難攻不落の堅城と謳われる岡城。
周囲を囲う断崖絶壁とその絶壁場に
累々と築かれている石垣群がその所以です。
築城は1185年、標高325mの
天神山の断崖絶壁を生かした古城は、
緒方惟栄が源頼朝に追われた源義経を
迎えるために築城したと伝えられています。
大手門跡
大手門は、城の正面玄関であることに加え、
防御施設でもあります。
東西2500m、南北362m、総面積は23万4千㎡に及ぶ
広大な敷地に広がる山城である岡城は、
1369年、志賀氏の居城となります。
島津の大軍に攻撃される豊薩戦争では志賀氏が撃退、
「難攻不落の城」と言われるようになりました。
1594年、播磨国三木城から中川秀成が入部。
中川氏により、総石垣の近世城郭へ、
大幅改修が行われました。
太鼓櫓跡・鐘櫓跡
太鼓櫓は岡城の中心部への入口、城内で最も重要な門。
2m程の巨石を「切込接」という石垣の技法を使い、
隙間なく積まれた石垣は、藩主の権威の象徴、
岡藩の石垣技術の高さを窺えるものです。
岡城内の各所で、北に「くじゅう連山」、
西に「阿蘇山」、南に「祖母・傾山系」など、
九州山地の雄大な山々が展望できます。
特に本丸、三の丸、西の丸からの眺望は絶景。
本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸をおき、
中央部には藩主の住まいとなる本丸御殿が建てられ、
それを囲むように、天守に相当する御三階櫓や角櫓、
多門櫓、金倉などが配置されていました。
瀧廉太郎は、岡城をモデルにして
名曲『荒城の月』を作曲したといわれています。
別名:臥牛城、豊後竹田城
種別:山城⇒平山城
築城者:緒方三郎惟栄、志賀貞朝、中川秀成
築城年:1185年、1331年、1596年
主な城主:緒方氏、志賀氏、中川氏
大分県竹田市大字竹田2761
2023.12.13
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