週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#356 -’22. 南禅寺の塔頭・金地院へ

2022年12月30日 20時34分52秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

順正で食事を頂いて、南禅寺の塔頭の金地院へ向かいました。2022.12.30.20.34.52

南禅寺から地下鉄の蹴上駅に向かう時に何時も通る金地院です。

今回は特別拝観を行っているので初めて参拝します。

方丈は重文で、狩野派による襖絵は有名。
茶室八窓席(重文)は、鶴亀の庭(特別名勝)枯山水庭園とともに小堀遠州作で名高い。
〔茶室の拝観は往復はがきで。〕
東照宮(重文)は寛永5年(1628)の造営で権現造り様式で家康の遺髪と念持仏とを奉戴し、拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、36歌仙の額は土佐光起の筆である。
尚、八窓席茶室の襖絵長谷川等伯筆「猿猴捉月図」及「老松」は有名である。

金 地 院 沿 革

金地院は応永年間に大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺である。慶長の初め崇伝長老が南禅寺塔頭に移建して現在に至る。本尊には地蔵菩薩を奉安す。金地院崇伝は徳川家康に近侍し、天海僧正と共に幕議に参画し自らは天下僧録司として社寺の事を掌り、寺門繁興、威勢頗る盛大であった。世に寺大名と称したのは金地院の別称である。また、崇伝長老は「黒衣の宰相」とも呼ばれ畏怖尊敬を一身に集めた名僧で、寛永3年、後水尾天皇から円照本国師の号を賜った。

以上、金地院で頂いたパンフレットなどからの引用です。

1   南禅寺の参道の此方の看板を拝見してから左折して金地院に伺います。

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3   地下鉄蹴上駅方面から来るときにとおる金地院です。今回は目的意識を持って到着です。

4   金地院内の特別な見どころが展示されていました。鶴亀の庭(特別名勝)枯山水庭園とともに小堀遠州作で名高い。方丈は重文で、狩野派による襖絵は有名です。見どころ満載ですが、今回は東照宮を主目的に。

5   鶴亀の庭園(特別名勝)の案内。

6    松の葉で隠れてしまいましたが、受付を済ませて左手の明智門に向かいます。

7    立派な明智門です。

明 智 門

天正十年明智光秀が母の菩提のため黄金千枚を寄進して大徳寺に建立せしを明治初年、当院に移建す。

パンフレットより引用。

8   弁天池です。

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東 照 宮

崇伝長老が徳川家康の遺嘱に依り、家康の遺髪をと念持仏とを奉載して寛永五年造営したものである。創建当時は諸堂完備し輪かの結構さは日光東照宮に比すべきものであったと云う。現存の拝殿・石ノ間・本殿等は京都に遺る唯一つの権現造り洋式である。拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆・三十六歌仙の額は土佐光起の筆であり歌は青蓮院宮尊純法親王の御筆跡である。

 

 

 

14    東照宮ですから鳥居が存在します。

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24   東照宮をお参りして開山堂を経由して方丈に戻ってきました。

25   亀島方向かと思います。

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