カケラノコトバ

たかあきによる創作文置き場です

夜を歩く

2013-11-13 01:10:43 | 即興小説トレーニング
 空に月の姿はなく、住宅街の狭間を巡る細道を奇妙に白っぽい輝きで照らし出すのは街灯と、立ち並ぶ家々の窓から僅かに漏れる照明だった。学生と思しき賑やかな集団が、若さに任せた蛮声を張り上げながら躰をすり抜けていくのを大した感慨もなく見送ってから、僕は歩き出す。

 最初の曲がり角を回ると、リードに繋いだ犬の散歩を日課にしているという中年男性と顔を合わせた。
「よう、また会ったな」
僕が夜道を歩くようになってから始めて声を掛けてくれた人懐こいおじさんだが、何の仕事をしている人かは知らない。それを聞くのは『ルール違反』なのだそうだし、実際のところ特に知りたいとは思わなかった。
 いつものように挨拶を交わすと、おじさんは犬の耳の後ろを掻いてやりながら僕の肩から吊った左腕に視線を向けた。治るまで、暫く時間が要りそうだなと言われ、骨をやりましたからと答えると、そうか、と納得したように頷き、ふと思い出したように忠告してくる。
「そうそう、お前さんのような『流され者』は上着の袖に手を通さず引っかけておきな。その方が安全かもしれん」
 行くぞクダ、と名前を呼びながら再び歩き出すおじさん。犬にしては長くてふさふさの尻尾を翻してそれに従う犬。多分顔立ちからすると柴系の雑種なのだろうが、どういう血が混じればあれだけ細身でしなやかな犬になるのだろうか。

 おじさんと別れて再び歩き出すと、後ろから靴音とは違う足音が響いてくる。ああ、あの人かと思う間もなく僕の躰をすり抜けて足早に去っていくのは学生帽を被り、古風なマントを羽織った下駄履きの学生だった。何処を目指しているのかは判らないが、僕を追い越していくときはいつも足早に下駄の歯を道に叩き付けるような勢いで歩いているのだ。

 三本ほど交差した細道をやり過ごし、お城に通じる坂道を上り始めると、今風の学生や酔客に混じって着物姿の人影が散見される。小柄な彼らは大概身なりが良く、動きもすっきりしているが、それは彼らの時代にこの辺一帯が大名屋敷の立ち並ぶ区域だった為なのだろうかと、僕の瞳には朧な残影にしか映らない彼らの姿を見ながら考える。

 地方都市特有の、やたらと広い駐車場を横切ってコンビニに入ると、古民家を思わせる古びた黒い柱と漆喰の壁に囲まれ、赤茶けた照明が照らし出す空間が現れる。今どき誰が使うのか想像も付かない竹で編んだ籠や、そもそも何に使うのかすら判らない道具の数々に混じって何故かある最新携帯ゲーム機とソフト、ブリキ製の玩具、プラスチック製のお砂場セット、箱に入った鰹節とそれを削る道具、ガラス瓶にぎっしり詰まった色取り取りの飴玉、棚に並んだ亀の子タワシや洗剤などの生活用品。
 見事なまでに訳の判らない品揃えの只中に、座布団に座ったお婆さんが笑顔を浮かべながら言った。
「おや、また来たのかい?」
 僕は頷いて持参してきた袋をお婆さんに渡す。お婆さんは眼を細めながら袋の中身、砂時計と掌サイズのソーイングセットを確認すると、ソーイングセットだけ返してくる。
「あたしゃ、もう目が効かなくて針仕事は出来ないからね…… それじゃ、一つだけ店のものを持って行きな。でもソイツはアンタに不幸をもたらすだろう、その覚悟はあるかい?」
 ある、とも、ない、とも答えぬまま、僕は前回ここに来た際に見付けた指輪を手に取る。無惨にひしゃげ、元々セットされていた筈の石も幾つか取れてしまった指輪の残骸。まるで兄弟のようにして育った幼馴染みに、僕が婚約の証として贈った指輪。信号を無視してスクランブル交差点に突っ込んできた暴走トラックが僕の左腕を折り、彼女の躰をボロ切れのように変えてしまった時に、彼女が身に付けていた指輪。

