あられの日記

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フエ・トゥドゥク帝廟

2016年06月10日 05時15分08秒 | ベトナム旅行記
2015.4.13(月曜日)旅の5日目。
ハノイのホテルで目覚める。朝6時朝食&6時半バゲージダウンなので、先に廊下にスーツケースを出し、素早く朝食をいただいたらば、恒例の朝の散歩へ。とはいえ、今日は6時半にはホテル出発なのでね。ホテルの近所をチョロリらと見て回る。ハノイといえばベトナムの首都なので、どんなものか?興味があったんだよね。行き交うバイクと日本ではあり得ない電信柱!画像をお見せないのが残念ですわ。何つーの?細くナナメの石のハシゴみたいなのが電柱でね。そこにあり得ない程黒い電線がとぐろを巻いてるの。衝撃でしたが、どうもこれはベトナムでは普通の事のようで、あっちの電柱もこっちの電柱も黒い線がいくつも丸められてぶら下がってましたよ。ええ。

バスの車窓に大きな花の市場がありました。ベトナムの人って花が大好きだよな~。花屋だけでなく花を売ってる模様です。
そんなこんなで空港に到着しました。今テレビの大成建設のCMでベトナム・ノイバイ空港のアニメを放送してますね。これは国際空港で、成田からベトナムを結ぶ国際便だとノイバイ空港を使います。国内線は、ノイバイ空港が出来る前に国際線として使われていたターミナルをそのまま使用しているので、チェックインした後たくさんのお店が入ってるのですよ。となると、やらずにはいられません!

ベトナムドンを簡単に日本円に置き換える練習です!
本当は2015年4月のレートは1万ベトナムドン=約56円なので、正確な暗算にはなってませんが、1,000ベトナムドン=6円で換算するとだいたいの値段が分かって便利です。日本人ならば誰でも九九の暗算出来ますからね。
さて、8:55 ベトナム航空154便離陸。

機内で旅行会社が一人2枚配布の絵はがきを作成する。ダンナの分ももらったので機内で完成させるハズが、3枚しか完成させられませんでした。なぜならば、ハノイーフエの飛行時間は約1時間しかないのです。
10:00フエ到着。
ベトナム中部の観光ガイドさんが空港で出迎えてくれました。ベトナムは南北に長い国です。時間のない観光客は、北部・中部・南部と基本飛行機で移動して、それぞれにガイドさんがついてバトンして観光するのですよ。

フエについてすぐ気付くのは、街路樹の黄色やピンクの花が咲き乱れてて綺麗という事。
名前はちとメモの自分の字が読みづらくて正確でないかもしれませんが「バウラウ」という樹で、ベトナム戦争後にアメリカ人が持ち込んだものだとか。
● フエ ユネスコ1993年世界遺産登録。
ベトナム最後の王朝、グエン朝の王都フエは、その繁栄を伝える建造物が多く残る。これらの遺跡は中国の建築様式を基礎としているが、皇帝の好みや個性によってバロック様式やベトナム式が取り入れられ、芸術的な建造物を形成している。グエン朝は1802年~1945年まで13代にわたって栄えた。日本でいえば京都みたいな街。
11:00トゥドゥク帝廟到着。

帝廟と言えば「お墓」という意味だけど、皇帝が在位していた時には別荘として使われていた場所で、まずは別荘時代の建物を見学する。

ガイドさん「今ここには何もありません~。ここにあった宝物は、全部盗られました。フランス・アメリカ・政府が盗ってった!
おおう
また出た!フランス統治時代とベトナム戦争の禍いが!!私さ、「歴史」って好きなのね。でもさ、戦争の歴史は見たくないのよ。その前の、グエン王朝の全盛時代を彷彿とさせる建築物や遺物が見たいんだけどね。

こちら、皇帝が滞在中の宮殿です。たぶんお仕事してた建物。
その裏に、皇帝の書物展示がありました。

漢字です!
いやね、今のベトナムに流通してる文字は、フランス統治時代にフランス人宣教師が後々フランスが統治し易いようにアルファベットを使い作ったものなのですよ。まあ、アルファベットが定着した理由はすぐに察せられますがね。だってさ、漢字って数が多いんだもの。だいぶん勉強しないと自在には使いこなせないよ。勉強出来ない人=庶民ですね。上流階級は漢字を使ってたけど、今や…。
上の書物を少し解説すると、
嗣徳拾肆年拾月=トゥドック帝の治世14年10月という意味で、トゥドック皇帝はグエン王朝4代皇帝のことです。墨字の左側に赤字で書いてある文字が、トゥドック帝が書いた文字。
歴史好きならそれだけで萌えるものがあるよね。
● トゥドック帝の在位は1847年から1883年。フランスとの抗争中に死去。
トゥドック帝は幼少時に病気にかかったせいで子供が出来なかった。(ガイドさんの話では天然痘って言ってたような…。でもさ、子供は大事って事で大勢の女性が皇帝の奥さんになってたそうですよ。でも子供はやはり生まれなかったとか)トゥドック帝の死去で、フランスはこの年にベトナムを占領し、植民地化に成功。トゥドック帝の死後、皇帝は朝令暮改のごとくころころ変わります。
確か5代皇帝は即位3日で廃位。6代皇帝は重臣により毒殺。7代皇帝は即位半年で死去。8代皇帝は13才で即位するも、抗仏煽動活動をしてフランスが建てた兄に帝位を譲らされアルジェリアに配流…って、この時15才だよね?もう無茶苦茶やん。という具合です。フランスの植民地になった国の悲哀がわかろうと言うもの。
さて、ンな事は普通の観光客は軽く流してしまうのです。宮殿に続く建物は、劇場でした。

観光客の見てるのはこれ。

もちろんレプリカです。当時の事を想像する道具です。
私的に興味深かったのは、劇場の天井ですよ。分かります?

