昨日、平城宮跡を訪ねた。祭りの会場の本拠だが新しい朱雀門や大極殿が建てられ、何となくテーマパークみたいだ。1km四方の広い草原の中、雲雀の鳴き声が聞こえ、野草の花が咲くのどかな会場だ。入退場は一カ所でシャトルバスが奈良と西大寺から出ている。この入口に映像で当時の状況を映す平城京歴史館があり、まず遣唐使の苦難な航海の様子や平城宮を俯瞰し、勉強するようになっている。
遣唐使船の実物大の模型が目に付く歴史館だが、残された各種の絵に基づく想像上の船で、1300年前のことを少ない遺物から推定する難しさが理解できる。遣唐使船の大きさ排水量300トンも100人の派遣留学生などが生活できる空間から割り出したという。20回の派遣で成功したのは15回というが260年間よく続いたと感心する。その間、1500人以上の留学生が帰国して日本の発展に寄与して日本独自の平安文化を生み出した訳でもっと評価をしても良い。
数年前に遣唐使が中国大陸に上陸した寧波を訪れたがここにはその痕跡を見ることはできなかった。寧波から遣唐使が長安に向かう途中停泊した揚州は鑑真の出身地、鑑真が命をかけて日本に来て建てた唐招提寺のレプリカが建てられている。
平城宮の中心大極殿は草原の中にそびえ立っていて、この祭りの目玉であることは間違いない豪華絢爛たる建造物でこれもかなりの想像力が働いて造られたものだ。発掘現場も展示されているが礎石ぐらいしか残っていないのであとは大仏殿などの当時の建物を参考にして造ったようだ。当時は紙がなく、木簡だけが残された文献だからデータ量に限りがある。離れたところに宮内庁の役所を再現しているが、おもしろかったのは当時のオフィスは机と椅子で筆記用具は筆と木簡そして用済みの木簡を削るナイフだったことだ。
見物人でもこの祭りの会場に来ると1300年前の場面に想像力をかき立てられることは間違いない。最後に祭りの実行委員会に考えてもらいたいのは夏対策で、日陰がほとんどない草原では移動も並ぶのも大変だ。朱雀門から大極殿へ縦断するだけでも1kmある。
遣唐使船の実物大の模型が目に付く歴史館だが、残された各種の絵に基づく想像上の船で、1300年前のことを少ない遺物から推定する難しさが理解できる。遣唐使船の大きさ排水量300トンも100人の派遣留学生などが生活できる空間から割り出したという。20回の派遣で成功したのは15回というが260年間よく続いたと感心する。その間、1500人以上の留学生が帰国して日本の発展に寄与して日本独自の平安文化を生み出した訳でもっと評価をしても良い。
数年前に遣唐使が中国大陸に上陸した寧波を訪れたがここにはその痕跡を見ることはできなかった。寧波から遣唐使が長安に向かう途中停泊した揚州は鑑真の出身地、鑑真が命をかけて日本に来て建てた唐招提寺のレプリカが建てられている。
平城宮の中心大極殿は草原の中にそびえ立っていて、この祭りの目玉であることは間違いない豪華絢爛たる建造物でこれもかなりの想像力が働いて造られたものだ。発掘現場も展示されているが礎石ぐらいしか残っていないのであとは大仏殿などの当時の建物を参考にして造ったようだ。当時は紙がなく、木簡だけが残された文献だからデータ量に限りがある。離れたところに宮内庁の役所を再現しているが、おもしろかったのは当時のオフィスは机と椅子で筆記用具は筆と木簡そして用済みの木簡を削るナイフだったことだ。
見物人でもこの祭りの会場に来ると1300年前の場面に想像力をかき立てられることは間違いない。最後に祭りの実行委員会に考えてもらいたいのは夏対策で、日陰がほとんどない草原では移動も並ぶのも大変だ。朱雀門から大極殿へ縦断するだけでも1kmある。