かつて存在した旧三井家別荘地区&旧吉田茂邸のある城山公園を後にする。次なるは大磯の旧別荘群跡を散策します。
大磯は明治ー大正ー昭和初期にかけ、数多くの著名人が別荘を構えました。著名人、華族・旧公家に大名、明治政府官僚に財界人。更には歌舞伎役者や作家などです。
ことの起こりは明治18年(1885)に松本順の人脈から大磯で別荘所有が広まった事。
明治20年(1887)に大磯駅が開業されたこと。
なにしろ大磯には8人もの首相が別荘もしくは邸宅を持ってました。8人とは、伊藤博文・山縣有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明・吉田茂です。錚々たるメンバーです。
とはいえ、現存してる当時の建物はほんのわずかです。原因は大正12年に発生した関東大震災。海辺ですから、地盤も弱かったのかな?豪華な別荘はほとんど全壊もしくは大破したようです。その後別荘群は復旧することなく、名義移動や個人・企業に売却されていきました。更には日本が戦争に突き進んでゆき、戦後の財閥解体です。大磯の別荘群の全盛期に戻る事はなかったようです。
とはいえ、NHKの娯楽歴史散歩番組『ブラタモリ』で、タモリさんが再三口にする痕跡が街に残ってるハズなんだよね。
ま。こういうのは地元の歴史に詳しい人に案内してもらうのが一番なのですが、つてがないので凡その推理と妄想で補って散歩開始です。
午後12時32分、梨本宮跡地に到着です。
とはいえ一体は最近個人の家に分割されたようです。一角に新しい住まいが建ってます。
痕跡?あえていえば、道と区画ですかね?
梨本宮邸(大正2年・宮家陸軍大将梨本宮守正氏)は旧吉田茂邸と小川を挟み東側にありました。一旦整地して土地を小分けにして販売したのかな?梨本宮邸の頃の名残りを探してうろいていみましたが、見つかりませんでした。
画像奥、道を進むと道が途切れ、道の先に空だけ写ってますね。実はこの場所に石段があります。降りた所は西湘バイパスです。
道に沿う様に伸びる細い路は、太平洋岸自転車道です。
ここを駆け抜ける自転車とランナー。気持ちいいんだろうなあ~。
海と松林を眺めつつ東へと進みます。松林に見慣れない野鳥が追いかけっこしてました。冬は野鳥観察には最適ですよね?すぐ見つかるし。種類も豊富。こんな時、望遠機能のあるカメラが欲しいよな。
って…。え~と??おそらくぼちぼち旧伊達宗陳邸&旧清水萬之助邸跡のハズなのですが…。左側は松林!しかも高低差があって、松の向こうの様子はわからないっ。しかも手持ちの大磯旧別荘群地図は簡略地図で、邸宅跡の区画がどこからどこまでだか分からない。あまつさえ、左折出来る場所もないっ!!
ええ~~~!???どうなってるんだぁ~~~~っ!!
と・とととと、ともかく次に左へ行けそうな階段を見つけたら上がろう!
そうなのね。なんちゃって簡略地図には道があるけど、肝心の道がないの~~~。
軽くパニクりました。ンで、左折出来る道は、普通に狭い石段でした!まかさ~~~??と及び腰で石段を上がります。何しろ、吾妻山の上り下りのダメージがまだあって、出来る限り上り下りしたくないのだよ。
ってな事で石段を上がった先、東側にあったのは、こゆるぎ緑地でした。
なんつーか??ここ変わってる!
なんかね。西湘バイパスに沿った狭い公園。海の防風林?の松林なのです。最近植えたばかりの小さな松が多いようです。でもベンチがあって人もほとんどないからのんびりとちょっと休憩しました。なんかいきなり非日常空間です。
さて?
