あられの日記

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高橋是清邸

2011年05月19日 04時22分02秒 | 歴史散歩
NHKのドラマ「坂の上の雲」で西田敏行が演じているのが高橋是清。秋山兄弟の先生です。
彼は青山通りの港区赤坂に屋敷を構えてました。高橋是清翁記念公園(2011年4月4日)の記事参照してね。
3月9日にでかけた乃木坂ー青山霊園ー高橋是清翁公園ー赤坂プリンスホテル散歩の時に立ち寄りました。そこは既にサラリーマンの憩いの公園となっていて、建物は残ってませんでした。建物はどこへ行ったか?
小金井公園内の江戸東京たてもの園の中あったんですね。
ここはたてもの園でも人気のポイントで、訪問した時もそこそこ見学者が多かったんですが、もっと多い時もあるらしく「30分待ち」の看板が入口脇に置いてありました。

見取図です。中に入ると…。

古い吹きガラスの歪んだ視界の向こうに日本庭園が見えます。
ん???
アレ??
これってもしや??

外へ回って確認。
これってアレですよね。赤坂の公園。そっくりなんですけど??
ね、念のためチェックだ。
検索検索。
上の画像が赤坂の高橋是清公園の画像です。
感じは似てる。細かい所は違うけど。似せる努力をしたんだなあ…。
内部公開もされていて、2階へ上がると、人々が足を止める部屋がある。平面図でいうと2階の八畳間。ここが高橋是清が書斎として普段使っていた場所であり、彼が死んだ場所です。
邸宅前にある説明板によりますと
『経済通の政治家として、明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分である。是清は、赤坂の丹波篠山藩青山家の中屋敷跡地約6,600平方メートルを購入し、1902年(明治35)に屋敷を建てた。総栂普請の主屋は、複雑な屋根構成をもっており、また当時としては高価なガラス障子を縁周りに多量に使用している。赤坂にあったころは、主屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある大きな屋敷だった。
1936年(昭和11)、是清はこの建物の2階で青年将校の凶弾に倒れた(2、26事件)。敷地と屋敷はまもなく東京市に寄付され、記念公園となった。是清の眠る多摩霊園に移築され、休憩所として利用されていた主屋部分が、この場所に移築された。 建築年1902年(明治35) 旧所在地:港区赤坂7丁目』
そうか。赤坂から直接ここへ移築したんじゃなくて、一端多摩霊園に移築されていたんですね。
多摩霊園には高橋是清の眠るお墓があるので、そこで建物の余生を送るってのも良かったかもな。
外へ出て建物を庭から見上げてみた。

もっと寄ってみる。

なかなか含蓄のあるポイントでした。満足。
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