あるBOX(改)

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訃報:やなせたかし先生、逝去

2013年10月19日 | 生活
また訃報です。

10月13日、『それいけ!アンパンマン』などの絵本漫画や
『手のひらを太陽に』の作詞で知られる漫画家のやなせたかし先生が
心不全のため東京都内の病院で亡くなったとの事。
享年94歳。

やなせ先生は、大学卒業後にグラフィックデザイナーなどを経て漫画家としてデビュー。
ただし、先鋭化するマンガに対して距離を取り、絵本作家として活動。
昭和48年に発表した「それいけ!アンパンマン」はテレビアニメになり大人気となった。



アニメは国内だけでなく、海外でも放送されて世界各地の子どもたちの人気をさらった。
また、作詞家としては『アンパンマンのマーチ』の歌詞も話題になった。

自身も戦争体験があり、実の弟さんを特攻艇『回天』で亡くしているだけに
やはり言葉の深みが違います。

一部を抜粋しますと

~そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
 たとえ胸の傷が痛んでも

 何の為に生まれて 何をして生きるのか
 答えられないなんて そんなのは嫌だ!
 今を生きることで 熱いこころ燃える
 だから君は行くんだ微笑んで。

 何が君の幸せ 何をして喜ぶ
 解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

 忘れないで夢を 零さないで涙
 だから君は飛ぶんだ何処までも

 嗚呼アンパンマン優しい君は
 行け!皆の夢守る為

 時は早く過ぎる 光る星は消える
 だから君は行くんだ微笑んで

~アンパンマンのヒーロー像は旧来とは違う。
戦前に正義と言われたものが戦後は一変した。大人の言う正義が180度変換した。
正義とは変わる。変わらない正義は飢えた人に与える事だ・・・と。

そうして、疲れて倒れる人に自らの顔を食べさせるヒーローが誕生した・・・と。

東日本大震災、避難所で泣く子供達がラジオで流れる『アンパンマンのマーチ』を聴いて、皆泣き止んだそうだ。震災後、初めて笑顔を見せた子もいたという。

やなせ先生は、それを聞いて密かに決めていた引退を撤回したそうな。

子供は大好きだもんね、アンパンマン。
殆ど例外なし。1歳~3歳くらいの子は食いつきがハンパない。

Eテレの「いないいないばはぁ」に始まり「おかあさんといっしょ」と平行して『アンパンマン』に一気にハマるのが当世の子供事情。
※うちのちびスケもお世話になりました。
 四谷のアンパンマンショップにも行ったし、そこで先生の原画も鑑賞したし・・・



そこから『プリキュア』に移行するのには「一気に進むんだな~」と驚かされたが
※絵本から少女漫画に飛んじゃうイメージね

だからといってアンパンマンがヒーローである事には変わりません。

映画の舞台挨拶の度に壇上で歌い、場を盛り上げた“やなせ先生”も、またヒーローでした。
最後は癌の手術と再発、視力の低下で執筆も制限されたが、病床で制作活動を続けたそうです。

おつかれ様でした、やなせ先生。
ゆっくりお休み下さい。

やなせたかし先生の御冥福を心からお祈り致します。