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四川大地震ですっかり有名になった「都江堰」ですが、そもそも都江堰とはなんぞや?が全く紹介されないのが残念なので、解説します。
「都江堰は成都市の北西約60キロにある。紀元前3世紀の戦国時代、秦の昭王の時代に李氷、李二郎親子によって造られたと伝わる古代の水利施設のこと。
都江堰市内を流れる岷江をせき止めて分流したもので、2000年余りを経た今でも、その機能を果たして、四川盆地をうるおしている。全貌は上の地図の右手、近くの二王廟から見ることが出来る。
少し詳しく解説すると、現在の都江堰は魚嘴分水堤で分水され、春期には6割の水量が内江に入り、夏、秋の増水期には逆に6割が外江に入る。分水の目的は増水時の調節と、泥水をなるべく外江に流すことにある。内江を流れた水土は飛沙堰でさらに調節され、水中の泥が排出される。
離堆には岩盤を穿って2分され、瓶の口のようになった宝瓶口という取水口があり、内江の流れはここに流れていく。ここでも増水時の水量が調節される。
現在の都江堰は李氷の時代からは変化していると考えられ、一説では910年の大洪水のときに堰を移動させた時のものであるとされる。
中国4000年、奥が深いです。さて、地震後、これらの施設がどうなったか、全然ニュースに流れないのが、つくづく残念です。
「都江堰は成都市の北西約60キロにある。紀元前3世紀の戦国時代、秦の昭王の時代に李氷、李二郎親子によって造られたと伝わる古代の水利施設のこと。
都江堰市内を流れる岷江をせき止めて分流したもので、2000年余りを経た今でも、その機能を果たして、四川盆地をうるおしている。全貌は上の地図の右手、近くの二王廟から見ることが出来る。
少し詳しく解説すると、現在の都江堰は魚嘴分水堤で分水され、春期には6割の水量が内江に入り、夏、秋の増水期には逆に6割が外江に入る。分水の目的は増水時の調節と、泥水をなるべく外江に流すことにある。内江を流れた水土は飛沙堰でさらに調節され、水中の泥が排出される。
離堆には岩盤を穿って2分され、瓶の口のようになった宝瓶口という取水口があり、内江の流れはここに流れていく。ここでも増水時の水量が調節される。
現在の都江堰は李氷の時代からは変化していると考えられ、一説では910年の大洪水のときに堰を移動させた時のものであるとされる。
中国4000年、奥が深いです。さて、地震後、これらの施設がどうなったか、全然ニュースに流れないのが、つくづく残念です。
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