あられの日記

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ライト兄弟に先駆けて飛行機を!二宮忠八って知ってる?

2022年06月30日 05時52分35秒 | 展覧会&観光施設&能楽
郷土の有名人ですが、私は知らなかったです。去年の秋、財田町の香川用水記念館で資料があったので読んだだけ。先日、国営讃岐まんのう公園のアジサイ見物に出かけました。帰りに家に直行するのはもったいないと立ち寄ったのが二宮忠八飛行館です。

実は訪問したら国道32号線沿いの道の駅「空の夢もみの木パーク」に隣接して飛行館が。反対側には二宮飛行神社がありました。道の駅なので駐車場が広くて便利です。では早速。
入館料は一般200円。子供100円。開館時間は10:00-16:00。休館日は毎週水・木曜。
こういうのって勉強と思うと敬遠しがちですが、入館券にグッとくる言葉が印刷されてまして。若い頃、毎晩飛行器に乗る夢を見た。
今、初めて飛んだ気持ちは
夢で見たのと少しも違わなかった。(生涯一度だけ飛行機に乗った二宮忠八の感想)
入館料を支払う窓口の隣に、不似合いな御朱印が置かれてまして。この謎は後で解けたのですが、御朱印集めしてる人は結構おすすめやもしれません。ここの飛行神社の御朱印と、京都の八幡市の飛行神社の御朱印が対になっています。
さてと。なぜに二宮忠八はライト兄弟に遅れをとったのか?を知るために、彼の年譜をちょっとだけ詳しく書きますね。
二宮忠八年譜
1866年(慶応2)愛媛県八幡浜市に生まれる。
1879年(明治12)14歳のとき、父死去。活版屋の小僧になる。
1881年8明治14)16歳の頃、凧を貼って書籍代を稼ぎ、「忠八凧」と持て囃される。
凧にチラシを載せて、上空でチラシをばら撒く仕組みとなってます。
1887年(明治20)21歳のとき、香川県丸亀の陸軍歩兵第12連隊第一大隊看護卒として入隊。
1889年(明治22)23歳のとき、野外演習の帰途、仲多度郡十郷村のもみの木峠で滑空するカラスの姿を見て、飛行原理を発見。
1891年(明治24)25歳のとき、丸亀練兵場でカラス型模型飛行器の飛行実験に成功。

1893年(明治26)玉虫型飛行器を完成。

1894年(明治27)28歳のとき、日清戦争勃発。京城に出征。飛行器採用の上申書を大島旅団長に提出するが、却下される。
1898年(明治31)32歳のとき、軍隊を退役し、独力で飛行器を完成することを決意。大阪の大日本製薬に入社。
1900年(明治33)34歳のとき、京都府八幡市に転居。飛行器製作所を設営。
1903年(明治36)37歳のとき、ライト兄弟飛行に成功のニュースをきく。
1915年(大正4)49歳のとき、自宅に祠を建て、航空殉難者の霊を祀る。
1919年(大正8)53歳のとき、白川義則大将に飛行機の発明の功を認められる。
1927年(昭和2)61歳のとき、自宅内の祠を飛行神社とし、以来航空殉難者の慰霊祭を行う。
1936年(昭和11)70歳で死去。
館内に展示されてました。
こちらは男鹿和雄さんのイラスト。宮崎アニメの背景の人。トトロに出てきためいちゃんがとうもろこし抱えて奥から走ってきそう。
こちらは玉虫型飛行機の模型です
館内には有名な飛行するあれこれの模型もありまして。上の画像は右が南北戦争の熱気球。左がダ・ヴィンチのヘリコプター。
奥がヒンデンブルク号。手前左がライトフライヤー。
さてと満足したので次は飛行神社へ行ってみよう。
道の駅「空の夢もみの木パーク」で配布してたチラシによりますと、この二宮飛行神社は京都府八幡市の飛行神社の分社として、空の安全を祈願。
御祭神は「天の岩船」に乗り天下ったと伝えられる饒速日命(ニギハヤヒノミコト)。

飛行器の模型を作ってあるのね。
さてと。満足したのでこの後道の駅で買い物して帰宅しました。

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