 犬を連れたおじさんが言うことには、療養のためとは言え僕のように社会から一時期離れて暮らしている人間は世界との接点が希薄な分、空間の乱れに巻き込まれやすいのだそうだ。
 面白いものが見られるのは確かだが、深入りは止めた方が良い。そんなおじさんの忠告を僕はあえて無視した。葬儀の際に顔さえ見せて貰えぬまま荼毘に付された彼女に、もう一度逢いたかった。
 きっとこの指輪を頼りに、彼女は僕を見付けてくれる。そんな風に思いながら歩いていると、背後から何かの気配が僕を追ってきた。きっと彼女だと振り返ろうとした直前に全身の毛が総毛立ち、僕は立ち止まった。生臭い匂い、何かを引き摺るような不確かな足音、にちゃにちゃと響きわたる粘りつくような水音。
 決して開けられなかった棺の蓋、半狂乱になった彼女の母親、そして。
「おにいいいいちゃあああぁぁぁんんん」
 悪夢の只中で響き渡るノイズにしか聞こえない声で、僕に甘えて縋りついてくる肉塊。薄情と言われようと冷血と言われようと、その時の僕は死にものぐるいでその場を駆け去ることしかできなかった。

 その翌日、僕は夜道を歩くのをきっぱりと止め、新しい上着を買った。
 
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君去りし春

2013-10-30 23:28:54 | 即興小説トレーニング
 うちのモップ犬、本名もっぷが行方不明になった。

 僕や僕の家族だけではなく、友人も、近所の人たちも、親戚や嫁に行った姉さん、その息子の甥っ子まで、それはそれは必死に探してくれた。
 特に従妹は自分のサイトにもっぷのことを紹介して何件か『こんな犬が欲しい』と問い合わせを受けていたので、自分のせいかもしれないと酷く落ち込んで宥めるのが大変だった。実際、用心深い従妹はそれまで住居やプライベートに関する情報を明確な形でネットに上げたことはなかったし(それは僕とネットジャンキーな友人か確認した)問い合わせしてきた相手も、もっぷが両親不明の雑種犬だと知るとあっさり引き下がったので、関係があるとは思えなかった。

 考えられるありとあらゆる手段を尽くして捜索を続けながら、僕はもっぷが消えた状況に付いて何度も考えた。
 もっぷは基本的に室内飼いで、散歩で近所を歩き回る以外で外にいるのは庭で日向ぼっこやブラシ掛けをしている時くらいだか、失踪直前はリードに繋がれた姿で日向ぼっこをしていた。そして僕がおやつのジャーキーを取りに行って戻ったらいなくなっていたのだ。その間、僅かに数分しか経っていない。しかも、もっぷが暴れたり吠えたりした形跡は一切なく、外されたリードは留め金が掛かったままだったのだ。

 そんなある晩、僕は夢を見た。
 もっぷが、もっぷに良く似た犬数匹と一緒に僕に向かって尻尾を振っていた。
 そうか、迎えが来たのかと思った僕はもっぷに手を振り返してその姿を見送った。その時の僕には寂しさや哀しさよりも、何故か不思議な安堵感に包まれていたような気がする。

 きっともっぷは自分が本来いるべき場所に還ったのだ。僕はそう思うことにした。少なくとも、それはもっぷが酷い奴に誘拐されて酷い目に遭わされているという考えよりも遥かに僕を安心させてくれるののだったのだ。

 やがて月日は流れ、僕は大学を卒業して就職し、幾度かのお付き合いを経て結婚し、家庭を持った。もっぷのことも学生時代の楽しい思い出として記憶の片隅に仕舞い込んでいたある日。

 小学生の息子が『可哀想で見ていられなかった』と毛玉を拾ってきた。初めは何の生き物だか判らなかったがひゃんひゃんと鳴くし、洗いながら毛並みを整えてやると何となく犬っぽい。
 うちで飼っても良いでしょうと行ってくる息子に答えぬまま、僕は毛玉に向かって呟いた。

「おかえり、もっぷ」
『ひゃん』 
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何処にもない町並み

2013-10-20 15:05:04 | 即興小説トレーニング
 大概の子どもにとって、世界は目に見えるものが全てだ。
 だから、自分がほんの少し目を離した隙に変貌してしまった世界を認めることが出来ない。

 私がまだ小学生だった頃、家の都合で田舎にある祖父母宅に預けられていた時期がある。
 祖父母はどちらかというと私を持て余し、私も気を使って食事や洗濯など必要最低限以外はなるべく頼らないようにしていた。急な転校だったので友達も出来ず、その頃の私は学校や公立の図書館で借りた本を読んでいるか、祖父母宅のある町並みを一人で散歩して夜までの時間を潰すのが常だった。

 昔は宿場町として賑わっていたという町並みには古い造りの建物が残っていて、道路に面した建物の二階には明かり取りの木戸があり、下半分に手摺りのような黒い柵が設えてあった。何でもお大名の行列を窓の上から見るのは無礼と見なされなかったらしく、そこから行列見物を楽しむ旅人の為だとか。

