すもも祭とは
夏の風物詩として親しまれている「すもも祭」は、毎年7月20日に行われます。その起源は平安時代の「前九年の役」にあります。源頼義・義家父子が、奥羽地方討伐の折に、大國魂神社に戦勝祈願をし、そのお礼詣りの神饌の一つがすももと会ったことによります。すももは古来より悪鬼を払う果物とされてきました。これにより境内にすもも市が立つようになったのが、この祭の名前の由来です。現在でも参道にはすももを売る店が軒を連ね、たくさんの人が訪れます。
当日神社では五穀豊穣・悪疫防除・厄除けの信仰を持つ「カラス団扇」「カラス扇子」を頒布しています。この扇を持ってあおぐと、農作物の害虫が駆除され、病人はすぐよくなると言われています。また玄関先に飾ると魔を払いその家に幸福が訪れると言われています」
ってなことで、すもも祭りを見に出かけました。JR南武線府中本町駅からまずは府中市郷土の森公園の修景池の蓮を見物後、大國魂神社さんに11時8分到着。
参道の途中に着いたので、まずは参道の左右に並ぶ屋台を眺めがてら、府中街道側の鳥居まで戻る。
なぜって、その方がお祭り気分が盛り上がると思うんだ〜。や、主観ですが。
ってなことで、すもも祭りに出てた屋台を気分で撮影してみる。
のしいか。
鮎の炭火焼。
ジャンボソーセージ。
お焼き。
参道を終点まで進むと、山門が。その先にはもう屋台はない。けどお参りの人々の行列がある。
並ぶ。
ふと?賽銭箱の隣にある花束に違和感が??
観察してみると?
花束は氷に閉じ込められていた。造花と予想する。でもこれが生花ならばすごい技術だよね?本当のところどうなのだろうか?もう溶けそうに暑いから目に涼しいのは嬉しいけども。
お参りが済んだら、私の一番の目的の売り場は〜?と??
あそこの列ですね。
ゲットです〜。購入する時に、「よくお参り下さいました」とお声をかけていただいた。やや。正確な言い回しは違ってたかも?
からす団扇・からす扇の起源
五穀豊穣・悪疫防除・厄除けの信仰を持つといわれる「からす扇・からす団扇」。そのいわれは今から約1200年前の歴史書「古語拾遺」という神話によるもので、内容は次のようなものです。
神代の昔、大地主神が田植えなさる時に、早乙女や田夫らをねぎらうために牛肉をご馳走した。ところが御祭神は、これをお聞きになり非常にご立腹なされて、田にイナゴを放ち、苗の葉をことごとく喰い枯らせてしまった。大地主神は大変驚かれて、何か神の祟りであろうといって卜者を呼んで占わせてみたところが「これは御祭神の祟りであるから白い猪・白い馬・白い鴉を献じてお詫びするがよろしい、されば怒りも解けるであろう」とお告げがあったので、その通りにしたところお怒りが解けたばかりでなく、イナゴの害を駆除する方法もいろいろ教えて下された。その方法の中に「鴉扇を持ってあおぐべし」と教えなさったとのことです。」
境内で見つけたすもも祭りのポスターです。
あと、境内で氏子さんがすもものかき氷を売ってました。名物のようで、行列ができてた。
せっかくなので、本社の周囲に配置してある摂社とご神木などの大木を見回り撤収。
最後に絵馬を見つけ大國魂神社さんの絵馬の絵柄を確認に。「大國魂神社」の「大國」は、大国主命からきてるのだね?というのがわかる絵柄でした。
時刻は11時36分。暑いので駅へ。このまま帰宅しても良かったんだけども、前から一度見てみたいと思っていた「登戸神社」さんへ。
前九年の役(1051-1062)とは?
