あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

ベトナム戦争の跡

2016年08月16日 05時44分47秒 | ベトナム旅行記
旧大統領官邸・現統一会館の紹介記事を昨日書きました。そこで終わりにするつもりだったのですが、旅仲間が「官邸の地下にある施設も見たい」と要望しまして、ガイドさんが了承し実現しましたので、今日は、旧大統領官邸の地下施設を紹介します。
まずはベトナム戦争のパネル展示の部屋から。

アメリカのジープです。
次の画像は衝撃的なので、グロ耐性のない方はパスして下さい。の為に少しスペースをとっています。





こちらはフエの街で紹介したフエ・ティエンムー寺(2015年6月11日)の記事ここで登場したベトナム戦争に抗議してサイゴンってかここで焼身自殺したお坊さんの写真です。まさか展示されているとは…。
更にはこんなものも。

戦況図ですよね。南ベトナムの首都が現ホーチミン市。かつてのサイゴンなのですが、この戦況図を見たらもう詰んでますね。四方を包囲されてるもの。

サイゴン陥落の日の写真です。大統領官邸に北ベトナムの戦車が突入する場面。ベトナム戦争は報道記録がある戦争でした。
そして遂に地下へ。

通路です。

作戦司令室。壁一面に貼り出してあるのは、いつ時点の戦況図でしょうか?古びてる所が生々しいな。

こちらは大統領の寝室。本来は。
実際に大統領が使う事はなかったとか。

画像から分かるように、地下は壁に貼ってある書類を側から見られる部屋もあります。生々しいんだよね。上の画像では分からないと思うけどさ。



通信室ですかね?時代ですね。今はノートパソコンの方が処理力は上なんだろうなあ。

でもハノイで見たのはソ連製で、こっちはアメリア聖のハズ。ベトナム戦争はソ連の共産主義とアメリカの民主主義の代理戦争でしたからね。
大統領官邸を見た後、中庭へ移動。

この戦車はサイゴン陥落の時に突入した戦車です。1975年4月30日、午前11時半。歴史的な宣旨物なT-54戦車。
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ホーチミン市の旧大統領官邸

2016年08月15日 06時11分04秒 | ベトナム旅行記
12時10分ダナン空港発→午後1時10分ホーチミン空港着。出迎えてくれたのは、旅一番の優秀ガイドのユイさんです。
訪問したのは2015年4月15日でした。4月30日はベトナム戦争集結40周年の南北統一記念日でして、市内は記念式典に向けた飾り付けがあちこちになる状態。でもさ、飾り付けは多いけれど、市民はそう盛上がってない。というのは当たり前ですが、戦争は同じベトナムの国内でやっていて、勝ったのはソ連がバックアップする北ベトナムです。ホーチミン市はかつてはサイゴンという名前で、アメリカがバックアップした南ベトナムの首都でした。つまりホーチミン市民にとっては敗戦記念日な訳で、その日を境に生活が激変した人も多く盛り上げる訳がない。
まあ、今のホーチミン市の人口は900万人。ベトナム全土から人が集結し、ベトナムの人口の10%に達する大都市です。首都のハノイに比べて経済発展してる熱気のある都市です。歴史にこだわる人は表面にはいませんが。記念式典を冷めた目で見てる気配は感じられました。まあ政治的イベントですしね。
何はともあれ、まず観光に向ったのはかつての大統領官邸・現統一会館です。

まずは建物内の見学から。こちらは作戦会議室。
実は、統一会館は、在りし日の大統領官邸を再現して保存されてます。もちろんベトナム戦争終盤、北ベトナムがサイゴンに押し寄せて来た時は大混乱の舞台となった場所ですから、調度品などは略奪とかされてるから、あの頃のままという事はないのでしょうが。場所はそのままです。





