丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩で小石川植物園へ。
前回は北側の白山駅で下車して、あまりの坂にすんごく大変だったので今度は南側の茗荷谷から行くことにした。
桜で有名な播磨坂を下り、植物園の入口へ。
『小石川植物園』
開園日時:1月4日~12月28日 午前9時~午後4時半(入園は午後4時まで)
温室公開は火曜~土曜 午前10時から午後3時(祝日は閉室)
休園日:月曜日(祝日の場合は、その翌日)
入園料:大人(中学生以上)330円、小人(6才以上)110円 団体割引あり
さて、ここが目的地だったのは、ある木を探すため。
これがこんなに大変だったとは…。
実は2度目の挑戦です。
まず、前回2008年5月27日の奮闘を確認して欲しい。
小石川植物園
という事で、前回は棗の木を探せなかったのです。
さすがにあれ程広い敷地の中で、1本の木を探す困難さは予想通りでして、しかも!
5月だと特徴的な実もついていない。だから実のなる秋に行こうと思っていたのですが、ええ、あの直後、2008年5月28日に脳梗塞を発症してぶっ倒れてしまいました。
今思えば、白山駅からの登り坂でギブアップ寸前まで辛かったのは、相当具合が悪かったためなのですが、まさか己の身体がそんな状態だとは思いも寄らず…。アホウにも病院へ行かずに倒れちゃったんですよ。
幸い症状は軽く、1ヶ月の入院で済んだのですが、1月もほぼベッドの住人だったおかげて体力が激減。とても去年の初秋の頃は園内に坂だらけの小石川植物園を再訪する体力は戻ってませんでした。
なので、今年の秋、改めて小石川植物園を再訪したのです。
その前に、運行寺の和尚さんに『棗の木の所在』を聞いてからでないと見つけることは出来ない。と、今度は小石川植物園で売っている大きめの地図を持参して始めに浅草の運行寺さんへ向ったのですよ。
が!
和尚さんは不在でした。
応対して下さったのは年配の女性。
私「中国の山西省の玄中寺の庭の棗の実をこちらの先代の住職が静岡の横山大観に育ててもらった木を探してるのですが…」
女性「あの木はもうこちらにないんですよ」
私「ええ、知ってます。前回、こちらの住職に伺いました。それで小石川植物園に移植したと伺いまして」
女性「ええ、そうです」
私「今日、小石川植物園の地図を持参しましたので、移植した場所を教えていただきたいんですが…」
女性「わからないんですよ」
私「はっ!?」
女性「私も場所がわかれば見に行きたいんけどね」
まてまてまてまてまて!
確か以前お寺の住職は場所を知っている感じだったのに。
なんで~?
いや、どこかのブログに浄土宗の祖庭のお寺繋がりで運行寺に訪問した人が、住職と共に件の棗の木を見たと書いてあったし…。
運行寺さんは別名『なつめでら』と言って、それはこの棗の木に由来しているハズです。なのに、肝心の木の所在がお寺の人もわからないって…。
ぼうぜん…。
みたいなやり取りがあって、女性は地図も見てくれなかったのですよ。
あ~~。
念のため、この女性の弁明しときます。
(決して彼女に対し、私は悪意ある書き方をしてないです。いや、この日の夕方には、この女性は良心で私にああ言ったんだと思いました。でもこの時はただ突き放されたとしか思えず…。お寺がこんなに一般庶民に冷たい対応するんだ…とショックも受け…。どう書いていいのか、どう順番していいのかまだ消化しきれてないんだけどね)
続けます。
さて、困った…。
でも…。
木は確かに小石川植物園に移植されたのは確か。
というようなことがありまして…。
あまりのショックに自分を立て直すべく、かっぱ橋道具街をぶらついていたのです。
そんで、心落ち着いた頃…。
やはり…。
ここは一つ、実のなっている今の時期に再挑戦するしかないでしょう~!