 そんな町並みだから子ども相手の雑貨屋も、赤茶けた電球の光の下で黒く燻された柱と黄ばんだ白壁が囲む室内に古びた棚が並び、塗り絵やシャボン玉遊び、風船や水鉄砲、それにクジ付きの駄菓子など今から考えるといかにも子供だましな品物が並んでいたが、当時の私は少ないお小遣いを握りしめて店番のおばあちゃんに新しい品物を教えて貰ったり、雑誌の付録が入ったお楽しみクジ袋の中身に一喜一憂していたことを覚えている。

 やがて自分の家に戻った私は数年後、再び祖父母の住む町を訪れた。かつて私が預けられていた祖父母の家は住む人を失って借家となり、町並みも随分と変わっていたが、それでもお祭りの日に出店が並んだ神社や町並みのすぐ側を流れる川の姿は変わらぬままに残っていた。そんなわけで町並みを歩いていると、自分でも忘れていた、かつての記憶が次々に甦ってくるのが判る。いつだって一人で歩いていた学校までの通学路、祖母に頼まれて毎日のように玉子と豆腐を買いに行った雑貨屋。懐かしさと共に商店街が住宅街に取って代わられたとき、私はあの頃通っていた駄菓子屋を見付けられなかったことを思い出した。
 もしかして見過ごしたのだろうか?そんなことを考えながら、小学生の足でも端から端まで歩くのに三十分はかからない町並みを何度か往復してみたが、どうしても駄菓子屋は見付からなかった。

 今でこそ、私が小学生の頃には既に老朽化していたと思われる建物が取り壊され、新しい建物に取って代わられたのだろうと考えることが出来るが、当時の私は何度も何度も同じ道を行ったり来たりしながら、この町並みが本当にかつて自分が暮らしていたことがある空間なのか自信が持てなくなってきた。そして、知っているはずで違う町並みに迷い込んだ自分は、元々いたはずの場所に戻れるのだろうかと。
 いきなりそんな不安に襲われた私は、今度は脇目もふらずに現在の祖父母が住む叔父夫婦の家に逃げ帰った。数年前に建てたと聞かされた叔父夫婦の家は確かに記憶通りの場所に存在したし、祖父母も、叔父夫婦も特に家を出たときと変わりが無く、私は自分がきちんと戻ってこれたのだと実感したのだった。

 ただ、今になって、たまに思うのだ。私はあの時『本当に』きちんと元の世界に戻って来られたのだろうかと。そして、もしあの時、きちんと元の世界に戻って来られなかったとしたら、一体どんな人生を歩むことになっていたのだろうと。
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尻尾切り

2013-10-19 18:31:14 | 即興小説トレーニング
 うちのベランダのサッシには初夏から初秋にかけて、夜になるとトカゲがへばり付いている。サッシのガラスが模様入りなので室内は見えないだろうと就寝時までカーテンを閉じないので、部屋の灯りに引き寄せられて絶えずやってくる羽虫を餌にしているらしい。

 友人にはヤモリじゃないのかと言われたときもあるが、腹部が象牙に近い肌色なので多分違う。ヤモリなら『家守』で縁起がいい気もするが、鮮やかな赤い腹がガラスを這い回る図を想像すると、やはりトカゲで良いと思い直したりもする。

 トカゲは一匹ではなく、たまに二匹が思い思いの方向を這い回っていたり、明らかに普段とはサイズが異なる個体が確認できたりするので、たぶん一族というか一家というか、とにかくある程度の群れが存在するのかも知れないが、そうだとしても連中が普段どこで暮らしているのかまでは判らない。何しろ部屋は街中にあるアパートの最上階なのだ。

 爬虫類に特別の嫌悪や恐怖は感じないし、気になるならカーテンを閉めれば良いだけだし、特に害もないしと、普段は全く気にしないのだが、この前、とうとうトラブルが発生してしまった。

 雲が晴れるのを待とうと洗濯を待機していたら夜になっても重苦しい雲が引かず、仕方なく下着や靴下だけでも室内干しにしようと洗濯カゴを片手にベランダに置いてある洗濯機を目指そうとしたとき。
 いつものようにサッシにへばり付いていたトカゲは、いつものようにお食事中だった。普段なら連中がベランダにいる際は非干渉とばかりに放置するのだが、今回は仕方なくサッシを開けた。すると何を思ったかトカゲはサッシが開いた隙間から素早い動きで室内を目指すように動き出したのだ。爬虫類が嫌いではないとは言え、部屋に入り込まれては面倒が発生すると慌てた直後、反射的に手が伸びていた。

