)の屋敷では、終戦記念の舞踏会が開かれていた。久しぶりに故郷へ戻ってきたビクターを、姉のエレン(濱田めぐみ)やステファンの娘ジュリア(音月桂)たちが迎えるが、ビクターの態度はそっけない。研究を助けるため共にジュネーヴにやって来たアンリは、ビクターの周囲への忌むような視線に違和感を覚える。それには20年前のある時間が関係していた・・・。

 ビクターは医師であった亡き父の城で研究を続けるが、研究に絡んだ殺人事件に巻き込まれる。アンリはビクターの身代わりとなり逮捕され、ギロチンにかけられ命を落としてしまう。ビクターはアンリを生き返らせようと首を持ち帰り、自らの研究の成果を注ぎ込む。しかし誕生したのは、アンリの記憶を失った”怪物”だった・・・。怪物はルンゲを惨殺し、逃亡する。


 3年後、ビクターとジュリアは結婚する。幸せな時を過ごす二人の元へ、ステファンが行方不明になったとの不穏な知らせが入る。そして、ビクターの目の前に”怪物”(加藤和樹/小西遼生)が姿を現す。怪物は、自分の創造主ビクターに、地獄のような体験を語り始める。

 それは、闇の闘技場の主人ジャック(中川晃教/柿澤勇人)と女主人エヴァ(濱田めぐみ)、下女のカトリーヌ(音月桂)とジャックの手下イゴール(鈴木壮麻)、闘技場の乗っ取りを企む金貸しフェルナンド(相島一之)らが繰り広げる、おぞましい人間たちの姿だった・・・・。」


 ビクター・フランケンシュタイン/ジャック:中川晃教
 
 アンリ・デュプレ/怪物:加藤和樹

 ジュリア/カトリーヌ:音月桂

 ルンゲ/イゴール:鈴木壮麻

 ステファン/フェルナンド:相島一之

 エレン/エヴァ:濱田めぐみ

 リトル・ビクター:難波拓臣

 リトル・ジュリア:齋藤さくら


 脚本/歌詞:ワン・ヨンボムの韓国発ミュージカル。欧米発の作品とは違う独特な湿り感といい意味での暗さ。一幕が終わり休憩時間になったとき、どっと重い感じがして逃げ出したいような気持ちにかられました。なにか人間が生きることを、人間の醜いところを根源から揺さぶっているように感じました。こういう作品を生み出す土壌がある韓国という国。すごいなと思いました。

 一幕と3年後に舞台が移る二幕ではメインキャストのみなさんが演じる役柄ががらっと変わったのですが、みなさん二幕の役柄の方がお似合いかなと感じました。とりわけ、加藤和樹さんの怪物ぶりが壮絶でした。足先をほんとに逆に曲げていて、檻の中で手錠をはめられたまま水を飲む姿や闘技場で後藤普彦さん演じる屈強な男と対決させられいたぶられる場面など、役になり切りすぎていてこわいぐらいで切なくなりました。一幕の、ビクターの身代わりとなってギロチンにかかる潔く美しい姿からの変わりようがすごいなと思いました。濱田めぐみさんの強欲な闘技場の女主人が鞭を振るい高笑いする姿、音月桂さんの下女カトリーヌの下品さとしたたかさは男役モード全開でかっこよくて迫力がありました。中川晃教さんを舞台で拝見するのははじめてでしたが、歌も芝居もなんというか、上手いというだけではない客席をつかんではなさない空気を醸し出していました。子役の二人がすごく上手でこれまたびっくりの感動。

 フランケンシュタインが自ら生み出した怪物と対峙する場面のことなどもう少し書きたいですが、今日は時間切れとなってきました。いづれの日にかまた書ければと思います。

 














