国論を割っている原発政策、脱原発では一致してもそのプロセスで対立している。止めてある原発一基も動かすなと言う立場の人と経済の影響を最小限にしつつ脱原発へという立場の人が鋭く対立した。
特に地元では企業城下町のような状況で、原発を動かさないと地域経済が疲弊すると言う訴えと、関電の原発依存度が極端に高く、原発無しでは現状、最低15%の節電となり、工場経営が成り立たないという関西広域の中小企業の訴えが大飯原発再稼働という窮余の策を政府が取らざるを得なかった。
安全性確保という点では、福島原発の事故が電源喪失という事態の中で起きたことを踏まえて暫定的に基準を決めた。隣の女川原発が無事だったのは偏に何とか電源が確保できたからだ。
しかし、検証作業の過程であるがこれまでの各種事故調査委員会の内容から安全神話に取り込まれ、事故が起きた時の訓練が皆無であったことが今回の事故を起こした後の東電や政府の泥縄対処の結果をもたらした。戦前の日本神国不敗論と同じ思考停止のなせる結果だ。
今回の福島原発事故の中間総括はこのブログでも何回かに分けて4月に書いたが、その後、あまりの放射能汚染被害の大きさや、2号炉のようにまだ現状がどうなっているのか解明できてないことから総括はなかなか出来ない。
今後も地元や経済界の要望で政府が安全という判断の基、再稼働する原発が出て来ると予想できるが、稼働すればするほどウラン燃料の燃えかす(放射性廃棄物)が増えることになる。まもなく核燃料リサイクルを継続するのかしないのか政府は判断しなければならないが、リサイクルして生み出されるプルトニウムの処理が出来ない以上リサイクルは意味が無くなる。実にやっかいな問題は放射性廃棄物をどこにどうやって保管するかで、決めないことには当初から指摘された危険な「トイレなきマンション」となる。この問題は今原発を廃炉にしても背負わなければならない。
一方、政府は原発再稼働を含むエネルギー政策を議論しているが、数字で何パーセントという目標を決めるとそれで終わりのようなことになる。原発城下町の経済をどうするか、避難経路や方法をどうするかなど多くの課題を議論してもらいたい。