 結局、本体ではなく尻尾を叩かれたトカゲはまだ動く尻尾を残してするすると階上に登っていった。どうやら連中の住処は屋上にあるらしいとぼんやり思いながらサッシを閉め、ベランダの隅に置いてある洗濯機に洗濯物を放り込み、スイッチを入れてから洗剤を投入する。やがて洗濯終了のお知らせブザーが鳴り響くまで何となく観察していたが、その日、とうとうトカゲが再び姿を見せることはなかった。

 それ以来、全く姿を現すことが無くなったトカゲに一抹の寂しさを感じはじめたある日。
 再び夜に洗濯をしようとベランダに出たとき、サンダルの底に妙な感触があった。
 何だろうと足を上げると、そこには首を断ち切られた蛇を思わせる姿をしたトカゲの尻尾が貼り付いていた。良く見ると狭苦しいベランダのあちこちには似たようなトカゲの尻尾が数え切れないほど蠢いている。

 どうやら連中は引っ越しを決意したらしい。
 
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遠い日の少年

2013-10-05 22:43:50 | 即興小説トレーニング
 城下町で開かれている市は盛況のようだった。ここ数年は戦が起きず、作物の出来も悪くないからだろう。
 賑やかに行き交う人々の狭間をのんびり歩いていると、不意に小柄な人影がぶつかってきた。
「あ…… ごめんなさい」
 私の顔を見上げるような恰好で謝ってきたのは、栗色の巻き毛と金茶色の瞳を持つ十歳くらいの少年だった。一瞬だけ掏摸か何かと疑ったが、その割には逃げようともしないし、何より動きが鈍すぎる。
「迷子になったのか?」
 私の問い掛けに少年は戸惑いがちに頷いてから、連れとはぐれてしまって探していると答えてきた。
「それなら一緒に探してあげよう」
 身なりは普通の旅装だが、何となく頼りない印象が拭えない上、良く見ると随分と可愛らしい顔立ちをしている。連れを見付けるまでに変な大人に眼を付けられたら厄介だろう。
 殆ど問答無用で手を握ると少年はやや戸惑いがちに私の顔を見上げてきたが、特に抵抗するでもなく大人しく付いてきた。
「それで、お前の連れの特徴は?」
 私の問い掛けに、少年は笑顔になってはきはきした口調で答えてきた。
「はい、十四才だけど大人びて見える、とても綺麗なひとです。この辺では珍しいかもしれないけど、肩まである深い群青色の髪をしています」
 でも普段はフードを被っているから目立たないですけど。そう締めくくった言葉に、私は遠い日に一度だけ見たことのある群青色の髪をした少年を思い出す。

 あの日、いきなり戦場に現れて悪夢のような殺戮を繰り広げ、私の叔父を殺した漆黒の死神。
 半分叩き割られていた彼の兜の端から覗いた髪は海の色を思わせる深い蒼で、人形のように整った無表情な顔立ちと共に、年老いた今でも忘れがたいほどの印象を私に刻みつけていた。

「…… どうかしましたか?」
 不思議そうに尋ねてくる少年に、思い出の淵に沈みこみかけていた私は我に返る。
「あ、ああ、何でもない」
 そう言えばお前の連れの名前は、私がそう言いかけたとき、少年の表情が喜びに輝く。
 私の手を振り払うようにして相手の名を呼びながら駆け寄る少年。その姿に驚いて見せたのは先程少年が言ったとおりにやや大人びた印象のあるフードを被った少年だった。
「どこへ行っていたんだ、探したぞ!」
 フードを被った少年が叱ると、巻き毛の少年はしょんぼりとうなだれて『ごめんなさい』と呟く。そして次の瞬間私のことを思い出したようにこちらに顔を向けた。
「あの人が一緒に探してくれたんだよ」
 するとフードを被った少年はやや胡散臭げな視線を私に向けてくる。やや居心地の悪い気分に陥っていると、巻き毛の少年の不満げな態度に気付いたのか、表情を改めると一礼してきた。
「この子がお世話になりました」
「いや、大したことはしていないが、あまり目を離さないようにな」
「…… はい」
「ところで、あまり顔立ちが似ていないようだが、兄弟か?」
「…… いいえ、遠縁の親戚です」
 あからさまに詳細を語る気がなさげなフードを被った少年の態度に、私は追究を止める。仕方があるまい、誰にでも、それこそ子どもであろうと個々の事情というものがあるのもだ。
「さあ、いこうか」
 巻き毛の少年を促し、私に背を向けるフードを被った少年。二人を見送る私の背後から、不意に聞き慣れた声が掛かる。
「ご隠居様、あの子ども達が何か無礼を?」
 私の側近として長年仕えてくれている元衛兵長は、かつての苦い経歴から滅多に周囲に心を開かず、周囲に対しても厳しい態度を取るのが常だが、私は軽く否定してみせる。
「いや、あの子が似ていたから、つい声を掛けただけだ」
 すると元衛兵長は納得したように頷きながら珍しく眼を細める。
「おお、そういえばあの栗色の巻き毛、ご隠居様の若い頃にそっくりでしたな」
 あの頃のご隠居様はなどと、いつものように聞き慣れた思い出話を始めた元衛兵長の言葉を聞き流しながら、私はあの日に出会った無表情な死神のことを再度思い出していた。

