あられの日記

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府中高札場と称名寺

2011年04月17日 04時26分22秒 | 歴史散歩
旧甲州街道と府中街道の交わる場所に府中高札場はある。ここは東京都指定旧跡だ。
説明文があった。
「法度、掟書、犯罪人の罪状などをしるし、交通の多い市場、辻などに掲げた板札を高札といい、庶民の間に徹底させるためこれら高札を掲げる場所を高札場といった。これらは中世末期からあったが、江戸時代が最も盛んとなり明治3年(1870)廃止された。高札場は無年貢地で街道の宿場や村の名主宅前など目立つ場所に普通設置され、江戸には日本橋など6カ所の大高札場をはじめ35カ所に高札場があったという。
府中の高札場は、府中市において甲州街道と鎌倉街道の交差する所、大国魂神社旅所の柵内にあり、屋根を有する札懸けで、これに6枚ぐらいの高札が掛けられていた。 昭和62年3月20日 東京都教育委員会」

高札場で交差点を渡り北へ。しばらく歩くと称名寺がある。ここはしだれ桜が見頃を迎えていたので、4月5日の記事で紹介した。

現在一部工事中なのか、境内にトラックが止まってました。上の画像の左に、時宗を開いた一遍上人の像がありました。説明板発見。
「時宗称名寺
無住起立天慶3年。有信起立寛元3年。
開山道阿上人一光大和尚は都三井寺の法師にして法然上人の法門に入り後関東に下り寛元3年この道場に留り昼夜出離の大道を勧め又この道場を改め諸法山相○院称名寺と号す。寛元4年8月鎌倉より、恵信僧都の御作三尊の阿弥陀如来を安置し奉る。
伝うるところによれば当山は六孫王経基が武蔵介であったときの館跡という。現在の本堂は中興57世深蓮社入誉上人其阿円信老和尚が自ら蚕を飼い基金を作り明治初年に建立された向拝は昭和38年5月新築。
境内の地蔵堂は日限子地蔵尊をまつり、近隣の信仰が非常に厚い当山50世廓蓮社忍誉上人他阿万的大和尚が念持仏として木造の地蔵尊二体をつくりそれを石地蔵の台座の中にお納めしてある。昭和40年5月8日現在のコンクリートづくりの御堂に改築した。 府中観光協会 昭和53年3月」
え~と…。言葉が難し過ぎると思ったのは私だけ?

しだれ桜が綺麗だったのでもう一枚。

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