説明板発見:披雲閣 平成24年重要文化財指定
松平藩時代にも、この地に披雲閣と呼ばれる広大な建物(現在の披雲閣の約2倍)があり、藩の政庁及び藩主の住居として使われていましたが、明治時代に老朽化のために取り壊されました。その後、松平家第12代当主で貴族院議長も勤められた松平頼なが氏により、3年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて現在の披雲閣が大正6年(1917)に完成しました。この豪壮な和風建物には142畳敷の大書院を初め、槙の間・蘇轍の間などの雅趣を生かした各部屋があり、波の間には昭和天皇・皇后両陛下がご宿泊になられたこともあります。
昭和29年(1954)に城跡とともに高松市に譲渡されて、現在は会議・茶会・生花展などの会場として利用されています。」
時刻はまだ10時前だからかな?入口が閉まってます。
中は見れそうにないので、周囲を迂回するように進む。
古いロマンガラス。
お、蘇轍です。ということは奥のがソテツの間かもしれないね。
何かある。説明板発見:銀閣寺型手水鉢 幅と奥行きは約1、5メートル。高さが2メートル。水穴の直径は約90センチで、深さは約40センチ。重さは約11トン。
相模原在住時代、明治の邸宅を見物し回りましたが、明治のお庭は巨岩がポイントです。どこからどれだけ大きな石を運んできて庭に設置したか、どこもさりげにいやこれみよがしに設置した庭も多いんだよね。ここの石は敷石かな?大きいです。
あ。2階もあるんだ。そんでガラス窓も大きくて一杯です。巨額を投入して建てたというだけありますね。
さてと?大正6年に建築された披雲閣は庭園もありまして、同じく大正6年ごろに作庭された枯山水の庭です。
けど庭は今回はチラ見で済ませました。
次の目的地は月見櫓です。昨日の記事で紹介したように高松城は日本三大水城の一つ。月見櫓は藩を出入りする船の監視や江戸から船で戻ってくる藩主を望み見たので「着見櫓」とも言われています。(続く)
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