また思い出とお別れ

2017年06月10日 18時20分25秒 | 日記
 あと二日でまた始まりますが、生活リズムの立て直しはできておらず、また朝早くに出勤できるのかと不安でなりません。といっても夜更かし生活をして極端にリズムを崩しているわけではありませんけどね。なんとか1時前に就寝するようにしています。就寝を30分前倒しにして、朝は自ずと目が覚めるまで眠っているのを、アラームで起きればいいだけのこと。出勤日に7時間睡眠はありえないのでまた仕事が始まれば睡眠不足にならざるを得ません。そうして一週間を乗り切って、休日はあっという間に終わるという連続。そんな普通がいちばんかけがえがないです。なんかねもう、引きこもりのおっさんの向かいで暮らすのって限界ですわ。ひょえー、どこにも出かける様子なく、ずーと部屋にいるの、ひょえー~、どんな人が澄んでいるかわからないので集合住宅はこわいなと思います。もともとは大きな分譲マンションの、ほとんどがたぶん賃貸物件、古いので人が入れ替わるたびに改装を繰り返しているみたいでハリボテ、どこかの部屋では騒音問題かなあ、民事訴訟を起こしているみたいで、ひょえーって感じです。管理組合もなかなかのくせ者、いろいろと利権がらみがあるんだろうなあ。なんにも知らないまま数千万の分譲マンションを買ってしまい、実はお隣がとんでもなかったとかいうときはどうするんでしょうかね、みてくれよくてもやっぱり隣の音は聞こえてくるそうな。引きこもりのおっさんが隣でないだけまだよかったと思うことにしましょう。

 さてさて、前置きが長くなり過ぎました。ようやくまたふたつ思い出の品とお別れすることにしました。ひとつは2001年から2002年にかけて旅した真冬のモントリオールで購入した黒のコート。春と秋に大活躍してくれました。わたし小柄でなで肩、肩幅もせまいですが、こんなわたしにちょうどぴったりのサイズでした。欧米の方は背が高くて、肩はこんなに細いのかと購入した時思いました。ぴったりなのが嬉しくて、早く春になって着たいなあって心弾ませました。気がつけば16年が過ぎています。カナダの物はつくりはよくないです。ナイロンの革製品、さすがに裂け目があちこちにできてしまいました。直しに出すことも考えましたが、そこまでお金をかけるほどのものでもないので思い出と共に思い切ってお別れすることにしました。クソ会社への通勤にどれほど袖をとおしたことか。

 もうひとつはショルダーバッグ。TOPKAPIのとってもいいもの。A4サイズが入るし、あれやこれやと荷物がたくさん入るのに軽くて丈夫。10年ぐらい使ったかなあ。衝動買いしてほとんど使わないままお別れしたバッグがいくつかありますがこれはほんとによく使いました。クソ会社への通勤にずっと使っていたし、プリンス・エドワード島への旅にも一緒に行きました。3年前使い捨てにされてから放浪する毎日にも使っていました。これまたクソ会社での心の血を流すような日々の汗と涙と苦労がしみついています。よくできていて、丈夫ですがさすがにこれ以上使わないだろうなあというぐらい傷んできたので、次なる役割へと歩みだそうとしている今、思い出と共に思い切ってお別れすることにしました。クソ会社でいつもボールペンを持って歩いていたので、ボールペンの汚れも何か所がついています。ほんとによく使いました。

 どちらも写真を撮り、惜しみつつもお礼を言ってお別れ。また少し心の荷物が軽くなるような気がします。明日は日曜日、明後日は健康診断、火曜日から始動。なんとか照準を合わせていかねば。明日はまた宝塚のライヴビューイングで引き抜きします。

 長々と徒然日記でした。

旅の思い出写真_ルーヴル美術館

2017年06月09日 18時43分05秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 2007年10月26日(金)、日本人向けのルーヴル美術館の鑑賞ツアーに参加しました。

「12世紀の終わりごろ、パリはセーヌ河をはさんで南北に広がり、ヨーロッパでも有数の都市に発展していました。時の王、フィリップ二世は十字軍遠征で首都を離れるにあたり、この街を全長5キロの堅牢な市壁で囲うように命じます。しかし東西に流れるセーヌ河が中心部を貫通しているかぎり、街全体をぐるりと壁で囲いこむことはできない。そこで1190年頃、外敵の侵入にそなえ、セーヌ河の出入りを監視するための城壁が築かれました。これがルーヴルのはじまり。」

(『一日で鑑賞するルーヴル美術館』、新潮社発行より)。


 迷宮。とにかく広いし、天井が高い。出口がいくつもあるし、同じような雰囲気の部屋が続いているのでツアーが終わって一人になると、出口がわからなくなってしまいそうでおそろしかったです。ちゃんとホテルまで帰れるのかな、緊張。フランス語の「出口」と「お手洗い」の単語は、指差し単語帳で覚えていきました。出発前、ガイドブックを読んでここのカフェに行こうなんて考えていましたが、広くて広くてとても無理。とにかく自分が今どこにいるのかわからなくなってしまわないようにするだけで必死の冷や汗ものでした。