地図によりますと…。こゆるぎ緑地の北側が旧池田成彬(大正6年。大蔵大臣。三井銀行常務)と西園寺公望(第12・14代内閣総理大臣。明治32年。伊藤博文の滄浪閣の隣に建築されたことにより『隣荘』と呼ばれた。)の別荘跡なハズ。名残りはあるのかな?
こゆるぎ緑地の端っこは細い路が旧東海道と海を繋いでました。ちなみに、上の画像右は駐車場。つーか??この道であってるのか?こんなショボい道。そうそう街中に残ってるハズがない!
いや。目の前にあるんですけどね?
だって地図があってたら、この右手はあの伊藤博文の別荘地なのですよ?んで左側が西園寺公望邸。なぜに道がこないにショボいのか???
不信感たっぷりで奥(旧東海道側)へと進む。と?
さきほどの古いコンクリート塀の腰回りが、丸積みの石垣に変化した。
あ・会ってるのかな~~??
道の区画は痕跡が残り易いとタモリさんもブラタモリで再三言ってます。
あ?
廃墟発見!!
表札も外されてて誰のお宅か分からない?ンでもこれ、もしかしたらば池田成彬さんちじゃないのかな?なんちゃって別荘群地図に出てる分かりにくいありし日の建物画像に似てるんだけど~??
こうね。ブラタモリはタモリさんと女性アナウンサーだけのぶらぶら散歩でなく、必ず詳しいその道の人が同行してるのですよ。あれがあるから楽しさ倍増なのね。
おのれの知識の足りなさにがっくり視線を足元へ落とすと?足元が土の道じゃない!これって石畳じゃないの~?
足元の細い土の道の様子が変わってました。上の画像左側の石垣が、旧東海道から廃墟へ至るのです。あ。さっきの土の道の旧東海道側の出口です。
石垣スキーの萌えが降りてきちゃった!!
ヨーロッパにおいて、かつてローマ軍が遠征しつつ建設しまくった石の構造物は、今でも結構残ってるものです。
日本においても、石の構造物ってそのまま残ってあったりするよな?
この石の組み方って、結構手間ひまかけてるし、お金もかかる組み方だよな??
たぶんこれ、左側は旧池田邸だが旧西園寺邸だかで会ってるわ。
だって、右側で証拠が見つかってしまいました~~!!
はい。今日のトップ画像の石碑です。読みます。
伊藤公滄浪閣之旧蹟です!
や~、合ってたよ~。つーか、あのショボい道こそ明治の痕跡だったのな。
さて。かつての伊藤博文邸もまた現存してません。それが当たり前って思ってたんだけどね?
こんな形で残ってました!
並びの同じ敷地に立つ既に使われてなさそう~な建物です。
ところで、伊藤博文の滄浪閣って、小田原と横浜市金沢八景で見たことあるんだけど~??え~と??
伊藤博文別邸跡(2011年11月7日)の記事こちらは小田原の。
旧伊藤博文別荘(2013年1月4日)の記事 こちらは野島公園にある伊藤博文の復元した別荘です。
目の前は旧東海道。しかも松並木が現存してます…。
大磯町。結構謎だらけ!
明日もブラタモリで大磯旧別荘跡散策です。
2018年10月31日追加情報:今年は明治維新150年です。記念して大磯庭園周遊イベントが開催されてます。
期間:2018年10月23日〜12月24日
会場:明治記念大磯庭園(大磯町西小磯85)
開園時間:9:00−16:30
休園日:水曜日
入園料:無料
主催:国土交通省
ブラタモリリターンズともいうべき「湘南」が10月半ばに放映されました。番組内でタモリさんが訪れた大隈重信邸も公開されてます。WEBページに申し込めば、邸宅内ガイドツアーがありますので、この機会にぜひ訪れてください。私は10月27日にこのガイドツアーに参加。大隈重信邸と陸奥宗光邸は屋内見学、伊藤博文邸は外観見学です。90分でガイドさんが案内。合わせて庭園自由見学のチケットと大隈重信と伊藤博文が大磯で撮影した絵葉書をいただきました。いまだけの特別な体験です。ぜひ参加してみては?
