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訃報:高山一夫さん

2013年10月20日 | ボクシング
高山一夫さんも亡くなっていたのですねぇ・・・。

昭和30年代、プロボクシング日本フェザー級チャンピオンとして世界タイトルに2度挑戦した高山一夫さん。
9月29日に心不全のため、兵庫県内の病院で亡くなっていたとの事。
享年77歳。

神戸出身の高山さんは帝拳ジムの所属選手として強打を武器に台頭。
小坂照男や、福地健治、小林久雄、渡辺亮らとともに、帝拳ジムのスター選手となった。
※笑顔のスターが並び、両手で頬杖つく素敵なフォトがあったよなぁ・・・



昭和33年に日本フェザー級王座を獲得。
8度防衛して返上したが、「挑戦してくる選手が居なくなった」なんて伝説もある。

世界挑戦は、後楽園球場(!)特設リングにて。
相手は技も力も備えた世界フェザー級王者デビー・ムーア(米)。
マスコミが「ルノー(小型車)がダンプに衝突するようなもの」と例え、それに本田明会長が激怒した・・・なんてエピソードも有名だ。
それほど予想は圧倒的に不利だったが、しかし高山は初回に強打を決めムーアをロープまで吹っ飛ばす。
高山自身が「レフェリーが慌てて助けなければリング下に落っこってただろう」というくらいのシーンだったそうな。

その後も強打とタフネスで大善戦。技で優る王者に15回判定負けとなったものの、
「日本のボクサーは中量級では世界に通用しない」という定説を破ってみせた。

翌61年にもムーアに再挑戦するが、13回に痛烈なダウンを喫して判定負け。
※これがアッパーを突き上げられ、天から糸で吊られたように
 引っ張り上げられてから倒れる凄いダウンシーンだった・・・。



高山一夫の名勝負としては
キャリア晩年の63年、勝又行雄との倒し合いも挙げられる。
これまで何度も戦ってきた両者だったが日本王者の高山が4回に2度ダウンを奪って圧倒的優位に立つ。
このままKO勝ちかと思われた6回、勝又の右強打で逆転1発KO負け。

これまで一度もKO負けした事がないタフガイの高山だったが、
リング下から「高山さん」と言われて気持ちがそっちに行った時に食ってしまった
・・・などと、KO負けの真相(?)を後に語ってらおられ、敗れた試合が名勝負と
言われる運命のアヤを感じてしまったものです。

63年9月の試合がラストファイト。
確か、朝起きて歯磨きしてて「頭が痛いなぁ」と病院に行ったら
脳内出血が見つかった・・・とか、これまた御本人が専門誌で語っておられた記憶ありです。

世が世なら世界王者な名選手だが、世界戦がスタジアム級の会場で行われたってだけでも格が分かります。
※他は白井義男さんと米倉健司さんだけ・・・

終身戦績は、85戦60勝24KO17敗9分7EX(25KO説あり)
高山一夫さんの御冥福を心よりお祈り致します。