あるBOX(改)

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動物園へ

2008年09月02日 | 生活
区でやってる無料動物園があるってんで。

板橋までノコノコでかけた。
上板橋がら約15分、チビ抱っこして歩くのはホネだったが、歩きましたよ。

フツーの町並み、どこにあるのか不安だったが、住宅街の真ん中にあるましたよ。
公園とセットで。



居るのは主にヤギ、ヒツジ、シカ、ポニー。
ちゃんと飼育係さんも居らした。

魚もいたし、ザリガニも、亀も居た。
フラミンゴも居た。

モルモットのコーナーでは、膝に置いて撫でる事ができた。
ウチのチビはオドオドしながら撫でていた。

私も懐かしく動物園を満喫した。
いや、子供時代、この手の所に行った記憶が殆どないんだよなぁ・・・。

これも、自分自身の育て直し・・・だなぁ。
「情操教育からやり直せ」ってか。

北島、2冠への道(番外編)

2008年09月02日 | 競泳
そして、いま

北島康介は休養・リフレッシュの時期だし、充分に水泳界に貢献した現在は、無理してメディアで顔を売る必要もあるまい。

思い出に浮かぶシーンがある。
五輪前の特集番組で、「ジュニアスイマーだった頃、どうしても勝てない相手がいた」と吐露する北島の姿があった。
そこで恩師が、北島少年の「当時の作文」を紹介。

「こいつには勝てないと思ってしまったら、一生そいつには勝てない」
アテネ後の北島は、まさに、そうなりかけていたように思う。

そこから心身ともに建て直し、日本人スイマー初の「五輪2種目連覇」を果たした精神力には、ただただ脱帽。

「国民栄誉賞」の声にも「イチローさんは辞退したんでしょ?」と語る庶民派は、どこかしらヤンチャ坊主の面影も残す。

本人も言うとおり、「指導者には向かない」とは思うが、何らかの形で「水泳伝道師」として活躍して行ってくれるでしょう。

現役を続けるか否か・・・は別として。

北島、2冠への道⑥

2008年09月02日 | 競泳
そして、2008年6月。大きな朗報が届けられた。

東京辰巳国際水泳場での「ジャパンオープン/男子200m平泳ぎで、自身5年
ぶりとなる2分07秒51の世界新記録にて優勝。

これまでの記録を1秒近く縮める快記録は、メディアも「ほぼノーマーク」の
うちに樹立されたが。
本人は「五輪前の国内ラスト・レース」で記録を狙う気マンマンだったようで、感無量の表情がインタビュー映像から伝わった。

前年の世界競泳あたりから、試合前のタイムトライアルでは「世界記録を狙える」と、平井コーチが期待する声が度々伝えられたが
「世界最高のキックに加え、腕のかきでもハンセンに並ぶ」という、通称
「4WD泳法」が、ついに本番で機能したワケだ。

大一番を前に、体調不良・故障から開放された北島は、いよいよ「五輪では、
世界記録で金メダルを獲る」と明言し始めた。

また、この大会ではSPEEDO社のレーザー・レーサーを着用して挑み、話題の
競泳スーツも使いこなして見せた。
(ハンセンには合わなかった模様)
4WD泳法を完成させた矜持から、Tシャツでは「泳ぐのは自分」とアピール
したが、しっかり「脅威の水着」を着用したのは勝負師ならでは・・・か。

そして2008年8月

ハンセンまさかの200m出場権ならず・・・のニュースに驚きつつ迎えた北京
五輪。
「世界のブレストは、ハンセンと北島の2人舞台」と言われた事がウソのように、100mではノルウェーの新鋭アレクサンダー・ダーレ・オーエンが台頭。五輪
記録で予選をトップ通過した。

しかし、「世界記録が金メダルの条件」と集中力を増した北島は、決勝で脅威の泳ぎを見せる。
8月11日
男子100m平泳ぎにおいて初の59秒切りを果たし、58秒91の世界新記録で優勝。
史上初・男子100m平泳ぎの五輪連覇の快挙は、新聞の号外となって日本中に
伝えられた。

8月14日
男子200m平泳ぎ決勝において優勝。
2分07秒64のオリンピックレコードで、100・200連覇を達成。
競泳・日本人選手の「2大会連続2種目制覇」は史上初で。

私は、もう、ただただ放心し、脱力・・・。

そして8月17日、
北京オリンピック競泳の有終を飾る男子4×100メートルメドレーリレー
北島は第2泳者として、57秒台に迫る58秒07のタイムでトップに躍り出て、期待の銅メダルを獲得。
世界大会のメダル常連に日本チームを導く立役者として、不動の地位を築いた。

北島、2冠への道⑤

2008年09月02日 | 競泳
そして北京五輪前年の2007年

3月の世界水泳メルボルン大会は、100m平泳ぎで銀メダル。
男子200メートル平泳ぎ2分09秒80で金メダル。
400mメドレーリレー 3分35秒16の日本記録(森田智己・北島康介・山本貴司・細川大輔)で銀メダル。

個人的には、この大会が北島復活への転機になったような気がします。

100mこそ、ハンセンが金を奪ったが、北島も1分切りを果たし、復調の兆しを見せ。
200mは、ハンセンが棄権して、北島は金。

ハンセン棄権の理由は体調不良だったが、
五輪と並ぶ大きな大会「世界水泳」で北島にトップの感触を思い出させた
ことは、「敵に塩を送る」のに等しい行為だったのではあるまいか。

そして男子メドレーリレーでは、米国が予選で「まさか」の引継ぎミス
(フライング)。
アメリカの失格で、結果として日本は、五輪・世界水泳で最高位の「銀」。

ハンセン温存の意味すら失った米国チームには、痛恨の失格だったが。
原因は「北島復調に慌てた為」なんて事も語られたものでした。
事実、決勝での北島は「3人抜き」を果たし、その上で2位に差を付ける
「貯金」まで作って山本にタッチ。
山本もトップでアンカーに繋ぎ、細川は1位のオーストラリアとタッチ勝負
まで持ち込んだ。

そして2007年8月

日本(千葉)で開催された世界競泳2007の男子100m平泳ぎで優勝。
翌年8月に北京五輪があるため、「それまでの合間に世界規模の大会を」と
催された「世界競泳」だったが、米国勢は参加せず。

ハンセン不在では、北島トップも当然の結果だったが。
記録は59秒74で、日本国内のレースで初めて1分を切って、ますます
「北島、本格復調」が伝えられた。