2019.5.3大野原・豊浜巨木探訪その4は、豊浜駅から車で6分、豊浜八幡神社さんのクスです。またまた駐車場の場所がわからない。けど先着の人が鳥居前に停めてたのでならう。境内が馬鹿でかい。ふぉあ〜。
けど、どこに巨木があるんだ?そして、みんなにはまだ行ってないけど、ここには全国民が知ってる有名な木の作出場所なんだな。ということで探し物が二つ。
まずは奥に見える本殿で参拝。
令和か〜。八幡神社といえば、やはり応神天皇だからね。皇室つながりで「令和」元年をお祝いするよな〜。参拝。
探し物はどこですか〜?
別のものを見つけた。大平正芳立像です。大平正芳は内閣総理大臣を務めた政治家で、豊浜八幡神社すぐそばで生まれました。高校の応接室には、巨大な大平さんの写真を飾ってましたねえ。
神社さんでよく見る寄付をした人の石柱です。下の段の左端を見て欲しい。大平正芳の名前がひときわ大きく彫ってあります。
社号標越しの大平正芳像。
ん?奥に見えるのはもしや??
ありました〜!!探しものの一つ。表面に安芸の宮島 厳島神社大鳥居主柱楠排出の地と書かれてます。
裏に回ると詳しい説明が。
「明治2年厳島神社へ主柱1本譲渡 明治8(1875)年 第8代(現存)鳥居再建
海より社殿に向かって右主柱が豊浜産 平成17年10月吉日」とありました。
全国誰でも知ってる有名な厳島神社の海の大鳥居の木が、まさかの豊浜八幡神社さんに建っていたとは!?
もしや、切り株跡が残ってないか?と探しましたが、さすがに140年超前ともなると、痕跡はなかったよ。
で、巨木は〜??
これは違うよな〜?太さは巨木認定の3メートルあるけど、高さが違う〜。
妹と従姉妹と母が先に見つけてくれてました。
豊浜八幡神社のクス:樹高:22メートル 目通り幹囲:6、2メートル
根元に香川県の保存木の石柱があります。
よく見ると、石垣を巻き込んでますね。あと気になるのがこれ。
根元をがっつりコンクリートで固めてあるわ。木が成長して、固めたコンクリートが剥がれるか割れるかしたようで、コンクリートを修理した跡も見えます。
これさ〜、止めて欲しいんだよね。どんなに巨きな木でも、根っこから水分を補給してるのだ。根元を固められると、呼吸できないじゃん!千年ここに立ってる木をもっと大切にして欲しい。
すぐそばに、最近枯死した気配の巨木の切り株があった。これも根元までがっつりコンクリートで覆った跡がありますね。
宮島の鳥居の切り株を探して境内を歩いた時に見つけた別の巨木の切り株跡。
ブログを書くにあたり、豊浜神社さんの縁起を調べた。
豊浜八幡神社
708(和銅元年)に創祀された「讃岐15社」の15番目の社で、姫郷和田郷十五ケ村(現豊浜町・大野原)の氏神であり、最盛期には末社820社があった。
御祭神:品陀和気命・帯仲日子命・帯比売命。
境内社に妙賢神社・天満宮・稲荷神社がある。
また、社叢のクス・クロマツ(枯死)・ホルトノキ群などが香川の保存木だった。(現在はホルトノキ群も枯死)
境内の安永灯篭は、安永2年に和田浜の藤村喜八郎と和田村庄屋の宮武幸右衛門唯真が、私財を投じて和田浜築港を完成させたその功績を伝えるために建立され、約200年間灯台としての役を担ったもの。現在は港改修の折にこの豊浜神社へ移設復元される。
また明治の頃には宮島の厳島神社へ本柱の1本を寄進した」とありました。
実は目的の楠が豊浜八幡神社の端っこにあったので、歩くのを嫌がる母と一緒なので、諦めてた宗林寺さんの巨木も見ることができた。が、まさかのまさかでした。
今、銚子沖に船が沈み、中に生存者がいるらしい。助けねば!というニュースを見た。
それってあの船の出番じゃないの?と記憶とブログを遡る。
以前、横浜で見学した救難艦ちはやの救難方法もこの記事に書いてありました。気になった方は参照ください。
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