 美術を鑑賞するには、一日ひと部屋かふた部屋まで。そのペースでルーヴル美術館の全作品を鑑賞しようとすると何年もかかる、これだけの作品があると、駄作もあるというガイドさんの説明でした。何年だったかな。ちょっと忘れてしまいました。天井が高くて広いので、混みあっていても真ん中に置かれているソファに坐って絵と対話しながら鑑賞できる余裕あり。ルーヴルではじて、ゆっくり絵と向き合い対話するという経験をしました。この時以来わたし美術館を時々訪れるようになりました。
 
 鑑賞ツアーで出会ったのは、3階フランス絵画、2階絵画部、1階彫刻部のほんの一部。ドラクロワの『自由の女神』(『レ・ミゼラブル』でガブローシュのモデルとなったとされる少年が描かれています)、ラファエロの『聖母子像』、『ナポレオン一世の戴冠式』。サモトラケのニケ、ミロのヴィーナスにも出会いました。女性の日本人ガイドさんの説明する姿があつかったです。もちろん何もみることなく、全部頭にはいっているんですね、素敵でした。

 『モナ・リザの部屋』はさすがの人込みでした。(この部屋、日テレがお金だしているんですね。)モナ・リザを囲む半円形の手すりは人、人、人。その間をぬって小さいわたしは手すりを周りを端から端へと何度もゆっくりと往復しました。照明がいいんでしょうね、不思議ですが角度によってモナ・リザの表情が違うように感じられたんです。いい絵は鑑賞するその時々の心情によっても違ってみえてくるとか。なにか今もダ・ヴィンチがそこに息づいているような、ほんとにモナ・リザが微笑みかけてきてくれているような、モナ・リザと、ダ・ヴィンチと対話しているような不思議な感覚でした。なんとなく想像していたよりも小さい絵でしたが、ものすごいエネルギーを放っている感じがあって心が揺さぶられました。わたしの稚拙な言葉ではうまく言い表せませんが、感動のひとときでした。傷んできているので、もう海外に貸し出されることはないとのこと。日本からはるばる飛行機に乗ってここまでこないと出会うことができないというのも希少価値を高めますね。

 モナ・リザと対話するひとときを過ごしたあと、振り返れば『カナの婚礼』という壮大な絵が。作品ひとつひとつ突き詰めていこうとするときりがありません。やっとここまで書けました。 

チケット。



パンフレットは、フランス語・英語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・中国語・日本語の7か国語が用意されていたかな。日本語版があるのを当たり前みたいに思うのこわいなって思いました。翌年だったかもしれませんが仲間とはぐれてしまったらしき韓国人女性に声かけられました。なにもできませんでした。韓国語版のパンフレットはありません。



















買い物袋、B5サイズのノートを購入しました。





金曜日、夕暮れ

2017年06月09日 16時53分59秒 | 日記
 

 金曜日、夕暮れ。こうしてSafaceを立ち上げているカフェの窓の外では街路樹の緑が輝いています。梅雨に入ったのに雨が降りそうで降らない蒸し暑い一日となりました。お昼には部屋を逃げ出してランチをいただいたあと、一番陽射しがつよい時間帯に駅からの遠い道のりを歩いて手当てを受け取るための手続きをしてきました。来週から稼働を開始することも正直ベースできちんと申告。収入が安定しないのはなかなかにきついですが、今はやれることをやっていくしかありません。先のことは考えない、考えない。舞台のチケットだけは、秋の舞台を今から手配しておかないと入手できない可能性があるので早々に頼んだりしています。全く予定が立たない秋のことを、キャストスケジュールで決めなければならないのはなかなかに大変です。先のことはわかりませんが、一応土日にしています。来週の火曜日には6時過ぎに起きて7時25分には部屋を出なければならないのに、そんな態勢が整えられておらず、わたし大丈夫でしょうか。ほんの一か月半前までの生活リズムが戻せるでしょうか。大丈夫なはずですが不安です。明るいうちは部屋に帰りたくなくて放浪しているので、どんどん陽が長くなってきている今、帰り着く時間はどうしても遅くなってしまいます。帰りたいけど帰りたくないしね。また朝が早くなれば、早くからバタバタする音は聞こえてしまうだろうし、いやまいった、壁うすうすの前のマンションと違ってプライバシーが守られると思って入ったマンションなのに、お向かいに学生でもないので部屋にずっといる人がいて大声で噂されるとは。はー、朝も昼も夜も部屋にいるあんたこそなにもんなんだ、働きにいかないのかって感じですが、暇だから人のことが気になるんでしょうが、って感じですが、まあ病んでるんでしょうね。ああ落ち着かない。トラブルになるとこわいのでストレスかけないように気をつけて我慢するしかないです。生活の場で、知らないおっさんの唸り声が始終聞こえてくるのってきついですけどね。おかしくなりそう。断捨離ができなくなりますが、働いていた方が気持ちが楽ね座椅子をようやく昨日粗大ゴミに出したら、ちょっと心の荷物が軽くなった感じ。まだまだ苦労が沁み込んでいるあれやこれやがあるので、少しずつ、少しずつ。十数年前、二人分労働しながら、夜間のカウンセリングスクールに通いました。土日に疲れ果てた体に鞭を打って、それでも心を病むということがどういうことなのか理解したくって、単発講座に出席したこともなんどかあります。その時学んだことの断片がなんとなく今生きてきているのかなあと感じています。どこまでやれるのか、こんなんで蒸し暑い夏を乗り切っていけるのか不安ですが、一日、一日でやっていこう。