建物2階から中庭を見下ろすと、30日のベトナム戦争終結式典会場の設営が始められてました。

このあたりは歴史的な会談が行われた場所です。

写真展示もありました。これ、分かります?左の人がアメリカ大統領のニクソンなのは分かったわ。


奥は大統領一家のプライベート空間です。中庭が日本ぽいのは奥様の趣味だったとか。といってもこれ、官邸の確か2階にある屋内です。真ん中に庭を設えて、周囲に部屋があるのです。

食事室。

部屋の中には入れません。部屋の外から撮影します。このあたりには各国からの贈り物も置いてあります。

窓の外にはヘリコプター。これさ、万一の場合の脱出用に置いてたそうですが、実際にはサイゴン陥落の前に大統領は車で脱出したから使われなかったんだって。まあ、当時を再現するでっかいフィギュアだよね。

官邸内には映写室もあります。アメリカ本国で封切りした映画を、高官達が見てたりしたんですかね?

このあたりは遊びの部屋が集まっていて、これさ、麻雀の卓だよね?
更に屋上に上がると、

ダンスフロアでした。グランドピアノもあるでよ。

ダンスフロアから、ヘリも見えました。存在感ありますね。何しろ大きさがさ。
も一つ存在感バッチリなのがこれ。

敷地内に戦車がある。あの戦車って…。
説明板発見:
おそらく、サイゴン陥落の日に、大統領官邸に突入した北ベトナムの戦車ですわ。後で見に行ったので後ほど戦車の画像をアップで紹介します。

官邸内でトイレ。待つ間、廊下で見つけた消化器と非常ベル。何気に説明文が面白い。まあベトナム語は読めないんですが。

最後に厨房を撮影。

と、本来はこの後、ベトナム戦争のパネルの部屋を見ておしまいなのですが、旅仲間が官邸の地下も見たいっ!と主張した。ガイドさんと添乗員が打ち合わせする間にベトナム戦争パネルの部屋を見学する。私も南ベトナム政府の作戦司令室があるなら見たいな〜。見たいな〜。主張は大事。

昨日は、夏のコミケット参加の当日でした。竹里館のスペースまでお越しいただきました皆様、ありがとうございました。

旅行ジャンルは西1ホールでした。幸いというか何とゆーか。大手サークルさんの近くでして、シャッターが終日全開で、比較的涼しかったのが嬉しいです。
おかげさまで売れ行きで近年の中では好調でした。【裏桂林写真集】は完売しました。どうもありがとうございます。
写真集は完売しましたが、【徳天瀑布と裏桂林】の旅漫画はまだまだ在庫があるので、これからも販売しています。

新刊発行で、段ボールが2箱あったので、帰りは段ボールで搬出21日のコミティア会場へ移動かと思っていたのですが、在庫が減ったので手持ちで全量持ち帰れましたよ。
サークルとしてはとっても嬉しいです。宅配行列しなくて良かったんだもの〜。

ってな訳で、8月21日は創作同人誌即売会COMITIAに参加します。
場所:東京ビッグサイト東6ホール
サークル配置:のー12a
サークル名:竹里館出版局(ちくりかん)
です。

また同日、スーパーコミックシティ関西にも参加します。
もちろん夏コミ新刊の【不思議の国 インド】も搬入しています。
場所:インテックス大阪
このあとしばらく大阪でのサークル参加はお休みになるかも?なので、購入を迷ってるなら必ずこの日にゲットして下さい。
よろしくお願いします。
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空港でフォー

