あられの日記

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秘密の名園で散歩

2009年10月06日 05時17分38秒 | 歴史散歩
池上本門寺には年に一度期間限定で公開される名園がある。
中央に池を配した回遊式庭園で、名園の造園で名高い「小堀遠州」が作った庭だ。
小堀遠州(1579-1647)
うわっ!安土桃山から江戸初期の人やん!なぜか明治から昭和初期の人だとばかり思ってました。
この人はあちこちで今も名園と名前の付く庭を残しています。
京都の桂離宮が有名です。
本門寺にある庭の名前は「松涛園」。4千坪に広がる渓谷に渓流と池を回遊し、元々ある自然の傾斜が山となる。庭に遠州茶道の極意を具現した名園なんですって。

私としては、庭を周回している回遊道を息を切らしつつ登っていると、後ろから聞こえてきた年配の男性の言葉が印象的でした。
「こりゃ~、六義園よりずっとたいへんだ」
同感です。

この庭には茶室が点在してます。
現在あるのは4つ。うち浄庵は平成4年4月に完成した茶室です。ここは国賓などを接遇出来る茶室で、法華思想である「水」にちなみ「浄庵」と命名されたそうです。
ですが、かつては他にも建物があったようです。
この庭には歴史好きなら絶対外せない場所があるのです。

時は風雲急を告げる幕末1868年3月13日(旧暦)。
池上本門寺には東征軍の本陣が置かれていた。つまり新政府軍です。
本門寺にあった茶室の一つで待っていたのは西郷隆盛。
やってきた客人は勝海舟。
ここで歴史的な会見が行われたのです。
議題は「江戸決戦」
そう、徳川幕府とやがて明治政府の中核となっていく官軍との最終決戦について。
ですが、平成の世の私達は知っています。
江戸決戦は行われなかったのです。
徳川幕府のてっぺんに君臨した将軍の家は、そのまま明治政府の御頭だった明治天皇の家となりました。
日本人は徳川幕府400年の象徴であった江戸城を、戦うことなく明け渡したのですよ。
その歴史的会見の第1回目がここで行われたのです。
あれ?
確か…。
会見って高輪の薩摩藩邸じゃなかったっけ??
調べました。
いつものWIKIで。
すると、あの会見は2回行われていたのです。
1回目が13日に池上本門寺で行われ、合意となったのが2回目の14日薩摩藩邸でのこと。

上の画像は歴史的な会見の跡地に立つ石碑です。
石碑に刻まれた字は昭和16年に西郷隆盛の甥西郷従道によるものだとか。
あ~、歴女としてはなかなかの萌えポイントでした。

歴史の現場を見学後、この名園で見つけた私の一押しは上の画像の石のたぬきだったりして。

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