 最近出来上がったお総菜やお弁当ばかり食べているので間違いなく塩分の取りすぎ。昨日スパに長居してかなり汗をかいたので余計な塩分といやなものが流れたはず。大丈夫だから、なんとかやっていこう、わたし・・・。

 ぐちぐちとグチ日記でした。


来週からまた始まるのに

2017年06月08日 16時12分16秒 | 日記
 午前中は雲が広がって寒かったのに、午後になって蒸し暑くなってきましたね。断捨離は部屋の中でしかできないので午前中がんばっていましたが、午後はとてもいられずスパに逃げてきました。パソコンの電源とれるし、ネットがつながるのでだらだらと動画をみながらおそめのお昼をいただきました。失業中の手当てをもらうため、来週から就労することを証明する用紙と健康診断の検査キッドを速達で送ってくださったので午前中に受け取ることができました。届きましたと電話を入れると、なんだかほんとに大変な様子で、電話に出た方から「アルバイトよろしくお願いします」って言われました。歓迎ムードかな。余裕がないんだろうなというのが手に取るようにわかりました。また始まるんだなあという緊張感。朝早い生活リズムに照準を合わせていこうとしているのに、できるだけ生活リズムを崩さないようにとがんばっているのに、部屋でゆっくり温野菜スープをいただいて体調を整えたいのに、集合住宅は難しいです。斜め向かいのガチひきこもりおじさんの部屋にお昼頃ヤクルトの配達の女性がたずねてきたら戸口で大声で話し込む声が丸きこえ。朝早かったわたしが部屋にいるの、ストレスを与えてしまっているらしき内容がわかってしまうのでこっちがさらにストレス。別に関係ないし、そんなにわたしの音が筒抜けになって迷惑かけてるのかなあ。洗濯機が室内にあるのはわたしのせいなくて、大家の責任だし、わたしはそうなっている部屋を借りているだけだし、夜部屋に帰ってきたら洗濯機回すのはしゃあないし、テレビはもっていないし、動画を視聴するときはヘッドホンしているし、大きな音が聞こえてしまわないように気を使っているつもりなんですけど、まあメンタルさんなんでしょうね。こっちこそ喉鳴らすような、唸るような声が聞こえてきて気持ち悪くって迷惑してますが、トラブルになるのは避けたいので我慢するしかないなあと思います。苦労して家賃払っているのに部屋にいられないとは、いやはやまいっちゃうね。

 お向かいの、たぶん女性が部屋の音はほとんどなにも聞こえてこないし感じなんですけど、お隣は今空いているのでお向かいか、お向かいのとなりの引きこもりおじさんの部屋からか台所スペースの棚を閉める音や食器ががちゃがちゃとぶつかる音まで聞こえてきてしまうの、いやあね。これではプライベートは守られない。不動産さんに話すと、特に廊下が狭いとは思わない、もともとは分譲マンションで音が響かないようにつくられているはずとのことでしたが、いやあ、集合住宅はほんとにまいっちゃうね。大切なものがまだまだいっぱいある場所なのに、暮らしの場所なのに、眠る場所なのに、何年住んでも慣れません。今度失業するときは実家に帰ろうかな。でかい家でご近所まですごく遠いので、弟はどでかい音でテレビつけてます。普段音を気にしているわたしはびっくり。

 来週から始動。月曜日、健康診断のあとは利用したことのない二回乗り換えのルートを辿って帰宅してみるつもり。持ち出しになっても利便性を考えて慣れている一回の乗り換えルートを使うか、定期代が支給される安い方の二回乗り換えルートを使うか、そこで決めればいいかな。どっちのルートにしろ、最初は7時半頃に出発しなければならないことにかわりありません。今起床している時間なんですけど、大丈夫かな。引きこもりのおっさんのことなんかどうでもいいんですけど、あたしゃまた働くのだからほっといれくれ!

