2018年4月21日、かねてより念願だった寛永寺の徳川将軍家のお墓に特別参拝。説明のお坊さんについて5代綱吉公・8代吉宗公・家定&篤姫夫妻の墓に参拝を終えたら時刻はすでに15時44分になっていた。この後観光するには時間がない。ダンナに「谷中墓地に15代将軍徳川慶喜のお墓があるよ?」と聞いたら「見たい」というので慶喜のお墓に参拝することに。
しばし考える。
私の知る慶喜のお墓に行き方は、谷中墓地の管理事務所前からいく方法ですが、現在地は寛永寺なのです。ならば、旧寛永寺の墓地からも行けるハズ。根津神社のつつじ祭りの本部テントでいただいた根津権現かいわい浪漫ちっくマップを眺めたら、言問通りの向こうに桜並木と書かれており、そこからいけそうだ。レッツトライ!
その前に軽くお勉強。谷中墓地とは? 谷中墓地は旧称で、1935年以後は都立谷中霊園に改称。都立霊園の他に天王寺墓地と寛永寺墓地を含む。
桜並木を抜けて右手の乙11号1側に渋沢栄一の墓がある。トップ画像です。墓石に「青淵(せいえん)渋沢栄一」と彫ってありますね。青淵は渋沢栄一の雅号です。彼の偉業は既出記事の北区飛鳥山公園の渋沢史料館と晩香廬・青淵文庫見学で紹介済みです。
飛鳥山公園のある晩香廬(2013年6月9日)の記事 こちらの記事に渋沢栄一の立像の画像があります。飛鳥山の青淵文庫・晩香廬・澁澤史料館3館合わせて入場料300円)桜の季節は飛鳥山いいですよ〜。おすすめは澁澤史料館の2階から眺める桜です。
明治期の実業家であり政治家であり会社のコンサルタントでもある明治の著名人でしたが、実は若い頃には徳川慶喜に仕えてたのですよ。なので慶喜つながりでお墓参りしたかったのね。
訪問した2018年4月21日の渋沢家の墓所はこんな感じ。手前が区画整理中なのかな?ぽっかり空き地になってました。渋沢栄一のお墓は上の画像で3つ並んでる墓石のうち、太陽が当たってるやつです。
旧寛永寺の墓地だった場所にあります。
次のお墓へ移動〜。
ちょっと待て!慶喜と渋沢栄一のかかわりについてもう少し書いておくべきか?
では渋沢栄一年表
1840年(天保11)2月生まれ。現在の埼玉県深谷市に養蚕を兼業する豪農家の長男。
実家が豪農だったので、商才が求められ父と共に小さい頃より商売に携わり、叔父から漢籍を学ぶ。
14歳の時には単身で仕入れするほど優秀。18歳で従妹と結婚。
文久元年(1861)、江戸に出て千葉道場にて北辰一刀流に入門。修行の傍勤皇志士と交友を結ぶ。
元治元年(1864)、一橋慶喜に仕える。
慶応2年(1866)、徳川慶喜征夷大将軍になり、栄一は幕臣になる。
慶応3年(1867)徳川昭武(慶喜の異母弟・後の水戸徳川家11代当主)に従ってフランスへ。(パリ万博使節団)
明治元年(1868)昭武と共にヨーロッパ各国を訪問し先進的な産業・軍備を視察するも明治維新により新政府から帰国を命じられフランスより帰国。静岡で慶喜に面会。静岡藩より出仕することを命じられるが慶喜より「自分の道をゆけ」といわれ静岡にて商業活動開始。
明治2年大隈重信により明治新政府にスカウトされる。以後、政治家と実業家に邁進する。
では徳川慶喜のお墓〜、ん??近くに老中阿部正弘のお墓があるではないか!幕末といえば阿部正弘もはずせない。現在NHK大河ドラマ「西郷どん」では藤木直人さんが演じてらっしゃいますね。行ってみよう!
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