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大分の名君といえば、大友宗麟が思い浮かびます。
鎌倉以来400年間、豊後を治めてきた名門。
大友宗麟の時代が最盛期、九州の大半を支配、
キリシタン大名として海外とも積極的に交易しました。
息子の代になって衰退、国を去った後、
豊臣秀吉に仕えた石田三成の妹婿・福原直高が、
秀吉の命を受け、1597年に城づくりが始まります。
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現在、「府内城跡」を含む周辺一帯は、
「大分城址公園」の名で、
市民の憩いの場として広く親しまれ、
桜の名所としても知られています。
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1602年に四重櫓の天守閣が築かれましたが、
大火により焼失、以降再建されずに
天守台として残り、そこにのぼってみました。
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天守閣のあった本丸周辺の水堀は
埋められましたが、一部内堀が残ります。
再建された廊下橋が見えています。
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本丸櫓台と二階櫓の石垣の間にかかるのが
復元された廊下橋で、府内城には、
3箇所の廊下橋が架けられていました。
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塀や屋根のある木製の橋で、
入口には扉までついていたそうです。
敵の一斉攻撃から身を守り、
城内から撃って出るには最適な造りです。
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廊下橋を渡った先にある松栄神社。
徳川家康の生家、松平家の祭神、近正八幡宮。
1900年、現護国神社境内より、移転。
大戦の戦災も逃れた神社だとか。
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日本100名城にも選定されている大分府内城。
資料などはこちらでいただけます。
100名城スタンプは大手門にあります。
大分県大分市荷揚町4-1
2023.12.14
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