 ぐちぐちとグチ日記でした。

旅の思い出写真_パリ市内

2017年06月07日 16時31分38秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 ぐちゃぐちゃになっていた10年前の旅の写真の整理がついてきて、わたしの気持ちの整理もついてきて、最終地パリへとたどり着き、旅の終わりがみえてきました。

 パリへたどり着いた翌日、2007年10月26日(金)、日本を出発して7日目、午前中はツアーに組み込まれたパリ市内観光ツアーに参加しました。シャイヨー宮、コンコルド広場、ノートルダム寺院、シャンゼリゼ通り、凱旋門、オペラ座、エッフェル塔、マドレーヌ寺院とバスに乗り点で移動。10月のヨーロッパ、小雨が降り、ものすごく寒かったです。日本で真冬に着るコートを着ていました。日頃の疲れもあって、体がきつくなってきた記憶が・・・。

 オペラ座周辺はものすごい人だかりで騒然としていて、いつどこでスリに遭遇するかと気が気でなく、オペラ座をゆっくりとめでる余裕はなかったような記憶が・・・。

 エッフェル塔のすぐ近くに立った時は、写真などであまりにも触れる機会がありすぎたからか、なんだか本物の近くに立っているという実感がありませんでした。わざわざパリまできたのに不思議な感覚でした。パリにきたんだと実感がわいたのは、シャンゼリゼ通りを歩いたとき、凱旋門がみえてきた時だったでしょうか。

 午前中のツアーが終わったあとは、ライン川クルーズでご一緒させてもらった女性の二人連れと一緒にお昼をいただきました。中華だったかなあ。すぐお隣のテーブルでは、あでやかな赤いお洋服を着こなした、白髪の美しいご年配の女性が旦那さんと一緒に好奇心いっぱいの瞳で箸を使って食事されていました。パリへやってきたんだと実感したひとときでした。

 パリはそれほど広くないので歩く街。食事が終わると地図をみながらわたしはルーヴル美術館の鑑賞ツアーに参加するため、日本人向けツアーをやっている旅行会社へ歩いて向かいました。お二人も地図をみながら徒歩で観光へ。地図の通りの名前はフランスなのでストリートではなく、アベニューなのだとお二人に言われて、そうでしたと納得。細かく思い出すことはできませんがデパートの角を曲がったところにあるツアー会社までドキドキしながら一人で歩いて行きました。ルーヴル美術館の鑑賞ツアーが終わるとシャンゼリゼ通りを足が痛くなるほど歩き、ホテルまで戻ったかな。ルーヴル美術館を出たあと、観光客に道をたずねられたような記憶が・・・。わたし、馴染んでいるようにみえたのでしょうか。

 地下鉄に乗ったのは翌年再びパリを訪れた時だったので、この時は全て徒歩でした。シャンゼリゼ通りを歩いていたとき、足元からなにか人が生きているエネルギーが伝わってくるような感覚がありました。パリは基本宵っ張りの街だという説明でした。ホテルに戻ると歩き疲れ、お腹もすいていたので一階のレストランで食事。前菜、スープ、パンを注文して、これで全部ですとおぼつかない英語で伝えたらお店の人がびっくりぽんな表情をしていましたが小さい体の日本人にはこれで十分。メインディッシュのお肉を、大柄なヨーロッパの方々が召し上がっているのをみただけでお腹いっぱいになってしまったんです。翌年安いツアーで再びパリを訪れた時、このホテルを素通りしなければならなかったのはつらかったです。お値段の差は、ホテルのランクに歴然とあらわれるのだと知りました。

