あられの日記

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伊達家の門

2011年05月20日 04時03分14秒 | レトロ建築
伊達男という言葉。イメージすると金をかけた派手なイケメン。
この門もそう。

門の由来は「旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。<起り(むくり)屋根>の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。総欅造りで、門柱の上に架けられた冠木には、宇和島藩伊達家の木彫の家紋が施されています。/港区白金2丁目(大正期)
年月が建って、既に門の装飾が何色だったのか判然としません。今では古い門で感動も薄いけど、生まれたての門の色を見てみたかったなあ…。でも門を正面から見ると、かつてはさぞ豪華だっただろうとうかがわせる装飾が残ってます。

姫路城で屋根瓦は普請もしくは修繕した大名の紋を使用していたと知ったので、伊達家の門の瓦もそうなのかしら?と写してみた。
…どうなんでしょうか?ぶめちゃん、正解かわかる??

ついでに…。

高橋是清邸の左手に続きで建つ建物です。これってば、てっきり是清さんの屋敷で立ち入り禁止部分だと思っていたのですが、どうも別物だったようです。
西川家別邸 北多摩屈指の製紙会社を設立した実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てたものです。多摩地域の養蚕・製紙業が最盛期をむかえた時期(大正期から昭和初期)に建てられ、よく吟味された部材が使われています。/昭島市中神町二町目 1922年(大正11)

んでもって、画像も撮影しなかった「会水庵」。てっきり高橋是清邸へ車いすで入る人用の入口だと思い込み、撮影はおろか見学もしなかった場所。でもそこそこ由緒ある場所でした。
「宗偏流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた茶室です。1957年(昭和32)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。本畳3枚と台目畳1枚からなる三畳台目の小間の茶室です。/杉並区西荻北5丁目(大正期頃)
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