2016年08月14日 05時54分37秒 | ベトナム旅行記
午前10時半、ダナン空港に到着しました。ここで早めの昼食です。

カウンターで注文。ベトナムの言葉がわからずとも指さしで。

ファストフードですね。

白いのが米粉で作ったフォー。左にあるのが上盛りです。
ちなみに、フランスパンのサンドウィッチ、バインミーのファストフードも並びであります。

しかし、空港の店はバカ高いなぁ〜。
注文したのはトップ画像のチキンのフォーです。

ちなみに、風邪をひきました!原因は間違いなくランコーの浜辺で転んだため。更にはバスの冷房で冷えたため。やっちまいました〜。ンで、チャム彫刻博物館の売店で、ベトナムのマスクを購入しました。1個1ドル。ベトナムで1ドル札大活躍したので、今年インド旅行する時もわざわざ1ドル札を多く両替したのですが、インドでは1ドル札は殆ど使わない。5ドルか10ドル紙幣の方がよく使いました。所変わればですね。つーか、日本は観光日本で最近外国人観光客を多く受け入れてますが、外貨のまま使える場所が少な過ぎる気がするわ。
ちなみに、上の画像に映ってる飲み物で、ペットボトルのお茶には砂糖が入ってました。虎のアルミ缶は、ダンナが注文したビールです。ラルービールは、中部ベトナムの地ビールね。
さて、ダナン発12時10分ー13時30分着ホーチミン市。飛行機は定刻に出発し、定刻に到着しました。

本日8月14日は夏コミ参加の当日です。
私も参加してます。
サークル名:竹里館旅遊社(ちくりかん)
サークル配置:西地区(西1ホール)るー10a
です。
今日の新刊は、【不思議の国インド】です。
今年の2月にデリージャイプールアグラヴァラナシと旅しました。初めて訪れたインドは、不思議に満ち溢れてました。
更に5月に発行した【インド写真集&漫画】も搬入します。
また去年の夏コミに発行した【ベトナム旅行記】も搬入します。今ブログで連載している旅を漫画化したものです。
私はスペースで売り子してます。スペースでお会いしましょう。
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チャム彫刻博物館

2016年08月13日 05時47分19秒 | ベトナム旅行記
ホテルのあるホイアンを出発。空港のあるダナンに向います。ええ、戻ります。
古都フエから古都ホイアンへの移動中に通過した街です。最近、リゾート地として発展してるダナンは、なんと、日本から直行便がある程です。でも飛行機に乗る前に、チャム彫刻博物館に立ち寄りました。
博物館は、ダナンの街のランドマークなドラゴン橋のたもとにあります。
博物館の外に展示してある石彫からしてガツンときます。
ここはチャム、すなわちチャンパ王国の石彫を集めた博物館なのですよ。




展示物の石彫はぶっちゃけ私の好みの造型です。でも更にぶっちゃける〜。
問:なぜ、ダナンにチャンパ王国の石彫博物館があるの?
答:ベトナムがフランス領インドシナ王国だった時代、ベトナム人はチャンパ時代の遺跡など見向きもしなかった。つーか、チャンパの遺跡の場所さえ分からなかった模様。そんな時、チャンパの石彫に価値を見いだしたのがフランス人。
 ダナンは港町でした。ダナンからフランスへの船が出ていました。チャムの遺跡から素晴らしい石彫の数々を集め、フランス本国へ持ち帰ろうとしました。しかし、石は重い。積みきれず残されたのが、チャム彫刻博物館に展示してあるもの
なのですよ。
これはフランス人がチャム王国の遺跡を探検してる様子です。
ミーソン遺跡を思い出して欲しい。遺跡が破壊されたのはアメリカによる空爆が原因ですが、その前にフランスにより探検・発掘・お持ち帰りコンボがあったのですよ。よく大英博物館が主張する「大英博物館にあるから世界の宝が守られた」みたいな…。
アメリカが空爆する前のミーソンの建築物がフィギュアで再現されていました。
なんとなく、カンボジアのアンコールなんかに似てる祠堂や塔ですね。チャンパ王国はヒンドゥー教を奉じていたので、像もそんな感じかな?
こちらはミーソン遺跡のありし日を復元したジオラマです。チャンパ王国の聖地です。規模が大きい。