大磯は明治ー大正ー昭和初期にかけ、数多くの著名人が別荘を構えました。著名人、華族・旧公家に大名、明治政府官僚に財界人。更には歌舞伎役者や作家などです。
ことの起こりは明治18年(1885)に松本順の人脈から大磯で別荘所有が広まった事。
明治20年(1887)に大磯駅が開業されたこと。
なにしろ大磯には8人もの首相が別荘もしくは邸宅を持ってました。8人とは、伊藤博文・山縣有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明・吉田茂です。錚々たるメンバーです。
とはいえ、現存してる当時の建物はほんのわずかです。原因は大正12年に発生した関東大震災。海辺ですから、地盤も弱かったのかな?豪華な別荘はほとんど全壊もしくは大破したようです。その後別荘群は復旧することなく、名義移動や個人・企業に売却されていきました。更には日本が戦争に突き進んでゆき、戦後の財閥解体です。大磯の別荘群の全盛期に戻る事はなかったようです。
とはいえ、NHKの娯楽歴史散歩番組『ブラタモリ』で、タモリさんが再三口にする痕跡が街に残ってるハズなんだよね。
ま。こういうのは地元の歴史に詳しい人に案内してもらうのが一番なのですが、つてがないので凡その推理と妄想で補って散歩開始です。
午後12時32分、梨本宮跡地に到着です。
とはいえ一体は最近個人の家に分割されたようです。一角に新しい住まいが建ってます。
痕跡?あえていえば、道と区画ですかね?
梨本宮邸(大正2年・宮家陸軍大将梨本宮守正氏)は旧吉田茂邸と小川を挟み東側にありました。一旦整地して土地を小分けにして販売したのかな?梨本宮邸の頃の名残りを探してうろいていみましたが、見つかりませんでした。
画像奥、道を進むと道が途切れ、道の先に空だけ写ってますね。実はこの場所に石段があります。降りた所は西湘バイパスです。
道に沿う様に伸びる細い路は、太平洋岸自転車道です。
ここを駆け抜ける自転車とランナー。気持ちいいんだろうなあ~。
海と松林を眺めつつ東へと進みます。松林に見慣れない野鳥が追いかけっこしてました。冬は野鳥観察には最適ですよね?すぐ見つかるし。種類も豊富。こんな時、望遠機能のあるカメラが欲しいよな。
って…。え~と??おそらくぼちぼち旧伊達宗陳邸&旧清水萬之助邸跡のハズなのですが…。左側は松林!しかも高低差があって、松の向こうの様子はわからないっ。しかも手持ちの大磯旧別荘群地図は簡略地図で、邸宅跡の区画がどこからどこまでだか分からない。あまつさえ、左折出来る場所もないっ!!
ええ~~~!???どうなってるんだぁ~~~~っ!!
と・とととと、ともかく次に左へ行けそうな階段を見つけたら上がろう!
そうなのね。なんちゃって簡略地図には道があるけど、肝心の道がないの~~~。
軽くパニクりました。ンで、左折出来る道は、普通に狭い石段でした!まかさ~~~??と及び腰で石段を上がります。何しろ、吾妻山の上り下りのダメージがまだあって、出来る限り上り下りしたくないのだよ。
ってな事で石段を上がった先、東側にあったのは、こゆるぎ緑地でした。
なんつーか??ここ変わってる!
なんかね。西湘バイパスに沿った狭い公園。海の防風林?の松林なのです。最近植えたばかりの小さな松が多いようです。でもベンチがあって人もほとんどないからのんびりとちょっと休憩しました。なんかいきなり非日常空間です。
さて?
地図によりますと…。こゆるぎ緑地の北側が旧池田成彬(大正6年。大蔵大臣。三井銀行常務)と西園寺公望(第12・14代内閣総理大臣。明治32年。伊藤博文の滄浪閣の隣に建築されたことにより『隣荘』と呼ばれた。)の別荘跡なハズ。名残りはあるのかな?