星座が描かれてるのですよ。そういえば、フエの歴史的建造物のあちこちで星座の意匠を見たなあ。何か理由があったのだろうか?
実はね、フエの観光ガイドさんがすんごい俗物でしてね。ガイドさんには歴史の知識が全くありませんでした!私達があれこれ質問しても答えられない。それでもヤル気があるならいいのですが、彼は誰が何を聞いても笑ってゴマかそうとします。全く向上心のない男でした。もうね。最低~。私らのツアー内でもほとんどが彼の評価は低かったのですが、愛想だけはいいのでそこを気にいった人もいて…。なんだかねえ~。
旅の質は、観光ガイド・添乗員・バスの運転手に左右されるものとは知っていましたが、フエの観光は「古都フエ」が売りなんだから、もうちょっと歴史を勉強した人でないとつまりませんね。
さて、観光再開。劇場の外の中庭へ移動する。あまり大きな区画ではない。でも建物はベトナムっぽい。特に屋根の上が特徴的と思いました。


 
ベトナムの装飾は、中国の高価な陶磁器をわざわざ割って貼付ける装飾に使うのです。雨の多いベトナムですから、見た目が古くさく汚れてますが、色使いはなかなかです。

たぶん宮殿の執務とか迎賓館だと思うのですが、どうだろ?一番お金かけてそうですが。
次に向ったのは皇帝のプライベートルームです。

いわゆるベッドルームです。
目についたのがこれ。

位牌ですよね?派手だけどさ。なぜにここに置いてあるのか謎。でも戒名が漢字。
う~む。グエン朝の往時を偲ばせるめぼしいのが何も残ってないんだよね。さて、別荘の建物群を出ると…。廃墟でした!

この区画は、ベトナム戦争の時に空から爆撃されて崩壊した場所です。
ベトナム戦争って長かったよね。そもそもは南北に別れてしまったベトナムと統一する目的で始まったものの、共産VS民主の代理戦争になり泥沼化。戦争の後半に入ると大規模空爆に突入した訳ですわ。確か終戦日は1975年4月30日ですから、空爆に使われた爆弾も威力が強いものが使われていたハズで。そりゃあ建物も倒壊するわな。もうね。この区画に往時はどんな建物が建っていたか、想像すらつかない。ただし、地下に構造物のある井戸はああここに井戸があったんだろうなと。分かりましたが。
さて、別荘から墓廟へ移動です。

別荘の建物区画から少し高低差のある場所に、大きなハス池がありまして、かつては皇帝が舟遊びなどをしていたとか。釣り屋も復元されてますが、観光客の目が釘付けになったのは上の画像の樹の幹からぶらさがる個性的な果物です。
ジャックフルーツです。これはまだまだ成長中の実でして、収穫時には50キロ程にもなるそうで…。それって大人の女性位重いよね?どうやってぶら下がってるのかな??

墓廟に到着。この建物の中には石碑がありました。
こちらの建物も陶磁器を貼付けてあります。

裏手へ移動。やはり陶磁器を貼付けてありますね。でも気温が高くて雨が多いから痛むのが早いね。そこが西洋の石で出来たあれこれと比べられない所だよな。

さて、墓廟であるならば、当然墓が安置してあるのが普通です。

それらしきものはありました。野天に。
ど~見ても不自然でしょう!皇帝の石棺を野ざらしにするってどない~??
実はね、これ、ダミーの石棺なんだってさ。何に対してダミーを設置してあるのか、謎なのですが、トゥドック帝の遺骸は石棺に納められてません。本当のお墓は、王族だけが場所を知ってましたが…。既出の如く、4代皇帝トゥドック帝が死去してすぐにベトナムはフランスに占領されて国は大混乱。グエン朝の皇帝はころころ変わる。そんなどさくさ(といってもいいのか?)の中で、トゥドック帝の本当のお墓の場所は分からなくなってしまいました。ええ。現在も。
ええ~~!?そんなんアリ~~っ!!ま。な。歴史上の有名人のお墓も今も特定されてない人って一杯いますけど。トゥドック帝が死んだのって1883年なのですよ。日本でいえば、明治16年ですよ。と書けば最近でしょ?ンで、一国の皇帝のお墓を見失ってしまうって一体…??

おそらく、ベトナム戦争で大部分は破壊されたと思われるトゥドック帝廟ですが、当時から生き延びた植物もあるかもね。墓廟地区の植物は時代を帯びてる樹が現存してそうです。ね。そう見えませんか?
さて、お腹がすいたので、ランチのレストランへ。

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