チャム彫刻博物館の建物は年代物です。ふと、窓から博物館に隣接してある大きな木が見えた。
これさ、どこかのゲームにでも登場しそうな枝振りです。ああ、あそこでお茶したい。妄想していたら、私を呼ぶ声が。
何かしら〜?
これがいた!フクテック村で蝶を手づかみしてたから、蝶が好きなのだろうと声をかけてくれた模様です。
ええ。蝶は好きだ。蝶は。でもさ、これさ、もしかして、蛾じゃないの?
私、蛾は大嫌いなんだよ〜〜っ!!
画像ではこの蝶(蛾?)の大きさが分かりませんよね?停まっているのはこれ。
ダメか〜。大きさがまだ分からんよな。仕方がないわ〜〜。
これが限界!これ以上近づけない。たぶん羽の端から端まで入れると、手のひらよりでかい。さすがに安全にこれを捕まえる方法がない。手づかみは、蛾なら無理〜〜っ!更に後ろの象を壊すかもしれんので、見るだけに留めました。ああ。ひと目で蝶と分かるならもっと嬉しかったのに。複雑…。
博物館の一画で、ベトナムの観光写真を展示してありました。上の画像は今回の旅でも訪問したニンビンの山水の景勝地、タムコックです。私達が訪問した時は川の両側にあった田んぼはまだ穂が出てなかった。どうせなら稲が黄色く色づく季節に訪問したいよな〜。画像的に。と思ってガイドさんに聞いたら「5月下旬に黄色くなる」だって。タムコックがあるのは北ベトナム。あのあたりは年2回米が収穫出来るので、これからタムコックに行きたい方は目安にして下さい。
さて、ダナン空港へ向います。

明日、8月14日は夏コミ3日目です。私も「竹里館(ちくりかん)旅游社」で参加します。
 サークル配置:西1ホール るー10aです。
新刊は【不思議の国インド】A5/P56/カラー口絵4P付き/¥500です。
 
今回、作画がすんごく大変でした。どれくらい大変だったか、ぜひぜひごらん下さい。
【不思議の国インド】の発行に合わせ、5月新刊の【インド写真集&漫画】も少しですが搬入しました。 
【インド写真集&漫画】より抜粋
数が少ないのでお早めにスペースまでおこし下さい。

今ブログ連載中の【ベトナム旅行記】A5/P56/カラー口絵4P付き/¥500も搬入します。
 
合わせてよろしくお願いします。

尚、梅原沙実ことキャサリン梅原は今回病欠です。お手伝いにサークル『けろけろ階運堂』のとおのはるみさんが入って下さいます。彼女の【アジア蛙巡礼記】を委託販売します。こちらもよろしく〜。
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日本人の墓

2016年08月12日 05時47分34秒 | ベトナム旅行記
世界遺産、ホイアン旧市街の見物を終え、バスに戻る。この日最後の観光は、日本が鎖国する前にホイアンで暮らしていた商人のお墓です。
午後4時半、バスはホイアンの街から少し郊外へ移動。

バスが停まったのは道端でした。

普通の田んぼ。

田んぼのあぜ道を歩く。

あぜ道の隣には既に穂の出た稲がある。田んぼの向こうで牛飼いが、牛…これは水牛かな?に草を食べさせていた。
田んぼの中に何しに来たかといえば、墓参りです。

● 日本人の墓
17世紀、日本人貿易商谷弥次郎兵衛のお墓。鎖国令が出て一旦日本に帰国したものの、ベトナム人の奥さん恋しさにホイアンに戻り、1647年にこの地で死去。
ガイドさんが持参した線香を上げて手を合わす。ちなみに、上の画像の墓の左側に建ててある蓮の花は、その辺にいたベトナムのおじさんが「墓詣りなら花がいるだろう。持っていけ」と、蓮池の蓮を折ってくれたのだ。
ちなみに、恋女房のベトナム人の奥さんは、弥次郎兵衛さんと共に眠っていない。一族の墓に別に埋葬されてるんだってさ。切ないのう〜。

