最高気温13、4度(最低気温0、0度。今季最低)。晴れ。
ひさしぶりに(朝から)よく晴れた朝は、キンと冷えた大気が、庭の草木を、車を白く凍らせました。
おーひやい!初霜です。南国四万十も、よーやく真冬のよそおいに。
昼どき。おだやかな陽気とポカポカ陽ざしにさそわれて、薄着で走れば、
風表の日陰の細道で、突如ビュウビュウと吹きだした北風に、フルエル。冬の風は気まぐれだなぁ。
大きな橋から見おろす四万十川は、激ヤセ。(少雨の)減水期の川は、
流れがとてもほそくゆるく、川原がグンとひろくなってます。透明度は、なかなかよいのですが。
空をみあげるコトもおおい過疎の川のほとりのくらし(仕事柄ということもありますが)。
ことさら星がうつくしいこの季節は、夜空をながめる時間もふえてきます。
ホットウイスキー片手に、モコモコと厚着で。
ときおり、理解不能なあやしげな光り(UFO)が見えないかなぁ、
と目をこらしてみますが、僕は、これまで一度も見たコトがありません。あなたはありますか?
そして、見えたらオモシロイのになぁ、と思ういっぽうで、ある旅エッセイ本の一節も思いだすのでした。
『・・・ひとりが、UFOは存在するのだろうかという素朴な疑問を投げかけた。
さまざまな意見が飛び交ったが、私は天文台の研究員の男性がこう言ったのが忘れられない。
この広い宇宙には数千億個の銀河があり、各銀河に私たちの太陽系のような惑星系が無数にある。
その中に太陽と地球の関係に似たものがないはずがない。
それは宇宙のどこかに生命体が存在する可能性はあるということを意味している。
しかし、とその研究員は言った。
宇宙が現われて140億年、地球が生まれて40数億年、そこに現代に近い人類が登場したのが20万年前。
140億年を1日とすると、20万年は1、2秒ほどにすぎないことになる。
1日のうちの1、2秒。つまり、知的生命体としての人間が存在している期間というのは、
永い宇宙の歴史の中ではほとんど一瞬にすぎないのだ。
その状況は他の天体に生まれた生命体においても同じだろう。
だから、と研究員は付け加えた。
「どこかの天体に生命体がいたとしても、
その生命体が存在している時期と我々人間がいる時期が重なっているという可能性は極めて低い。
しかも、その生命体が、この広大な宇宙の中から、
米粒よりも小さい地球という天体を目指してやってくるという可能性は、ゼロに近い確率なのではないかと思います」
私は、その説明に深く納得してしまった。地球以外にも生命体が存在する天体はあるかもしれない。
だが、その生命体と私たち人類が遭遇する可能性はほとんどない。一瞬と一瞬は、交わらないだろうからだ・・・』
沢木耕太郎著 「旅のつばくろ」収録「一瞬と一瞬」より
一瞬と一瞬は、交わらない、か。でも、見あげる星の海には、
奇跡をさがして、果てしない孤独な航海をつづけている探査機ボイジャーもいます。太陽系も遠く離れて。
何度もトラブルにあいながらも回復し、旅の便りを送ってくるボイジャーには(そのけなげさ?には)、
とても親近感をおぼえるし、探求する旅をつづける我がココロにも、エナジーをもらえます。
「Va ou tu veux, meurs où tu dois.」行けるところまで行き 然るべき場所で死ね *フランスの諺
ボン・ボヤージュ!!
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