源頼義・義家父子が朝廷より派遣され、奥羽地方の豪族安倍頼時と其の子貞任宗任らを討伐した戦役。平定した1062年まで実際には12年間断続した。後三年の役と共に源氏が東国に勢力を築く契機と成る。
今日の記事の解説文は、神社で府中市観光協会が配布していたチラシより全文転載させていただきました。
夏の風物詩として親しまれている「すもも祭」は、毎年7月20日に行われます。その起源は平安時代の「前九年の役」にあります。源頼義・義家父子が、奥羽地方討伐の折に、大國魂神社に戦勝祈願をし、そのお礼詣りの神饌の一つがすももと会ったことによります。すももは古来より悪鬼を払う果物とされてきました。これにより境内にすもも市が立つようになったのが、この祭の名前の由来です。現在でも参道にはすももを売る店が軒を連ね、たくさんの人が訪れます。
当日神社では五穀豊穣・悪疫防除・厄除けの信仰を持つ「カラス団扇」「カラス扇子」を頒布しています。この扇を持ってあおぐと、農作物の害虫が駆除され、病人はすぐよくなると言われています。また玄関先に飾ると魔を払いその家に幸福が訪れると言われています」
ってなことで、すもも祭りを見に出かけました。JR南武線府中本町駅からまずは府中市郷土の森公園の修景池の蓮を見物後、大國魂神社さんに11時8分到着。
参道の途中に着いたので、まずは参道の左右に並ぶ屋台を眺めがてら、府中街道側の鳥居まで戻る。
なぜって、その方がお祭り気分が盛り上がると思うんだ〜。や、主観ですが。
ってなことで、すもも祭りに出てた屋台を気分で撮影してみる。
のしいか。
鮎の炭火焼。
ジャンボソーセージ。
お焼き。
参道を終点まで進むと、山門が。その先にはもう屋台はない。けどお参りの人々の行列がある。
並ぶ。
ふと?賽銭箱の隣にある花束に違和感が??
観察してみると?
花束は氷に閉じ込められていた。造花と予想する。でもこれが生花ならばすごい技術だよね?本当のところどうなのだろうか?もう溶けそうに暑いから目に涼しいのは嬉しいけども。
お参りが済んだら、私の一番の目的の売り場は〜?と??
あそこの列ですね。
ゲットです〜。購入する時に、「よくお参り下さいました」とお声をかけていただいた。やや。正確な言い回しは違ってたかも?
からす団扇・からす扇の起源
五穀豊穣・悪疫防除・厄除けの信仰を持つといわれる「からす扇・からす団扇」。そのいわれは今から約1200年前の歴史書「古語拾遺」という神話によるもので、内容は次のようなものです。
神代の昔、大地主神が田植えなさる時に、早乙女や田夫らをねぎらうために牛肉をご馳走した。ところが御祭神は、これをお聞きになり非常にご立腹なされて、田にイナゴを放ち、苗の葉をことごとく喰い枯らせてしまった。大地主神は大変驚かれて、何か神の祟りであろうといって卜者を呼んで占わせてみたところが「これは御祭神の祟りであるから白い猪・白い馬・白い鴉を献じてお詫びするがよろしい、されば怒りも解けるであろう」とお告げがあったので、その通りにしたところお怒りが解けたばかりでなく、イナゴの害を駆除する方法もいろいろ教えて下された。その方法の中に「鴉扇を持ってあおぐべし」と教えなさったとのことです。」
境内で見つけたすもも祭りのポスターです。
あと、境内で氏子さんがすもものかき氷を売ってました。名物のようで、行列ができてた。
せっかくなので、本社の周囲に配置してある摂社とご神木などの大木を見回り撤収。
最後に絵馬を見つけ大國魂神社さんの絵馬の絵柄を確認に。「大國魂神社」の「大國」は、大国主命からきてるのだね?というのがわかる絵柄でした。
時刻は11時36分。暑いので駅へ。このまま帰宅しても良かったんだけども、前から一度見てみたいと思っていた「登戸神社」さんへ。
前九年の役(1051-1062)とは?
源頼義・義家父子が朝廷より派遣され、奥羽地方の豪族安倍頼時と其の子貞任宗任らを討伐した戦役。平定した1062年まで実際には12年間断続した。後三年の役と共に源氏が東国に勢力を築く契機と成る。
今日の記事の解説文は、神社で府中市観光協会が配布していたチラシより全文転載させていただきました。
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