いい写真でしょ?穂が出た稲と蓮池。訪問したのが夕方なので、蓮の花は閉じてますが。土手の向こうに牛。ベトナムの田舎の夕暮れ風景です。

ホテルに戻る。部屋に戻る。

添乗員さんに貸していただいたデジカメはそのまま使ってよいとの事なので、宿泊ホテルを撮影してみる。上は私達が使った部屋。ベランダからそのまま庭に出られます。
どこのリゾートホテル?ですが、このホテルは東シナ海の砂浜まで徒歩数分で、まさしくリゾートなのだよ。

ホテルはリバーサイドなのですがね。

中庭にはプールもある。外国人の子供が藤のソファでゲームやってた。のんびり飲み物を注文してくつろげます。
なので、翌朝ものんびり藤のソファに腰掛けて、日が昇る所を見てました。

せっかくなので、デジカメの絞りを太陽に合わせて撮影するとこんな感じ。

リゾートの朝っぽい。さすがニコン。デジカメでも使い易いわ〜。なのでさっさか朝食を食べて朝の散歩に出かけます。





いかん!牛乳の一気飲みがアカンかったわ〜〜。ト・トイレ〜〜っ!!急いでホテルに取って返しトイレに駆け込む。
もう一度散歩に行く時間はないので、ベランダの椅子に座ったら、視線の先の照明が何か変だ!

イモリが照明のカバーに入ってますね。これも旅情か…。
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世界遺産ホイアン旧市街を散策

2016年08月11日 06時52分14秒 | ベトナム旅行記
45分のフリータイム目一杯使って街を散策します。





旧市街は土産物屋・小さなホテル・レストランに喫茶店がとても多い。上の画像の建物も、喫茶店に改造したのかな?

ちょうちん…ランタン屋さんと手前のはフランスパンのサンドウィッチ、バインミーの露店ですね。

日本橋を川の向い側から撮影。

路地に入ると、道に昔使っていた井戸があった。

通りの土産物屋さん。

同じく通りの店。これさ〜、ネタだよね?女性のパーティードレスも男性のスーツもわざとの展示だよね?万一こんな衣装が日常なら凄過ぎるわ。

土産屋さん。コメントかこうかと思いましたが、ひょうきんなポーズの豚は何かしら?買う人いるのか??

通りにはとても細い路地が一杯です。好奇心ではいってみた。日陰があった。

路地の先にも路地がある。

こちらのモデルは確か、ポーランド人の考古学者。ミーソン遺跡で仕事してミーソンで亡くなったとかなんとか。

露天商のオバちゃん達。後ろから観察してて気付いた。通りのあっち側にオバちゃん達がいない訳は影なんじゃないの?日陰のあるこっち側が人気なんだね。

ここの服ならなんとか。日本ならサマードレスだよね。でも今は4月なんだよ。ベトナムは。

日本橋まで戻って来た。まだ全員揃ってない。集合場所の日本橋は小さいので、橋のたもとで露店ウオッチング。これさ、今回画像を選んでて気付いたんだけど、オバちゃんが売ってるのって、ホイアン名物ホワイトローズ(米粉蒸し餃子)です。イメージ的にはでっかいワンタンを湯がいて、たっぷりの薬味に漬けてある。
さて、出発。バスの待つ場所まで徒歩で川沿いを移動します。
あ!あれはっっ!!

はい、ベトナムの川という川、ため池に用水路で繁殖してるホテイアオイです。ご覧のように綺麗なうす紫の花をつける植物ですが、アマゾンから来た駆除対象の植物です。日本もな、気をつけないと、これ、一端繁殖し出すと繁殖力が旺盛なので、早々駆除出来ません。観賞用で育ててる人は水かめや水槽の掃除の時には細心の注意を払って欲しいです。

ホテイアオイの向こうに見えるのは、川エビ用の網ですかね旅情を添えてくれますね〜。
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世界遺産ホイアン旧市街

2016年08月10日 06時02分29秒 | ベトナム旅行記
チャンパ王国の聖地跡のミーソン遺跡見学後、ホイアンの街に戻り昼食。ホイアン3大名物、カオラウ(汁なし米粉太麺うどん(・ホワイトローズ(米粉蒸し餃子)・揚げワンタンが登場。すみません、画像撮影し忘れました。
昼食後、ホイアン旧市街を観光。