こゆるぎ緑地の端っこは細い路が旧東海道と海を繋いでました。ちなみに、上の画像右は駐車場。つーか??この道であってるのか?こんなショボい道。そうそう街中に残ってるハズがない!
いや。目の前にあるんですけどね?
だって地図があってたら、この右手はあの伊藤博文の別荘地なのですよ?んで左側が西園寺公望邸。なぜに道がこないにショボいのか???
不信感たっぷりで奥(旧東海道側)へと進む。と?
さきほどの古いコンクリート塀の腰回りが、丸積みの石垣に変化した。
あ・会ってるのかな~~??
道の区画は痕跡が残り易いとタモリさんもブラタモリで再三言ってます。
あ?
廃墟発見!!
表札も外されてて誰のお宅か分からない?ンでもこれ、もしかしたらば池田成彬さんちじゃないのかな?なんちゃって別荘群地図に出てる分かりにくいありし日の建物画像に似てるんだけど~??
こうね。ブラタモリはタモリさんと女性アナウンサーだけのぶらぶら散歩でなく、必ず詳しいその道の人が同行してるのですよ。あれがあるから楽しさ倍増なのね。
おのれの知識の足りなさにがっくり視線を足元へ落とすと?足元が土の道じゃない!これって石畳じゃないの~?
足元の細い土の道の様子が変わってました。上の画像左側の石垣が、旧東海道から廃墟へ至るのです。あ。さっきの土の道の旧東海道側の出口です。
石垣スキーの萌えが降りてきちゃった!!
ヨーロッパにおいて、かつてローマ軍が遠征しつつ建設しまくった石の構造物は、今でも結構残ってるものです。
日本においても、石の構造物ってそのまま残ってあったりするよな?
この石の組み方って、結構手間ひまかけてるし、お金もかかる組み方だよな??
たぶんこれ、左側は旧池田邸だが旧西園寺邸だかで会ってるわ。
だって、右側で証拠が見つかってしまいました~~!!
はい。今日のトップ画像の石碑です。読みます。
伊藤公滄浪閣之旧蹟です!
や~、合ってたよ~。つーか、あのショボい道こそ明治の痕跡だったのな。
さて。かつての伊藤博文邸もまた現存してません。それが当たり前って思ってたんだけどね?
こんな形で残ってました!
並びの同じ敷地に立つ既に使われてなさそう~な建物です。
ところで、伊藤博文の滄浪閣って、小田原と横浜市金沢八景で見たことあるんだけど~??え~と??
伊藤博文別邸跡(2011年11月7日)の記事こちらは小田原の。
旧伊藤博文別荘(2013年1月4日)の記事 こちらは野島公園にある伊藤博文の復元した別荘です。
目の前は旧東海道。しかも松並木が現存してます…。
大磯町。結構謎だらけ!
明日もブラタモリで大磯旧別荘跡散策です。
2018年10月31日追加情報:今年は明治維新150年です。記念して大磯庭園周遊イベントが開催されてます。
期間:2018年10月23日〜12月24日
会場:明治記念大磯庭園(大磯町西小磯85)
開園時間:9:00−16:30
休園日:水曜日
入園料:無料
主催:国土交通省
ブラタモリリターンズともいうべき「湘南」が10月半ばに放映されました。番組内でタモリさんが訪れた大隈重信邸も公開されてます。WEBページに申し込めば、邸宅内ガイドツアーがありますので、この機会にぜひ訪れてください。私は10月27日にこのガイドツアーに参加。大隈重信邸と陸奥宗光邸は屋内見学、伊藤博文邸は外観見学です。90分でガイドさんが案内。合わせて庭園自由見学のチケットと大隈重信と伊藤博文が大磯で撮影した絵葉書をいただきました。いまだけの特別な体験です。ぜひ参加してみては?
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