実は去年12月12日にもこの大イチョウを見に来てる。枝ぶりが見たかったのだ。ところが、12月12日だというのに、まだ黄葉が沢山ついていて、綺麗だったけども枝ぶりが葉に遮られて見上げてもわからなかったのだ。で、相模原公園の早咲桜を見物後に寄り道した。
トップ画像は相模川にかかる昭和橋から下流を撮影しました。去年の台風被害で、相模川もあちこちで水害を受けました。未だ傷跡が残ってますね。
昭和橋を渡ると厚木市です。橋のたもとに依知神社(厚木市上依知1)があります。上の画像の左の道を渡ったところに神社さん。道を挟んで目的の大イチョウがあります。かつては神社の境内にイチョウはあった模様です。さすがに3月ですと、イチョウも落葉してた!観察開始です。
見上げると、大きな幹が途中で途切れてました。あそこでいつの時代か分からないけども、太い幹が折れたみたいですね。
2本が間を空けずに並んでます。ここまでの巨木が、こんなに近くで並ぶのは実はレアだとあちこちの巨木を見物して知りまして、ならば!と全景で1周してみようと思います。
あれ?イチョウの古木に見られる垂乳根。この木にもありますが、なんか、途中で途切れてるように見える。折れたのか?もしかしたら、長い垂乳根を持つイチョウを「乳イチョウ」と名付けがちで、それは垂乳根を削って飲むと乳の出がよくなる。と母親が信じて飲んだとかいうもので、もしかして途中で途切れてる垂乳根はそのせいかもな。
だいぶん頭の上の垂乳根なので、削ったとしても随分前のことだと思います。
もう1枚。実は東側(相模川)から西側を撮影した画像は、完全逆光になってしまい、真っ黒なイチョウと枝の間から太陽となり、1周撮影に失敗しちゃいました。残念だ〜。
説明板発見:依知神社のイチョウ 厚木市指定天然記念物 昭和43年11月30日指定
依知(えち)神社は、古くは「赤城明神社」といい、依知郷全体を間持つ総鎮守社と伝え、イチョウも神社の神木として地元の人々によって大切に守られています。
この2本のイチョウは、神社の由緒によると、鎌倉幕府の二代征夷大将軍に任ぜられた源頼家が、神社の建物を再建し、その記念として境内に植えたものであると伝えられています。
樹齢約500年以上と推定されますが、樹勢が盛んで、木の幹には古木特有の乳状下垂がみられ、神奈川県の名木百選にも選ばれています。
現在は、社殿とイチョウとの間に県道が通っていますが、昔は一体の神社の境内にあり、イチョウのほかにもタブ・エノキ・ケヤキなどの大きな木が生い茂っていたようです。 平成16年3月 厚木市教育委員会」
こちらは黄葉時の様子です。ね。葉っぱがあると、枝ぶりがわからないよね。イチョウの巨木は落葉時がベストだと思います。
さて時刻は11時49分。次、行ってみよう!
相模川の東岸の土手を南下。去年の秋の台風の水害で、河川敷にあったグラウンドはボコボコになったまま。手前の砂利道もボコボコなのか、雨が溜まってます。普段は日曜ともなれば、野球の試合を楽しむお父さん達が集っていた場所なのになあ。お父さん達は台風の後、どこで野球してるんだろう?
三段の滝のところにまだ綺麗な河津桜を見つけた。
ベンチがあったので、お昼ごはんにする。時刻は12時7分。近いようで自転車だとそれなりに移動に時間がかかるのね。
三段の滝を越えると、相模川に添う土手から川の流れがよく見えるようになった。あちこち、記憶と流れが違ってるなあ。
あ。道路いっぱいに野椿が落ちてました。上の画像では分かりにくいのですが、道の右側にコンクリート塀が続いてますね。実はこれ、戦国時代の土塁です。撮影してる右手に相模原市磯部郷土民俗資料館があります。
次の目的地は、新戸地区にある相模川散策路の600メートルもある河津桜並木です。しかしですね。場所の特定ができなかったのだ。何しろ平成9年から7年の期間をかけて相模原市が作ったらしいのね。新し過ぎて地図には載ってない〜。けど近くまでいけば見つかるハズ。だって600メートルも河津桜並木があれば、ピンク色を探せばいいよね?ってな事で、土手を降りて東側の下道を下流に向けて自転車を走らせつつピンク色を探す。
見つけた〜〜!!たぶんアレ!まさかの田んぼのあぜ道じゃん?時刻は12時30分。
自転車を走らせる。近くまでいくと、あぜ道ではないけど、軽自動車1台ならようやく走れる細い用水路沿いの農道だった。(続く)
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