旧市街観光の前にチケット購入。ガイドさんがツアー人数分を購入するのを待つ。ふと、傍らに停まるタクシーの車体に値段表を見つける。

え〜と?1万ドンが約56円(2015.4現在)なので、走行距離が1キロなら85円くらいか。安っ!
さて、ホイアン旧市街の観光開始です。

最初は福建会館です。17世紀以降ホイアンにやって来た華僑が建てた集会所。

集会所といいつつ、見た目は中国のお寺のよう。

上から下がってるでっかい螺旋のは蚊取り線香でなく線香です。
福建会館の出入口で3D剪紙をオバちゃんが路上販売してました。出来がよく、大が2ドル、小が1ドルだというので、計5ドル分購入することに。

その時、うっかり「ドンだといくら?」と尋ねたのがトラブルの始まり。オバちゃんが私の財布に勝手に手を突っ込んで、20万ドン札を3枚、計60万ドン抜いてった〜〜っ!!
んで、「はい、お釣り10万ドンね」と来たもんだ。
ちょっと待て!
20万ドンは1176円です。5ドルのはずが、いつの間にやら50万ドンになっとるやないかい〜〜っ!!日本円に換算すると、50万ドンは2940円ですわ。5ドルのハズなんですよ。たかだちゃちな切り抜きなんですよ。
「オバちゃん、コーアン(警察)に行こう」と言ったらば、「何のことかしら〜?言いがかりはヤメテ〜」ときたもんだ。
ダメだよ、オバちゃん。シラを切っても無駄なんだな。だってさ、証拠があるんだわ。
「オバちゃんの20万ドン札を確認しようか?
オバちゃん「ハア?」
「その中に1176円と書き込んだお札が3枚あるね。これが私のお金だ!さあ返せ」
オバちゃん「チッ、バレたか」
いや〜〜、落書きはマズいとは分かってるんだけどね。財布の中に日本円と米ドルとベトナムドンの3種類のお金が混じってるとさ。まだベトナムのお金に慣れてないから混乱してつい落書きしてしまったんだけどさ。まさか役に立つとはっ。

ホイアン旧市街は世界遺産の街で、世界中から観光客が集まってる訳ですが、観光客目当ての犯罪者も集まってる訳で。訪問の際は気をつけて下さいね。

まだ4月だというのに、ベトナムの太陽は既に日差しがきつい。

そもそもホイアンは世界遺産で有名なのですが、今どきはちょうちんでも有名です。

こんな感じのちょうちんで、夜だともっと綺麗に見えたでしょうが、昼間だと美しいとは思わない。

次にガイドさんに連れていかれたのは、海のシルクロード博物館。展示品ははっきり言ってショボい。
次に見たのが本日のトップ画像です。日本人橋です。

正式名称は来遠橋です。屋根付きの橋で、橋の途中に祠があります。
また橋の東西に置物があります。
東西で申と戌の像があります。これは橋の工事が「さる」年に始まり、「いぬ」年に終わった事に由来しているとか。
日本橋は有名な観光スポットですが、トップ画像を見れば分かる様に小さな橋です。この橋は1593年に東の日本人街と西の中国人街を結ぶ橋を日本の商人が作った。現在流通しているベトナムの2万ドン札には日本人橋が印刷されています。

橋を西へ。すぐフンフーンの家がある。

中にも入ってみましたが、ショボい。

2階から通りを見下ろしてみたけどさ。
添乗員「フリータイムをとります。集合は45分後に日本橋で」
よ〜し!世界遺産の街を歩くぞ〜〜っ!!
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世界遺産ミーソン遺跡

