あられの日記

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渋沢栄一の青淵文庫

2013年06月08日 05時14分04秒 | レトロ建築
今日から3月からの桜散歩優先で途中でうっちゃってた「レトロ建築」を紹介します。
本日は青淵文庫です。
竣工時期:1925(大正14)年
所在地:東京都北区西ヶ原2-16-1
構造:鉄筋コンクリート・煉瓦造り・2階建て。
延べ床面積:約330平方メートル
青淵文庫は、渋沢栄一の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。1925(大正15)年の竣工で、栄一の書庫として、また接客の場として使用されました。
渋沢家の家紋「丸に違い柏」に因んで柏の葉をデザインしたステンドグラスが非常に美しい洋館です。
完成目前の1923(大正12)年、関東大震災に遭い工事は一時中断。震災の経験を生かして再工事が行われました。収蔵予定の書籍は保管先で焼失。栄一自身はここを書庫として利用する事はありませんでした。
当初収蔵されていた「論語」をはじめ多くの漢籍は、1963(昭和38)年、渋沢家から日比谷図書館に寄贈され、現在は都立中央図書館に所蔵されています。(渋沢史料館ホームページより)
所在地の番地を見てピンと来ずとも、北区の飛鳥山公園内にあると書けば分かり易いかも?
飛鳥山公園は桜の名所として有名です。私は3月23日の浅草界隈ー北区散歩で訪れました。
渋沢栄一(1840<天保11>ー1931<昭和6>とは、近代日本経済社会を築いた人です。あれこれと今も残る大企業を多数起業し、要職を歴任してます。ではさっそく青淵文庫の画像を紹介します。

青淵の由来は、「青淵」は渋沢栄一の雅号で、1858(安政4)ころ、当時栄一が住んでいた家(現・埼玉県深谷市)の下に淵があり、渕上小屋と呼ばれていたことにちなんで、従兄の尾高惇忠によってつけられました。
上の画像の扁額は栄一の揮毫によるものです。


 



 


ステンドグラスは渋沢家の家紋がモチーフ。柏の中央には「壽」の飾り文字、文字の周りにはどんぐり、唐草、雲がある。両側に昇り竜が。「竜門社」に因んでるらしい。

大理石に囲まれた電気ストーブ。大正時代の日本に電気ストーブがあったの??

渋沢家の家紋をモチーフにしたタイル。柏とどんぐりの実があしらわれた装飾タイルは「泰平タペストリータイル」という工房が製作。全ての工程が手作業。約2700枚のタイルです。



青淵文庫に入り「室内を撮影していいですか?」と尋ねたら階段部分と上の部屋はOKでした。

玄関部分(屋外)。

「壽」の文字が外のテラスにも隠れてました。

外観です。そっけない。この角度からだと装飾もないのだ。
別角度からだと。

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コメント
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