2010.5.6に国領神社さんの千年の藤を見に行きました。
千年の藤(2010.5.18)の記事 こちらの記事に、千年の藤が咲く画像があります。
あの時は境内が薄紫に染まってたなあ〜。いい香りだったしね。と、満開の藤の花を思い出したので、京王線布田駅から深大寺さんまで徒歩で移動する途中で寄ってみた。
さすがに10月1日の訪問なので、藤の花は咲いてませんが、藤棚は葉っぱで覆われてます。
国領神社
御祭神:主祭神 神産巣日神(かみむすひのかみ) 配祭神 天照大神 建速須佐之男命
由緒:現在の国領神社は国領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社である。
創建はともに不明。昔の国領神社は以前は第六天社と称し、古代多摩川のほとりに鎮座していた。
第六天社は薬師寺(現在の常性寺*昨日の記事参照)の管理下の頃、祭神は薬師如来の守護神十二神将のうちの第6番目の第六天神であった。
甲州街道が整備された江戸時代初期の頃、常性寺が甲州街道沿いに移設された時、同じように移設された。
明治8年国領神社と改称した。」以上、国領神社さんのホームページより。
ここの目玉はなんといっても境内の藤の木です。国領神社さんのご神木でもあります。この藤の木は寿命が4〜500年と言われ、人々から畏敬の念を込め「千年乃藤」と呼ばれています。しかしちょっと見はそこまで寿命の長い木に見えません。実は以前は大人二人が抱えるより大きなケヤキの木に絡まって、現在の甲州街道の方まで伸びていたとか。しかし落雷に会い枯れて倒木の恐れが出てきたので、藤の木を保護するためにケヤキの木の代わりに電柱を2本立て、鉄骨製の藤棚を昭和47年に作ったそうです。今なら、無骨な鉄骨製の藤棚でなく、もうちょっと自然な形の藤棚にしたかもしれませんねえ。
藤棚は高さ4メートル。面積約400平方メートルあります。
現在の一番大きな藤の木は上の絵馬の後ろの木ですが、藤棚の周囲を数えたら、6本くらいだったかな?藤の木がありました。
やはり藤が満開の時の訪問が感動が大きいですね。確か、藤が咲いてる時限定の藤守りもあったハズ。
甲州街道沿いにありまして、ここから歴史道を辿り深大寺へ行くコースの看板が出てましたけども、10月1日の都民の日の無料入園を目指しての再訪。あんまり疲れたくないので、最短コースで先を目指し出発です。
千年の藤(2010.5.18)の記事 こちらの記事に、千年の藤が咲く画像があります。
あの時は境内が薄紫に染まってたなあ〜。いい香りだったしね。と、満開の藤の花を思い出したので、京王線布田駅から深大寺さんまで徒歩で移動する途中で寄ってみた。
さすがに10月1日の訪問なので、藤の花は咲いてませんが、藤棚は葉っぱで覆われてます。
国領神社
御祭神:主祭神 神産巣日神(かみむすひのかみ) 配祭神 天照大神 建速須佐之男命
由緒:現在の国領神社は国領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社である。
創建はともに不明。昔の国領神社は以前は第六天社と称し、古代多摩川のほとりに鎮座していた。
第六天社は薬師寺(現在の常性寺*昨日の記事参照)の管理下の頃、祭神は薬師如来の守護神十二神将のうちの第6番目の第六天神であった。
甲州街道が整備された江戸時代初期の頃、常性寺が甲州街道沿いに移設された時、同じように移設された。
明治8年国領神社と改称した。」以上、国領神社さんのホームページより。
ここの目玉はなんといっても境内の藤の木です。国領神社さんのご神木でもあります。この藤の木は寿命が4〜500年と言われ、人々から畏敬の念を込め「千年乃藤」と呼ばれています。しかしちょっと見はそこまで寿命の長い木に見えません。実は以前は大人二人が抱えるより大きなケヤキの木に絡まって、現在の甲州街道の方まで伸びていたとか。しかし落雷に会い枯れて倒木の恐れが出てきたので、藤の木を保護するためにケヤキの木の代わりに電柱を2本立て、鉄骨製の藤棚を昭和47年に作ったそうです。今なら、無骨な鉄骨製の藤棚でなく、もうちょっと自然な形の藤棚にしたかもしれませんねえ。
藤棚は高さ4メートル。面積約400平方メートルあります。
現在の一番大きな藤の木は上の絵馬の後ろの木ですが、藤棚の周囲を数えたら、6本くらいだったかな?藤の木がありました。
やはり藤が満開の時の訪問が感動が大きいですね。確か、藤が咲いてる時限定の藤守りもあったハズ。
甲州街道沿いにありまして、ここから歴史道を辿り深大寺へ行くコースの看板が出てましたけども、10月1日の都民の日の無料入園を目指しての再訪。あんまり疲れたくないので、最短コースで先を目指し出発です。
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