と、気持ちを立て直し予定通り、小石川植物園を再訪しました。
まず、前回2008年5月の訪問時にはいかなかった場所へ。
前回は入口から坂を直進したので、入口を左へ。
まず現れたのはメタセコイア林。
メタセコイアは全国植樹祭で昭和天皇が植えまくったので、現在は日本中で観られますが、そもそもこの木は生きた化石と呼ばれる程世界的に珍しいのです。
ここ、小石川植物園は日本最古であり、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つで、珍しい木が沢山あります。なにしろ、今から309年前の1684年に徳川幕府がこの場所に設けた「小石川薬園」が前身ですから。
その後現れたのはハンノキ並木。
ハンノキ~~!!
私、これのレベル2のアレルギー患者なんですよ。レベル2と言ってもほぼレベル3よりの、杉花粉症よりレベルの高い患者です。なので、ハンノキが花粉を飛ばす3月中旬にはマスク付きでも注意しないとダメなのね。
今の時期、近寄っても大丈夫ですが、気持ちはとってもブルー。
あ、なんじゃこりゃ!
ラクウショウです。
これ、新宿御苑にもあるんだよ。ちなみに、メキシコ原産。
歩きながらくまなく、棗の赤い実を探します。
棗の葉も特徴がありますが、全ての木を1本1本確かめてたら、全く進めません。
あ、旧東京医学館本館が見えて来ちゃった~…。
あそこは出口です。
仕方ない。
坂を上るか。
園内は散策路が縦横に走っていて、坂も何本もあります。出来るだけ緩い坂を選んで上がると、そこにあったのは、
震災記念碑でした。
これは大正時代に関東一円を襲った関東大震災のもの。
ここ小石川植物園は、被災者の避難場所となったのです。
さすがに日没までに自力で1本の木を探すのは無理だ。
なにしろ、ここは敷地が161,588平方メートル(48.880坪)もありますから!
探している棗の木は中国原産の木です。
せめて植えた時に原産地や植生の似通った物をまとめ手植えてれば、その区画さえ特定出きれば…。
一縷の望みをかけ、本館の受付で尋ねることにしました。
(つづく)
前回は北側の白山駅で下車して、あまりの坂にすんごく大変だったので今度は南側の茗荷谷から行くことにした。
桜で有名な播磨坂を下り、植物園の入口へ。
『小石川植物園』
開園日時:1月4日~12月28日 午前9時~午後4時半(入園は午後4時まで)
温室公開は火曜~土曜 午前10時から午後3時(祝日は閉室)
休園日:月曜日(祝日の場合は、その翌日)
入園料:大人(中学生以上)330円、小人(6才以上)110円 団体割引あり
さて、ここが目的地だったのは、ある木を探すため。
これがこんなに大変だったとは…。
実は2度目の挑戦です。
まず、前回2008年5月27日の奮闘を確認して欲しい。
小石川植物園
という事で、前回は棗の木を探せなかったのです。
さすがにあれ程広い敷地の中で、1本の木を探す困難さは予想通りでして、しかも!
5月だと特徴的な実もついていない。だから実のなる秋に行こうと思っていたのですが、ええ、あの直後、2008年5月28日に脳梗塞を発症してぶっ倒れてしまいました。
今思えば、白山駅からの登り坂でギブアップ寸前まで辛かったのは、相当具合が悪かったためなのですが、まさか己の身体がそんな状態だとは思いも寄らず…。アホウにも病院へ行かずに倒れちゃったんですよ。
幸い症状は軽く、1ヶ月の入院で済んだのですが、1月もほぼベッドの住人だったおかげて体力が激減。とても去年の初秋の頃は園内に坂だらけの小石川植物園を再訪する体力は戻ってませんでした。
なので、今年の秋、改めて小石川植物園を再訪したのです。
その前に、運行寺の和尚さんに『棗の木の所在』を聞いてからでないと見つけることは出来ない。と、今度は小石川植物園で売っている大きめの地図を持参して始めに浅草の運行寺さんへ向ったのですよ。
が!