2016年08月09日 09時01分20秒 | ベトナム旅行記
中断していたベトナム旅行の連載を再開します。
ここまで中断が長くなろうとは…。それもこれも夏コミ合わせに「インド旅行漫画」を描いていたからなのですが、インド旅行のイスラム建築もヒンドゥー建築も作画に時間がかかって大変でした。その点、ベトナムの遺跡は描くの楽だったよな〜。その訳がよ〜く分かるのがこのミーソンの遺跡です。
ミーソンは世界遺産の古都ホイアンからバスで1時間弱の郊外にあります。



一目瞭然なのですが、ミーソン遺跡は破壊された遺跡なのです。
原因はこれ。

遺跡の壁に残る機銃掃射の跡。
これでも大概なのですが、破壊になった戦争がベトナム戦争だから救われない。
ミーソンは南北に長いベトナムの真ん中から少し南にありまして、遺跡を抵抗勢力がアジトにしたから大変。活動物資は山を越え、隣国ラオスからどんどん補給される有様で、アメリカは攻めあぐねました。
抵抗勢力は、遺跡なら敵も壊せないともくろみもあったのでしょうが、そんなん軍人の前には紙の如く。アメリカは空爆に踏み切り、レンガ製の遺跡はひとたまりもなかったのだ。

空からこんな爆弾が大量に落とされてしまいまして。ミーソン遺跡にあった多くの建物は崩壊しました。
戦争後、各国が競う様に復元してまして。

こちらは日本の早稲田大学が復元したもの。

こちらはドイツが復元したもの。復元といっても破壊度が高い建物の復元はこれが限界のようです。
ちなみに、こんな感じで復元してあるものも。

これさ、角の彫刻だけ元ので、背後のは新しく作ったものみたいです。

だってさ、燃えてないし、雨で苔もついてないからね。
一部、ミーソンがチャンパ王国の聖地だった頃の構造物も残ってます。

これがそう。チャンパ王国はヒンドゥー教を信仰していて、シヴァ神を祀ってました。上の画像のリンガとヨニは子宝の象徴です。

傍らに石版もありまして、ど〜みても現在のベトナム語でないからこれはチャンパ文字のようです。

石人の頭がなかった!これは…。ベトナム戦争が原因ではないかも?世界のあちこちにある遺跡で頭のない石彫はたまに見かけます。んで後の時代の観光客のお約束の撮影方法ですね。

これさ。今年インドで散々見たヒンドゥー教の神様の牛、コブ牛じゃないかな〜?ミーソンはシヴァ神を奉じていたそうだし。おそらくおそらく。
● ミーソン遺跡(1999年世界遺産指定)
ミーソン遺跡は2〜7世紀にかけて栄えたチャンパ王国の聖地跡。
接着剤を使わず作り上げたレンガ建ての技術は今も謎。
7世紀までは木造だった為、火災で焼失。
現存する構造物は8世紀から13世紀に建てられたもの。
チャンパが信仰したのは、ヒンドゥー教のシヴァ神。神と王を一体化したシヴァ神像が祀られていた。
遺跡は四方を山に囲まれており、チャンパ滅亡後、長く忘れ去られていた。
再発見はフランス統治時代になってから。

ところで、前回のベトナム旅行連載記事の最後に、デジカメを海辺で水没させたのに、なぜ画像があるかといいますと、添乗員さんのデジカメを貸出しでいただいてます。もうね。諦めてたから本当に嬉しい。
ミーソン遺跡到着後、まずはサイトミュージアム見学。(日本政府の協力で作られた)。その後、遺跡の近くまでは電気シャトルに乗り移動する。その後、チャンパ人による踊りを鑑賞してから遺跡の見学という流れでした。そこで旅の集合写真を撮影した後、そのままデジカメを貸してくれたのですよ。嬉しい〜〜〜っ!!

ミーソンからの帰り道、車窓に既に穂が出てる田んぼが見えた。ベトナム訪問は4月でしたが、既にお米の収穫が近いようですね。

北ベトナムから中部フエへ。途中でも川を多くみましたが、このあたりにも川が多いようです。ベトナムは米を作るためにある土地みたいだね。

ってな事で、またベトナム旅行ブログを再開します。
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インド旅行記完成しました!