 どうやらあの死神は、どうにか彼にとって一番大事な相手に再び巡り会えたようだ。
 
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遠い日の死神

2013-10-04 22:22:58 | 即興小説トレーニング
 元々の発端は地方領主同士の利権争いだったのだが、背後に控えた大国の思惑が嫌な具合に絡んで事態が拗れるだけ拗れたあげく戦争になった。
 だから、その日の戦いは、小競り合いと称するには大規模な戦いだったと思う。

 丘の上から戦場を見下ろしていた叔父は、騎馬姿のまま傍らの僕に話しかけてきた。
「どうだ?本物の戦場は」
「…… どうにも、実感が湧きません」
 眼下では今まさに殺し合いが繰り広げられているが本陣から前線に至るまでに布陣された味方の陣営は厚く、よもや敵がここまで攻め入るとは考えにくかった。だからこそ、叔父もこうして落ち着いていられるのだろう。
「今は騎士見習い身分のお前も、いずれは戦場で槍を携え剣を振るう身となる。今からでも戦場の空気に慣れておくと良い」
 叔父の言っていることは本当だ。僕は修行という名目で叔父のところに預けられてはいるが、実際は人質同然の『手駒』だった。叔父は優しかったが、それすらも生殺与奪を握った相手に対する余裕を示しているに過ぎない。
 そんなことを考えていると、俄に戦場に乱れが生ずる。圧され気味だった相手の陣が奇妙な馬車を繰り出してきたのだ。
 漆黒の衣を纏った御者が引く、鬣まで漆黒の馬が引く漆黒の馬車。
 あれはひょっとして最近噂に聞く、などと戦場の誰もが思ったときには既に遅かった。突然爆ぜるように馬車の天井が開き、それと殆ど同時に飛び出してくる人影。
 信じられない跳躍力で地面に降り立ったのは、僕よりやや年嵩に見える少年だった。そうはいっても仮面を思わせる兜で上半分が隠れた顔は見えず、やはり漆黒を基調にした極めて簡易な鎧を身につけた体付きから判断してのことだ。
「…… 漆黒の死神」
 恐らくは、少年の姿を至近距離で目の当たりにした何人もが呻くように呟いたかも知れない。そして、次の瞬間には鮮血を吹き出して肉片と化した。先程とは違った理由で阿鼻叫喚の巷と化す戦場。
 少年の戦い方は情け容赦だけでなく、常識というものもなかった。自分の躰の数倍はありそうな騎士や、時には馬を投げ飛ばし、叩き伏せる。手持ちの武器が使えなくなると敵から剣であろうと槍であろうと、時には戦斧であろうとごく無造作に奪い取り、棒きれのように軽々と振り回した。
 ごく稀に少年と渡り合う猛者もいるにはいたが、大概は数合撃ち合った時点で力負けし、命乞いも虚しく死体と化していった。今回の戦でも例外ではなく、殆ど奇跡的に少年の兜に付いた仮面を半分叩き割った剛の者が、己の勝利を確信したまま胴を鎧ごと二つに断ち割られた。
「…… これは、まずいな」
 どうやら叔父が撤退を考え始めた時、不意に少年が顔を上げて…… 僕と目が合った。途端に少年は周囲の状況を一切無視してこちらに向かって駆け出してきたようだった。勿論、背後から追撃が掛かるが槍を受けようが剣で切られようが全く構いもせず、また少年の信じがたい速度に追っ手も次々と脱落していき、やがて丘の真下で跳躍した少年は僕と叔父の前に現れた。
「この化け者が!」
 叫んだ叔父は一瞬にして叩き潰され、少年は僕の前に立った。その時はじめて、僕は少年がまさしく人形のように綺麗で整った、しかし感情のない顔立ちをしているのに気付いた。
 これでおわりか。僕がそう考えたとき、少年は相変わらず表情のないまま、金属を擦り合わせるような声音で呟いた。
「チガウ」
 そして、そのまま僕に背を向けると現れたときと同じくらいの速度で駆け去っていった。

 そうして僕は叔父の人質という立場を脱し、新しい人生を始めることになったのだが、少年がどうして僕を殺さなかったのか、そして最後に呟いた「チガウ」と言う言葉の意味は、ずいぶん後年になるまで判らなかった。 


