あられの日記

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犬猫供養

2012年03月10日 05時36分11秒 | 墓所巡り
回向院も本堂を探してて見つかったのは、わんちゃん猫ちゃんの大量の卒塔婆だった!!
…回向院の生き物なら何でも弔います!という姿勢の為か?それともペットなら場所を取らない!という都会の事情からか??ま、とにかく卒塔婆見て私は固まった!
 
ワンちゃん猫ちゃんだけでない。
こちらは小鳥供養塔。
丸い所に金色の鳥が羽ばたいてます。
小鳥供養塔の左手にも大量の卒塔婆が立てかけてありまして、そこにオウムとかウサギとか発見しました。他にもいたような~??あれ??思い出せん。やっぱ画像は残してないとダメですね。
回向院の門
こちらが正式な入り口ですね。京葉道路沿いです。こっちから来たら場所を探すことなかったかも~。先日の増上寺の記事を思い出して下さい。
回向院の門は、かつて増上寺の大門でした。関東大震災で倒壊の恐れが生じ移転したのです。ま。どっちにしても空襲で焼けたんだか…。
そんでもう一つ、回向院にあったのはコレ。
力塚(相撲関係石碑群)
群ということは、これ以外にもあったのか??あれ?見落としたか!?
説明板発見…墨田区と相撲の関わりは、明和5年(1768)9月の回向院における初めての興行に遡ります。以後、いくつかの他の開催場所とともに相撲が行われていました。
天保4年(1833)10月からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれ、賑わう人びとの姿は版画にも残されています。
明治時代に入っても、相撲興行は回向院境内で続いていましたが、欧風主義の影響で一時的に相撲の人気が衰えました。しかし、明治17年(1884)に行われた天覧相撲を契機に人気も復活し、多くの名力士が生まれました。そして明治42年(1909)に回向院の境内北に国技館が竣工し、天候に関係なく相撲が開催できるようになり、相撲の大衆化と隆盛に大きな役割を果たしました。
力塚は、昭和11年に歴代相撲年寄の慰霊のために建立された石碑です。この時にこの場所に玉垣を巡らせ、大正5年(1916)に建てられた角力記(すもうき)と法界万霊塔もこの中に移動しました。
現在は、相撲興行自体は新国技館に移りましたが、力塚を中心としたこの一画は、相撲の歴史が76年に渡り刻まれ、現在もなお相撲の町として動く両国の姿を象徴しています。
ですって。う~む。かつて国技館はここにあったのかぁ~。そう言えば、さっき訪問した富岡八幡宮でも書いてあったよね。

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