2016年08月07日 13時49分57秒 | サークル/在庫情報
6月から延々描いてました、『インド旅行記』こと【不思議の国インド】を無事入稿しました!
夏コミ会場にて新刊発売です。
夏コミ3日目参加日:2016年8月14日(日曜日)
サークル名:竹里館旅游社(ちくりかんりょゆうしゃ)
スペース配置:西①ホール るー10a
です。

トップ画像は表紙&裏表紙なんですが、すみません、原稿を送る前に撮影したのですが、ピンぼけになってました〜
第一次入稿日7月25日印刷代20%オフ。は、すぐに諦めたのですが。
第二次入稿日8月1日印刷代10%オフ。は確か7月29日の時点ではまだ諦めてなかったのですがね。原稿発送日が日曜で、となると、金曜の29日には見極めなきゃならん!とトーン貼りをスピードアップしつつ考えてたんだよね。ンで、結局いつも通りにトーン貼り込みも全力で!と20ページ辺りを貼った所から貼りまくりの自重を止めたらば…。時間が足りなくなりました!
 
あ。ちなみに今回もベトナム旅行記に続き、カラー口絵4ページ付きです。カラー口絵の写真をご覧いただこうと、携帯で撮影したのですが、失敗しました〜
今回描く前から作画が大変になるのはある程度予測出来ていたのですよ。

泣きが入ったページです。

せっかくなのでもう1ページ。
もうもうもう〜〜〜っ!!イスラム建築もムガル建築もヒンドゥーも二度と描きたくない〜〜〜っ!!
ああ。去年のベトナム旅行記の作画がどれだけ楽だったかと…。作画の大変さは、線画のほとんどをNIKKOの丸ペンで作画してる所からさっして下さい。あ、私、今どき、せこせこ原稿用紙に描いてます。パソコンに描いてません。
そんなこんなで作画はいつまで経っても終わらず、予定はズルズルとずれ込みました。最後の最後に残ったのがなんと!表紙&裏表紙でして。8月5日に印刷屋に原稿を届けるには、8月4日の午後3時半までに近所のファミリーマートに持っていかなきゃなのに、3時過ぎてもまで出来てなかったという…。
表紙&裏表紙の色は、インドの国旗色の緑とオレンジと白色にしたかったんだけどさ。
今回、ネームをレーザープリンターで打ち出してたら、ついにレーザープリンターが壊れまして、急遽、同じレーザープリンターの後発機をダンナに注文してもらい設定までやってもらったのだ。しかししかし、色ってさ、プリンターによって微妙に違うじゃん!でも、時間がない!ってことで1発打ち出しで作成しました。表紙&裏表紙は既に絵コンテだけは作成してあったのですが、にしてもギリギリでした。いや〜〜、ここまで追い込まれたのは、私史上始めてでした。
苦闘の跡は、夏コミ会場で刷り上がった本をじかに手に取ってご覧下さい。
さすがに午後3時10分から20分の最後の最後にギリギリ本文コピーしにスーパーに走ったので、仕上がり原稿を入稿後始めて見返したらば、既に3カ所もネーム抜けを見つけてしまいました〜。今回見直す時間も全くなかったので、予想は出来てたけどな。
ともかく!当日新刊がある事が嬉しいです。夏コミ会場でお待ちしています。
あ!も一つ。
今回、竹里館旅遊社のサークルメンバーの梅原沙実ことキャサリン梅原ことぶめちゃんは病欠です。
ピンチヒッターで、カエル&旅行&ホームズサークルのとおのさんが売り子としてお手伝いに入って下さいます。
彼女の本は『アジア蛙巡礼旅』(サークル名:けろけろ開運堂 ペンネーム:とおのはるみさん)を委託販売してます。
急な依頼を引き受けて下さいました。感謝感謝です。
では当日に〜。暑くなりそうな今年の夏コミですね。が・がんばろ。
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