 そんなこんなでルーヴル美術館鑑賞ツアーに参加した翌日、旅の最終日は午前中ヴェルサイユ宮殿の日帰りバスツアーに一人で参加、パリへ戻ってきてからは午後ツアーメンバーの女性ふたり連れとたまたま一緒にセーヌ川クルーズに参加。たどたどしい英語でなんとか乗り切り、夕刻ドゴール空港へ。20時発の成田空港行きの飛行機に乗ったのでした。成田空港の文字が見えた時、現実が戻ってきた時、「いよいよ日本へ帰っちゃいますね」「現実ですね」「帰りたくないですね」とツアーメンバーと会話。帰る場所があればこその旅。同日日本を出発する予定だった同じツアーは、台風のため出発できなかったとのこと。わたしはやっぱり運のいい、晴れ女でした。







座椅子とお別れ

2017年06月07日 14時41分15秒 | 日記
 梅雨寒の一日、部屋にはいられずまたまた朝から放浪中。今日はささいなお金の払い戻し手続きのついでに相談窓口にも寄りました。人と話したの、4日ぶり。近所に知る人がいないので、ちょっと話せる人がいないんですよね、部屋にひきこもってしまうとほんとに誰とも話さないのでよくないですね。お金かかっても出かけてちょっと人と話す。バスと運転手さんとちょっと話す。お店の人とちょっと話す。そういうことが大切です。おかげさまで、部屋にはいられない、いられない。ほんとは温野菜であったかいスープをつくってゆるりといただきたいですが、匂いも音も全部筒抜けなのでとてもそんな状況ではなく、夜は陽が沈むまでどこかでパソコン開いて時間を過ごし、ようやく暗くなると安くなったお弁当などを買ってささっとすませる毎日。仕事していた方が楽だなあと思ってしまうぐらい、なんだか窮屈で緊張しています。生活時間帯を30分前倒しにしたいのにできないまま、来週火曜日の稼働開始を迎えようとしています。朝ちゃんといけるかしら、わたし大丈夫かしら。「大丈夫、大丈夫、大丈夫」って相談窓口の方が三回言ってくれました。だから大丈夫!! 二回乗り換えの通勤はつらいので、持ち出しが出ても慣れているルートで行こうかな、どうしようかな、一度帰りに安い、二回の乗り換えルートをたどってから考えてもいいかな。

 相談窓口を訪ねるといつしか、クソ会社に使い捨てにされ、弁護士との闘いとなり、ずたずたにすり減ってしまった話よりも、クソ会社のことよりも、専門職のはしくれとして4か月間働いたこと、そしてまた働こうとしていることをたくさん話すようになっていることに気づきました。明日はね、ようやく10年以上使いボロボロになった座椅子を粗大ゴミに出します。15年ほど前、前に暮らした部屋へ引っ越した時に購入した座椅子、クソ会社の系列の特定派遣会社と行き違いがあって辞めさせられたけれどクソ会社の上司の希望で登録型派遣会社に移籍してクソ会社で働き続けられることになったあと購入した座椅子。陽射しがたっぷりの、一人には広目の部屋に引っ越して、やり直すんだっていう希望をもって購入した座椅子。引っ越した時には、ハケンだと部屋を借りられないのではないかとものすごく不安でしたが、弟に保証人となってもらい賃貸借契約書の勤務先欄にはクソ会社の名前と住所を書くことで無事部屋を借りることができました。そんな部屋のために買った座椅子。自分はここで必要とされているんだというのがモチベーションでした。喜びでした。結果的にその後始まったクソ会社での二人分労働の日々の苦労がしみつくこととなりました。言葉では言い現わすことができなかった苦労の日々。涙がにじむほどに疲れ果てて帰り着いたとき、どれだけこの座椅子に身を沈めてもう立ち上がれそうにない体に鞭を打って翌朝また出勤したことでしょう。そんな日々は使い捨てにされたことで終止符が打たれ、平日の昼間部屋にいなければならなくなると実は壁うすうすで隣の音も上下の音も丸聞こえのマンションだとわかりとてもじゃないけどいられず、この座椅子には狭すぎる今の部屋に引っ越しました。引っ越してから二年半、ようやく狭い部屋にふさわしいちんまりとした背もたれのあるクッションを購入したので座椅子とはお別れすることとなった次第です。なんだかお別れすることで、またひとつこの身に沁みついた、クソ会社での苦労が洗い流されていくような心持ちがします。こうしてだんだんと忘れていく、忘れていけばいいんだとようやく思えるようになったこの頃。三年前の2月末、ひっそりと誰とも挨拶できないまま去って以来「お世話させていただました」と皆さんに挨拶できないままになっているのが心残りではありますが、必要とされる場所が他にあるので忘れていきますよ、クソ会社のことは。バイならね。勝手にいつまでもクソ会社でいろよ、ますますクソでいろよって感じでバイなら。