和尚さんは不在でした。
応対して下さったのは年配の女性。
私「中国の山西省の玄中寺の庭の棗の実をこちらの先代の住職が静岡の横山大観に育ててもらった木を探してるのですが…」
女性「あの木はもうこちらにないんですよ」
私「ええ、知ってます。前回、こちらの住職に伺いました。それで小石川植物園に移植したと伺いまして」
女性「ええ、そうです」
私「今日、小石川植物園の地図を持参しましたので、移植した場所を教えていただきたいんですが…」
女性「わからないんですよ」
私「はっ!?」
女性「私も場所がわかれば見に行きたいんけどね」
まてまてまてまてまて!
確か以前お寺の住職は場所を知っている感じだったのに。
なんで~?
いや、どこかのブログに浄土宗の祖庭のお寺繋がりで運行寺に訪問した人が、住職と共に件の棗の木を見たと書いてあったし…。
運行寺さんは別名『なつめでら』と言って、それはこの棗の木に由来しているハズです。なのに、肝心の木の所在がお寺の人もわからないって…。
ぼうぜん…。
みたいなやり取りがあって、女性は地図も見てくれなかったのですよ。
あ~~。
念のため、この女性の弁明しときます。
(決して彼女に対し、私は悪意ある書き方をしてないです。いや、この日の夕方には、この女性は良心で私にああ言ったんだと思いました。でもこの時はただ突き放されたとしか思えず…。お寺がこんなに一般庶民に冷たい対応するんだ…とショックも受け…。どう書いていいのか、どう順番していいのかまだ消化しきれてないんだけどね)
続けます。
さて、困った…。
でも…。
木は確かに小石川植物園に移植されたのは確か。
というようなことがありまして…。
あまりのショックに自分を立て直すべく、かっぱ橋道具街をぶらついていたのです。
そんで、心落ち着いた頃…。
やはり…。
ここは一つ、実のなっている今の時期に再挑戦するしかないでしょう~!
と、気持ちを立て直し予定通り、小石川植物園を再訪しました。
まず、前回2008年5月の訪問時にはいかなかった場所へ。
前回は入口から坂を直進したので、入口を左へ。
まず現れたのはメタセコイア林。
メタセコイアは全国植樹祭で昭和天皇が植えまくったので、現在は日本中で観られますが、そもそもこの木は生きた化石と呼ばれる程世界的に珍しいのです。
ここ、小石川植物園は日本最古であり、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つで、珍しい木が沢山あります。なにしろ、今から309年前の1684年に徳川幕府がこの場所に設けた「小石川薬園」が前身ですから。
その後現れたのはハンノキ並木。
ハンノキ~~!!
私、これのレベル2のアレルギー患者なんですよ。レベル2と言ってもほぼレベル3よりの、杉花粉症よりレベルの高い患者です。なので、ハンノキが花粉を飛ばす3月中旬にはマスク付きでも注意しないとダメなのね。
今の時期、近寄っても大丈夫ですが、気持ちはとってもブルー。
あ、なんじゃこりゃ!
ラクウショウです。
これ、新宿御苑にもあるんだよ。ちなみに、メキシコ原産。
歩きながらくまなく、棗の赤い実を探します。
棗の葉も特徴がありますが、全ての木を1本1本確かめてたら、全く進めません。
あ、旧東京医学館本館が見えて来ちゃった~…。
あそこは出口です。
仕方ない。
坂を上るか。
園内は散策路が縦横に走っていて、坂も何本もあります。出来るだけ緩い坂を選んで上がると、そこにあったのは、
震災記念碑でした。
これは大正時代に関東一円を襲った関東大震災のもの。
ここ小石川植物園は、被災者の避難場所となったのです。
さすがに日没までに自力で1本の木を探すのは無理だ。
なにしろ、ここは敷地が161,588平方メートル(48.880坪)もありますから!
探している棗の木は中国原産の木です。
せめて植えた時に原産地や植生の似通った物をまとめ手植えてれば、その区画さえ特定出きれば…。
一縷の望みをかけ、本館の受付で尋ねることにしました。
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます