何故に普段からドレス姿なのですかと思い切って訊ねたハリーに、殿下は心から不思議そうに答えた。
「何か問題でもあるのかい?」
確かに男性がドレスを着用することは珍しいようだが、わたしは小さい頃からドレスを着て暮らしていたし、アルベルトも似合うと褒めてくれたんだが。
そんな殿下の言葉に挫けそうになりながら、それでもハリーは果敢に質問を続ける。
「周囲の方々…… 、例えば陛下の御意向でしょうか?」
「いや、父上はわたしの存在を認めていらっしゃらないから」
実にあっさりと恐ろしいことを言い切る殿下の態度に言葉を失うハリー。しかし殿下は平然としたまま続ける。
「そもそも、わたしは随分と長い間、自分がこの国の王子であることすら知らなかったからね。実は王宮で暮らしはじめたのも、つい最近、母上が亡くなられてからなのさ」
殿下によると、この国の王妃は三人目の子ども、つまり殿下を産む少し前に病気療養の名目で王都から離れ、郊外の荘園で暮らしはじめたのだという。だから当然、殿下もそこで生まれ育った訳だ。
「正直、王宮の雰囲気はあまり好きになれない。でもまあ、父上や兄上が何も仰らないのを良いことに、随分と好きなようにさせて頂いているけどね」
それにアルベルトやハリーにも会えたし、悪いことばかりじゃないよと屈託のない笑顔を見せる殿下。ハリーもつられて口元に笑みを浮かべた、その直後。
「ところでハリー、王都で好きな男性は出来たかい?」
ついこの瞬間まで和んでいた場の雰囲気が一瞬で凍結する。思わず先ほど浮かべかけた微笑に氷柱(つらら)の冷たさと鋭さを添えながら答えるハリー。
「…… 残念ですが多忙を極めておりますので、なかなかそのような相手には巡り会えずにおります」
すると、ああ良かったと全く悪気のない笑顔のまま胸をなで下ろす殿下。
こういう事を言われた場合、相手が王族でも殴り飛ばすべきなのだろうか。そんな危険極まりない思考にハリーが陥りかけていると、殿下はハリーの思いなど全く気付いていない風に話を続ける。
「実はね、もうすぐ王都でカーニバルが行われるそうなんだ。各地から色々な人が訪れて、夜には花火も打ち上げられて、とても賑やからしいよ」
ハリーも楽しみだろう?そんな風に訊ねられると頷かざるを得ない。ここで思考を切り替えなければ本当に殿下に対して拳を振るってしまいかねないし、何より普段から賑やかな王都で行われるという華やかなカーニバルは、確かに想像するだけでも心が浮き立つ行事だった。
「わたしも話に聞くばかりで参加するのははじめてなんだけれど、実は広場で行われるダンスを踊るのが夢だったんだ」
ただ、わたしは普段からこんな姿だし、まさかアルベルトにエスコートを頼むわけにもいかないし、一体誰と踊ればいいのか悩んでいてね。そんな殿下の言葉にとてつもなく不穏なものを感じはじめるハリー。
「だからハリー、一緒に踊ってくれないか?」
嫌です。
などと打てば響くように答えるわけにもいかず、ハリーが何となく言葉を濁していると、殿下は寂しそうに微笑んで言った。
「…… アルベルトはね、元々は大公家の跡継ぎだったんだ。でも、数代前に没落した名ばかりの大貴族で、王室騎士隊に最年少で入隊したのも生活の為だったそうだ」
両親は早くに亡くなり、自分一人ならともかく歳の離れた妹にひもじい思いをさせないようにと苦労を重ねたアルベルトは、幾つかの幸運と揺るぎない実力で騎士隊長の座まで上り詰めたが、やがて一人の町娘に恋をしてその全てを投げ打つ決心をしたのだそうだ。
「もちろん、彼のことだから自分の地位と立場から最大限の”利潤”を得たらしいけどね」
要するに維持管理に手間がかかる家屋敷どころか爵位そのものまで売り払い、市井の小金持ちとして再出発を計ったと、簡単に言ってしまえば大体そうなるのだろうか。
「だから、その話を聞いたときは本当にアルベルトが羨ましかった。自分自身の誇りと大事な誰かを同時に守るなど、わたしには決して出来ないことだから」
その口調の苦さに、今更ながらハリーは殿下の苦悩を垣間見る。
既に父王の補佐として卓越した政治的手腕を発揮している王太子殿下、更に全軍を掌握する第二王子殿下。そこにいきなり幼い頃から王都を離れて暮らしていた第三殿下が現れたとしても、確かに己の居場所を見付けるのは困難だろう。有能なら有能なりに、無能なら無能なりに、結局はどちらに転ぼうと邪魔者扱いされるのが関の山だ。
「でもね、わたしはダンスなら得意なんだ」
だから出来ればハリーに一緒に踊って欲しいんだけれど、駄目かい?
そんな殿下の問いかけに、ハリーは覚悟を決めて答える。
「…… わかりました、お受けいたします」
途端に殿下の表情が輝き、どうやら本当にカーニバルで踊りたかったらしいと思う間もなく、いきなり抱きしめられる。細腕とはいえ男の力に振り解くこともままならず、されるがままになるしかないハリーの耳元で、殿下はこう囁いた。
「有難うハリー、ダンスの時はわたしの持っているドレスで一番良いものを着ていくからね」
落花、枝に返らず。
確か、そんな言葉が何処かの国の諺にあると、以前に兄上が教えて下さった。
子どものように遠慮無い力で自分を抱きしめ続ける殿下の腕の中で、何となくそんなことを考えてしまうハリーだった。