 明日から働ける態勢へと立て直していかねばなあ。断捨離がまだまだあれど、少しずつ、少しずつ。また不安神経症との格闘の日々が始まろうとしています。電車の中や店のきつい冷房苦手だし、お店で出される氷たっぷりのきんきんに冷えた水を飲むこともできないし、蒸し暑い夏はきびしいです。やれることをやればいい。大丈夫、大丈夫!!。

 長々と徒然日記でした。

平日はつらいね

2017年06月06日 23時08分19秒 | 日記
 来週から専門職としての仕事が待っているわたしですが、ささやかな有給休暇中はパソコンもって放浪、カフェで平日に思い出整理しているヘンなおばさん。仕事してないってだめですかね。どうにも自分がなんかさぼりみたいで自分が慣れないし、部屋にはいられないし、あー平日はつらいなり。観劇日記、旅日記、それぞれ整理していたら時間切れとなりました。また明日・・・。

ささやかな小旅行

2017年06月05日 19時26分23秒 | 日記
 仕事再開まであと一週間、今日が健康診断の心づもりでしたが残念ながら来週になってしまいました。ささやかな有給休暇中、断捨離をできるだけ進めたくて土日は部屋に引きこもりましたが限界。部屋にいないとできないことは多々あれど、片付いていないことは多々あれど、出かけるとお金がかかるという心配はあれど、心の健康を維持していくためにささやかな小旅行をしてきました。ご近所のガチ引きこもりおじさんはほんとにずっといる気配。ひょえ~、勘弁だ~。せまい廊下をはさんでお向かいから喉を鳴らすような唸るような声がいやでも聞こえてきてしまうので、いやこれはきつい。関係ないですけどね、出入りがわかってしまうのでなんか見張られてるみたいで妙に緊張してしまって部屋にいても心が休まりません。いやはや部屋にいるのも大変なり。一週間後には資格をもっている人だけがやるハードが仕事が、蒸し暑い夏を越えていかなければならない、たぶん4か月よりもさらにハードと思われる仕事が待っているので、気にしない気にしない。息抜きしておかないと破裂しますね。

 ということでへんちくりんな格好して三渓園へ行ってきました。梅雨前の暑すぎず、寒すぎずの風が心地いい、快適なタイミングでした。スマホでぶらぶらと写真を撮りつつ、園内を一回り、展望台にも行ったのでかなり歩きました。写真は雲がかってきた夕暮れ時に撮った写真なのでどんよりした感じですが、日中は菖蒲の花も緑も美しくて、青空と緑と花の美しさを満喫しました。バス便が悪いので億劫な感じもあったのですが、行ってよかったです。たぶんこれまた十数年ぶり。働いているときは余裕がなくって無理。たぶん人生最後だろうなあと思うぐらい隅々まで歩いて回りました。所々、椅子に腰かけて青空と緑を見上げつつ、ぶらぶらと歩きました。4時間ほど滞在しました。お昼は、菖蒲の花をめでつつ、コンビニで買ったおにぎりとお茶ですませました。これで交通費分ぐらいは出たかな。16時ごろ閉まりかかったお店でいただいたみたらし団子がすごくおいしかったです。

 韓国人の新婚さんが記念写真を園内で撮影していました。こういう光景、韓国の昔の宮廷の庭でも、カナダのバンクーバー公園でも見かけました。結婚式と同じ衣装で記念写真を撮影してアルバムを作る習慣があるんだそうです。韓国で見かけたときは、花嫁さんがウエディングドレスの下にジーパンはいているのが見えてしまいました。今日お見かけしたカップルは日本式の着物姿でした。プロのカメラマンがついて撮影しているのでモデルさんみたいな華やいだ雰囲気。平日ならではのゆったりとした光景でしょうか。

 見るともなしに見ていると、バスに乗る人も平日の昼間は大半が無料で乗車できる方々でした。つまり無料パスを取得できる高齢者と障害者手帳を持っている方々。その分をわたしが払う税金で賄われているんだなと思うとちょっと複雑な気持ちになりました。働き損なのかなあ。でもわたしは普通に働いて、普通にお給料をもらって、普通に税金もを払う人でいたいと思います。そんな普通がいちばん。

 またいつかプリンス・エドワード島に旅できるぐらいは稼げる時が訪れると信じつつ、またいつかプリンス・エドワード島に旅する日を夢見つつ、ほんとにささやかな小旅行の一日でした。