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空と大地の狭間の彼女

2013-09-29 23:13:55 | 即興小説トレーニング
 地道な飛行訓練の甲斐あって、以前より遥かに虫を操れるようになった頃。
 彼女は、上空から自分の住んでいる地上人の街を見下ろすように眺めてみたいと僕に言った。

 正直、高所での飛翔は風を読むのが地上より難しく、彼女の現在の飛翔技術では些か心許なかったのだが、懇願に近い彼女の言葉に折れた僕は、それでは一緒に飛ぶならと答えることになった。とは言え彼女が自力で登れる高度には限界があったので、まずはそれほど標高の高くない山に登って、そこから飛ぶのが安全だと判断する。

 そんなわけで山の頂から飛ぶと、やはり彼女は風に流され気味だったが、それでも何とか大きく体勢を崩すこともなく街の上空を目指して虫を操っていた。
 大丈夫?と訊ねると、平気だと答えが返ってくるので、僕は彼女のペースに合わせてゆったりと自分の羽根を震わせながら飛翔を続ける。

 やがて豆粒のようだった地上人の街はどんどん大きくなり、ついには大小様々で色取り取りのマッチ箱を連ねたような建物の群れとなった。
「…… 箱庭みたい」
 彼女が呟き、僕もそうだねと頷く。だが、彼女は何か別のことを考えていたらしく、僕の相槌に反応しなかった。

 とにかく当初の目的は果たしたので地上に戻った僕らは、いつものように見晴らしの良い場所で食事にすることにした。蜻蛉族の僕は野菜主体のサンドウイッチ、彼女はそれにハムやベーコンが添えられる。
 爽やかな香草をブレンドしたお茶を飲みおえると、先程まで夢見るような表情で空を眺めるばかりだった彼女は何故か俯き加減に、空になったカップを意味もなく手の中で回していた。
「あの、覚えていますか?私が飛べるようになったら、どうして私が飛ぼうと思ったのかをお話しするって言ったのを」
 もちろん僕は覚えていたので頷くと、彼女は重い口をこじあけるようにぽつり、ぽつりと話しはじめる。

 彼女の父親は僕と同じ羽人で、やはり僕の父と同じように地上人の街に出稼ぎに来ていた際、彼女の母親と出会って恋に落ち、結ばれた。そして彼女が生まれた頃、父親が死んだのだそうだ。
 無理もないことかもしれなかった。総じて羽人は地上人に比べて短命だし、何より長年地上人の街で暮らせば生活形態の違いによるストレスから確実に寿命を縮めることが統計で明らかになっている。
 彼女の母親は父親の死を嘆く間もなく子育てに明け暮れ、疲れ果てた挙げ句に、彼女が父親の血筋から譲り受けた未発達の蝶羽を切り落としたのだ。

「彼女が何を考えてそうしたかは、私も判りません。それ以降、一度も顔を合わせていませんから」
 淡々と答える彼女の壮絶な身の上話に、僕はただ言葉を失うばかりだった。
「でも、それ以来、私は地上人でも羽人でもないまま生きてきて…… だから、自分で決めようと思ったのです。自分自身が何者であるのかを」
 だから私は飛ばなければならなかった。そんな彼女の言葉に僕はただ黙って頷き、そして訊ねた。
「それで、答えは出たのかい?」
「はい、決めました」

 彼女は街に戻り、地上人として暮らしていくと言った。今まで地上人の街で暮らしながら積み重ねてきたもの全てを振り捨てて飛べるほどに、彼女の心は軽くなれないのだと。
「それでも…… たまにはこうやって飛びに来ても良いのでしょうか?」
 勿論だと僕が答えると、彼女も微笑んだ。

 それが、僕と彼女との出会いと、終わりと、そしてはじまりの物語。
 
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空を行く配達人

2013-09-21 22:08:11 | 即興小説トレーニング
 そう言えば普段、仕事は何をしているの?
 彼女が訊ねてきたので、僕は郵便配達だと答えた。

「元々この辺のエリアは羽人の居住区でもかなり地上人の街に近いだろう。そこで働いている羽人が実家や友人に出す手紙を担当しているんだ」
 実際、地上人が羽人の居住空間を自在に飛び回るのはかなり難しい。風の読み方や虫の扱いだけでなく、鳥の巣を思わせる高所に建てられた家を番地名だけで把握するのも一苦労なのだ。
「まあ、僕は身一つで飛んでいるから大した量の手紙や小包は運べないんだけど」
 大きな輸送会社になると、何匹も虫を連ねたゴンドラで一度に大荷物を運んでいるが、そういう会社は、ほぼオーナーが地上人で、虫の扱いが特に上手い羽人を何人も雇って運営されているそうだ。
「大概の成人した羽人は地上人の街近くで暮らすのを好まないから、出稼ぎで働いている子どもや孫の便りを心待ちにしていてね。僕もずいぶん感謝されているよ」
「…… ひょっとして、羽人は地上人を嫌っているひとが多いの?」
 不安そうな彼女に、僕はそうじゃないよと軽く言ってのける。
「地上人の街は、基本的に僕たちが暮らすには風も緑も、それに広さも足りないんだ。別に好き嫌いじゃない。第一、羽人でも好奇心が強くて適応力のある若者は、結構街に馴染んで地上人と一緒に仕事をしているしね、僕の兄もそうだよ」

