白村江の戦いで大敗した大和朝廷が、
新羅・唐連合軍の襲来に備え、
太宰府を守るために築いた山城が大野城。
標高410メートルの四王寺山(大城山)の
山頂を中心に馬蹄形状の尾根から谷を廻る土塁と
石塁の外周城壁は、約6.8kmあります。
南側と北側の土塁が二重となり防備を固め、
城域は東西約1.5km×南北約3kmの、
日本一の大規模な古代山城です。
城は亡命百済人の指導による朝鮮半島の
築城方法によって造られました。
天智政権は白村江の敗戦以降、
唐・高句麗・新羅の交戦に加担せず、
友好外交に徹しながら、防衛体制を整えたとか。
万が一の場合には、城内に太宰府の機能を
移すことも考えて設計されていたといいます。
城壁の総延長は約8㎞にもおよびます。
城内に残る多くの礎石建物群からも
そのスケールの大きさを実感できます。
別名:ー
種別:山城(朝鮮式)
築城者:大和朝廷
築城年:665年
主な城主:ー
福岡県太宰府市・大野城市・宇美町
2023.12.8
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