お昼間の美しい菖蒲の花と緑の写真を追加でアップ。



 







岐阜県から移築された合掌造りの家の内部も見学しました。
がっしりとした造りと大家族が片寄せ合った暮らしぶりに感動。
久しぶりの畳と板の間にほっとしました。
やっぱり畳の部屋で暮らしたい。





旅の思い出写真_ローザンヌからパリへ

2017年06月04日 19時07分22秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 2007年10月25日(木)、日本を出発して6日目。スイスのジュネーヴ、エリザベートが人生の終焉を迎えたレマン湖のほとりを経て、ローザンヌ発パリ行きのTGV(Train a Grande Vitesse高速列車)にて3時間半ほどの鉄道の旅。ドイツのライン川からスタートした旅の思い出はようやく終わりへと近づいてきました。パリではルーヴル美術館で「モナ・リザ」と出会った時の感動を書きたいのですがその前にフランスの新幹線TGVのお写真を。

 昨今はデジカメで撮影した、解像度の高い写真がウィキペディアなどにどっさりあって、こんな写真珍しくもなんともないですが、わたしにとっては10年前国家試験に合格したご褒美にやっとの思いで有給休暇をとって出かけた贅沢な6泊8日のヨーロッパへの旅の思い出の一頁。気がつけば10年の歳月が流れ、運とタイミングで資格を生かして仕事をする入口に立つことができているわたし自身のための、これもある意味断捨離。この旅に出発できるまでが長くって長くってがむしゃらでした。時差12時間、日本を真逆なので現実を大いに忘れることができました。苦しくって苦しくって仕方なかった会社げの現実を忘れることができました。やっとたどり着いた旅の時間。車窓からの景色がきれいで幸せでした。

 車中では、わたしボックスで一人でした。ツアーに一人参加していたのがわたしだけで他の方々は二人連れがほとんどだったのでそうなりました。ちょっとさびしんぼうでしたがおかげで車窓を流れていくフランスの田舎の景色をゆっくりと味わうことができました。お昼に日本のお弁当が出ました。ツアーでご一緒だった方々が時々話しかけてくれたりもして嬉しかったです。会社の二人労働のストレスで疲弊しきっていたわたしには一つ一つ小さなことが沁みました、ほんとに。

 車内は日本のようなアナウンスは一切なく、大都会パリへと向かう平日のお昼間、ひたすらパソコンに向かうビジネスマンが多くて静かでした。添乗員さんに一番気をつけるようにと何度も案内があったのがスリが多いということ。そう言っている添乗員さんが、お手洗いで席を立つ時ノートパソコンを置きっぱなしにしていくので心配しました。わたしたちツアー客がみていたので盗まれることはありませんでしたけどね。

 パリへ到着して列車を降りると、途端に喧噪の渦にのまれました。すぐにスリが忘れ物をあさって車両から車両へとわたるので忘れ物があるなら今すぐですよ、と言われました。ツアー客であるわたしたちの、トランクなど大きな荷物はカートで列車からバスへと運ばれていこうとしていました。わたしはトランクと一緒に大きな手提げかばんを預けたのですが、わたしたちの世話をするために現れた現地の日本人係員に、こんなの簡単に引き抜かれますから手持ちしてくださいと注意を受けました。ホテルに到着したわたしたちツアー一行は、のんびりとした田舎から久しぶりに大都会にやってきたおのぼりさんのような気分でした。緊張感を強いられる大都会パリの喧噪についていくことができなくて、びっくり状態でした。

 そういえば日本人向けの現地ツアーを企画する旅行代理店のガラス扉に、ここからバスに乗る間に荷物をひったくられることがあるので注意するようにという内容の張り紙がありました。なんだかんだいっても日本はまだまだ安全。カナダのプリンス・エドワード島もわたしのような英語がおぼつかないものが一人でひょこひょこ行けたのだから安全かな。旅に出たらツアーであってもリスクを意識して自分の身は自分で守る気構えが大切なのだとあらためて思いました。何があるかわかりません。日本にいるのと同じようなつもりでいると大変なことになるという意識は大切。パリ市内を歩くとき、バッグは必ず斜めがけ。「見かけなんか気にしないでください。パリの人もみんなそうですから。」現地係員の方の注意で目が覚めました。






ホテルへと向かうバスの中から撮影したパリ市内。
マリー・アントワネットが最期を迎えた場所は今は観覧車がある所だという説明でした。