 兄は羽人の中では変わり者と言えた。羽人は基本的に己の抱えきれない財産を持つことを美徳としない。故に、蔵書やコレクションといった『もの』を家に置く習慣を持つものは少ないのだが、兄はその数少ない例外だった。沢山の本を読みたがり、拾った石を溜め込み、食べる以外の植物を鉢植えで育てたがる兄を周囲は持て余したが、父だけはその才を認めていた。だから地上人に雇われて必死に働き、兄が街で学ぶに足りるだけの学費を稼ぎ出してやったのだ。お陰で兄は羽人には珍しい学者となり、地上人の研究チームに混じって文字通りあちこちを飛び回っているそうだ。

「羽人は本を読まないの?」
 不思議そうに問い掛けてきた彼女に、文字が一般的になったのは地上人との付き合いが始まってからだと僕は答える。
「だから羽人の歴史は代々口伝で、それも羽人の古語で伝えられてきたんだよ」
 例えばと、僕は普段使わない言葉で羽人に伝わる英雄談のさわりを詠唱してみせる。彼女にとっては奇妙な歌、若しくは不思議な振動音にしか聞こえないであろうそれを、何故か懐かしそうな表情で聞いていた彼女は、僕が詠唱を終えると笑顔で拍手してくれた。
「意味は判らないんだけど、とても綺麗ね」
「これは現在の羽人居住エリアに妻と共に巣を構え、子を成し、集落を造った男の唄で、僕たち羽人は全てこの男の血を引いていると伝えられているのさ」
 だから唄は『男の息子の娘の妹の夫の…… 』と続いて、最後には必ず自分に繋がる。故に羽人が他人に、特に地上人には決して明かすことのない『本名』は名乗りを上げて終わるまでに数日間が必要なほどに長いのだ。

 ただ、地上人との付き合いで、羽人の生活も昔と比べて変わったからね。コレからは本を読んだり街で暮らす羽人も珍しくなくなるんじゃないかなと僕は答えた。

 
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空の消失点

2013-09-19 23:26:14 | 即興小説トレーニング
 羽人なら空を飛ぶのは怖くないの?と彼女は聞いてきて、僕は言葉に詰まった。
 僕のような背に羽を持って生まれてきたものにとって、空を飛ぶのは地上人が地を駆けるのと変わりない普通のことだと思っているからだが、それでも確かに事故がないわけではない。高さによっては助からないし、助かっても羽の損傷次第では一生自力で飛べなくなる場合だってある。
 だから、僕は正直に話すことにした。

「一度、もう助からないと思ったことはあるよ」
 まだ小さかった頃、父さんの言いつけを聞かずに無謀なほどの高みを目指した挙げ句、乱れた気流を読み切れずに巻き込まれ、ろくに羽ばたけないまま真っ逆さまに大地に向かって落下していった時は、このまま叩き付けられて終わるのだと覚悟した。
 結局は本当にぎりぎりのところで体勢を立て直して事なきを得たのだが、事態に気付いた父さんから大目玉を食らっている最中に僕が考えていたのは、落下の恐怖ではなく、助かったことに対する安堵ですらなく、逆さまになった自分の足元に広がる信じられないくらいに澄んだ蒼空と、綺麗に列を作ってその蒼空を滑るように飛ぶ人々の群れだった。

 やや老人の数が多いように感じた列に並ぶのは全て羽人で、僕のような蜻蛉族の他にも蝶族、蜂族、それに普段はあまり馴染みのない甲虫族もいた。
 不思議なくらい穏やかな表情で殆ど羽ばたきもせずに進んでいく人々の列は、空の果てでも目指しているかのように高く高く続いていて、先頭がどうなっているかは霞んで見えない。何とか目を凝らして列の先頭を見極めようとした、その時。

