あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

訃報:エミール・グリフィス氏

2013年10月22日 | ボクシング
7月23日のことです。
1960年代を中心に活躍したプロボクシングの元世界王者のエミール・グリフィス氏(米国)がニューヨーク州の施設で死去したとの事。
享年75歳。

バージン諸島出身のグリフィス氏は世界ウエルター級王者に3度、ミドル級王者に2度就き、90年には殿堂入りを果たし
ウェルター級ではベニー・パレットとルイス・ロドリゲス、ミドル級ではニノ・ベンベヌチというライバルに恵まれたキャリアでした。



1958年にアメリカでプロデビュー。
1961年、25戦目で世界タイトルに初挑戦。
世界ウェルター級王者ベニー・パレットに13回KO勝ちで王座を獲得した。
1度同王座を防衛し、9月30日にパレットと再戦。これは15回判定負けで王座から陥落した。

1962年のパレット第3戦は色々な意味でボクシング史に残る試合となった。
計量時に中傷されたグリフィスは激昂、乱闘騒ぎとなり、試合でも最後はパレットを滅多打ちにして12RTKO勝ち。
王座の奪回に成功したが、一転しての悲劇はここからだった。
パレットはリング上で昏睡状態となったまま病院に搬送されるも、意識が戻ることなく10日後の4月3日に死去したのだ。

グリフィスを中傷した言葉は「マリコン野郎」。これは同性愛者を表すもの。
のちにグリフィスは、それをカミングアウトしているから、ある意味「本当の事を言われて逆上した」とも言える。

「ウホ、いい身体」
「なに見てんだ、このマリコン野郎!」
「なにいいいい!私を怒らせたな!見てらっしゃい!」
・・・そんな遣り取りが想像される。

そして決着はつき
「グリフィス、TKO勝ち」
「やった!少しでも多くのパンチを相手に打ち込みたかった!それが叶った!」
「パレットが危険な状態だ」
「いやあああああ!!!」
・・・そんな興奮、歓喜、悲劇のシーンが立て続けにグリフィス氏を襲ったのだろう。



不謹慎な書き方で申し訳ないが、これぐらい壮絶な感情のアップダウンが
あったであろうと推察される・・・という意味です。

一時は引退も考えたといわれるグリフィスだが再起を決意。

1963年、3度目の防衛戦でルイス・ロドリゲスと対戦し、15回判定負けで王座から陥落。
それでも、同年ロドリゲスと再戦して15回判定勝ちで王座を奪回した。

1963年末には、ノンタイトル戦でルービン・ハリケーン・カーター(米)と対戦し、衝撃の初回TKO負け。
この試合はリングマガジンのアップセット・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
カーターはミドル級の世界1位の選手で、グリフィスは現役の世界ウェルター級王者。
まだ階級の壁がブ厚かった頃のお話です。

1964年、ルイス・ロドリゲスと3度目の対戦。これは15回判定勝ちで王座の初防衛成功。
その後も防衛を続け、計4度の防衛に成功。
1964年にはリングマガジンの年間最優秀選手に選ばれた。

1966年、世界ミドル級王者ディック・タイガー(ナイジェリア)に挑戦し、15回判定勝ちで2階級制覇に成功。
(ウェルター級王座は返上)。その後、2度の防衛に成功した。

1967年、3度目の防衛戦でニノ・ベンベヌチ(伊)と対戦し、15回判定負けで王座から陥落。
同年9月にベンベヌチと再戦し、15回判定勝ちで王座を奪回した。
1968年には、ベンベヌチと3度目の対戦を行い、15回判定負けで王座から陥落した。
元アマ選手のベンベヌチとはダウンの応酬あり、ここでもライバルに恵まれた感あり。
ただし、この頃はスピードも落ちてたんじゃないかなぁ。
名勝負モノで見たかぎり色んな意味で「クラシックファイト」という気がした。

1969年、世界ウェルター級王者ホセ・ナポレス(メキシコ)に挑戦し、15回判定負けで王座再獲得ならず。
これはナポレスがコークスを返り討ちした直後、2度目の防衛戦。
無冠の帝王から悲願の世界王座奪取なって気力充実のマンテキーヤには敵わなかった。



1971年、世界ミドル級王者カルロス・モンソン(亜)に挑戦し、14回TKO負けで王座再獲得ならず。
1973年、モンソンに再挑戦するも、15回判定負け。
第一戦はロープ際で滅多打ちされてのストップ負け。
それでも再戦では研究しての出入りで前半リードし「さすがグリフィス」と識者を感心させるも、終盤は失速して判定負け。
この辺は連敗でグリフィスの時代は終わったと思われたが、世界王座返り咲きの野望は失わず。
なんとジュニアミドル級王座にも手を伸ばした。

1976年、WBC世界ジュニアミドル級王者エックハルト・ダッゲ(独)に挑戦。
際どい15回判定負けで、3階級制覇ならず。
1977年7月30日、アラン・ミンター(英)と対戦し、10回判定負け。この試合を最後に引退。

生涯戦績が、112戦85勝23KO24敗2引分1無効試合。
KO率が低いのはパレット戦の悲劇の影響とも言われるが、。

ともあれ、やはりウェルターとミドルで計5度世界王者になった名選手です。
リング誌でも表彰され、殿堂マジソンスクエアガーデン興行に数多く呼ばれた人気選手です。
亡くなったのが、ニューヨークの施設というのも感慨深いです。

元は野球選手になりたかったが、112戦もリングに上がる事になったグリフィス氏。
どうぞ、安らかにお休み下さい。