『オマエモイコウ』
 耳元で、と言うよりは耳の後ろ側から響く軋るような声。ソイツはどうやら僕の背中にへばり付き、羽根の根元に絡みついているらしく、僕が飛べなくなったのもそのせいらしかった。
「僕は行かない」
 ソイツに出会っても慌ててはいけない。姿さえ見なければ、そしてソイツの言うことに耳を貸したり同意したりしなければ命を奪われることはないのだと、僕は知っていた。
『オマエハトベナイ』
「僕は飛べる」
 思い通りに行かない獲物に対して苛立ちが混じったソイツの声が更に続く。
『オマエハオチル』
「僕は落ちない」
 更に答えると、ソイツは錆びた機械が立てるような軋んだ笑い声を上げた。
『オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ…… ダカラ、オマエハ…… 』
 そこまでが限界だったのか、ソイツは風に引き剥がされるように離れていき、僕はようやく自由になった羽で体勢を立て直したのだった。

「まあ、どんなことにでも油断は禁物だし、危機に陥ったときは何より落ち着くことが肝心だってことさ」
 そう話を締めくくる僕に、彼女は少しだけ不気味そうに訊ねてくる。
「でも、ソイツってのは死に神か何かなの?」
「そんな高級なものじゃないよ、邪気が中途半端に形を取った、まあ低級な妖さ」

 だが、そんな妖が最後に告げたことを、僕は未だに忘れられないでいる。

 オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ
 ダカラ、オマエハ、アソコニハモウイケナイ

 恐らくは全ての羽人が最期に行くであろう場所に、僕はもう一度辿り着けるのだろうか。
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空と大地の狭間の僕ら

2013-09-18 23:13:13 | 即興小説トレーニング
 黄金と白金を紡いだような輝きを放つ太陽が浮かぶ、どこまでも広がる澄み渡った蒼空。
 僕はいつものように玄関の戸を開け、遥か眼下に広がる大地に向かって飛び降りた。

 すると、いつものように背中の薄い蜻蛉羽が密かに、しかし飛翔には充分な程の振動をはじめて風に乗る。爽快さは確かに認めるが、それは地上人が二本の足で大地を駆けるのと殆ど替わらない感覚だと羽人の一人である僕は思う。
 だから最近流行っているらしい、虫を使った地上人の飛翔は勘弁して欲しい。彼らは概して風の流れを読む能力に欠けているし、自らの羽を痛めて飛べなくなった代わりに虫を操るようになった羽人の誰よりも虫の扱いが下手だ。おかげで羽人同士なら滅多に発生しない飛翔中の衝突事故が激増して社会問題にまでなっていると聞く。確かに、虫を使った地上人の飛翔は僕も何度か見たことがあるが、大体は虫を扱い切れずに危なっかしい飛び方をしていた。あれでは事故が起きても仕方がないだろう。
 そんなことを考えていると、ちょうど向こうからふらふらと飛んでくる人影。蝶型の綺麗な羽は明らかに自前ではなかったし、羽人の居住エリアを飛べるほど飛翔技術があるようには見えない。

 何だか嫌な予感がしてその場を離れようとしたが、人影は僕を見付けるなり何事かを叫び、明らかに僕に向かって速度を上げて近付いてきた。あんなに急いだら静止可能速度を越えるだろうにと心配していると、案の定、愕然とした表情で止まることも出来ないまま、もの凄い勢いで突っ込んできた。
 そして、僕は、とんでもない衝撃を腹部に受けて危うく朝食と不本意な再会を果たしそうになりながらも何とかそれを抑え、気絶してしまった相手の虫を宥めながらゆっくりと地上を目指すことになった。

 気絶していた相手は地上に戻るとすぐ意識を取り戻し、状況を理解するなり僕に平謝りしてきた。
 年の頃は僕より少し下、十六、七才だろうか。地上人特有のしっかりとした骨格を持つなかなか可愛い少女だ。ただ、地上人のエネルギッシュさに時折圧倒される僕が可愛いと感じるのだから、きっと地上人の感覚ではあまり健康的とは言えない子なのだろう。
「あんな程度の飛翔技術で、よく羽人の居住エリアまで飛んで来れたね」
 感心よりは揶揄を含んだ僕の言葉に、彼女は俯いて答える。
「…… 虫を、操れなくて」
「だと思った。でも、それは君にとってだけでなく僕たちにとっても危険なことなんだ」
「ごめんなさい…… それでも、飛びたかったの」
「それなら、きちんと飛び方を覚えて欲しい」
 何なら僕が教えてあげても良いけど。こう付け加えたのは冗談のつもりだったが、彼女は表情を輝かせた。
「是非お願いします!」
 今さら前言を翻すわけにもいかぬまま言葉に詰まる僕に、彼女は更に言葉を付け加える。

「そしていずれ、私がどうして空を飛ぼうとしたのか、その理由を聞いてやって下さい!」  
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