備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

二つの「2007年問題」

2008-06-11 23:09:18 | 評論

ヴェトナム 永厳寺塔 Kodak DC4800


'07/01/08の朝刊記事から

二つの「2007年問題」
団塊退場と平成生まれ参入

作家 島田雅彦


団塊の世代が続々、定年退職を迎える。人事や雇用に大きな変化が起こることが期待されるが、彼らが完全に社会や組織から退場するには、まだ少し時間がかかる。
重役や社長の立場に今しばらくは身を置いているので、社会に目立った変化が生じるのは早くても2、3年後だろう。

この2007年問題をにらんで、各業界は老年層の顧客獲得の戦略を練っている。
私のところに来る原稿執筆やインタビューや講演の仕事も「老年シフト」を取った企画が増えている。
衣食住や旅や趣味に金を使わせようと、必至だ。

確かにこの世の財産はあの世に持ち込めないのだから、老人は大いに散在すればいいのだが、定年後も20年以上余命を残している人々は、むしろ節約に努めるはずで、何をするにも金のかからない方法を模索するだろう。

具体的に老人はどこへ行くかといえば、本屋ではなく図書館へ行き、レストランではなく居酒屋へ行き、繁華街ではなく山へ行く。
時間はたくさんあり、労力をかけることをいとわないので、園芸や釣りを始め、食料の自給率を上げるとか、生活費の安い海外で過ごすとか、大学に通い始めるとか、小説を書いたり、絵を描いたり、といったことを目指すだろう。

年金はますます細り、医療保険や福祉にも皺寄せが来るので、悠々自適を目指すより、生涯現役を貫くほかない。
そして、なによりも健康でいてもらわなければならない。


労働者に負担
人口ピラミッドはますます根元がえぐられた形になる。
晩婚、少子化に拍車がかかり、働く者にかかる負担は増える。
今さら「産めよ、殖やせよ」でもないから、一人当たりの生産性を上げることが急務となる。
若年層の労働生産性にこの国の未来がかかっているので、自殺防止のキャンペーンも国策の一つになる。
若者の生産性を向上させるには教育や訓練を充実させなければならない。

もちろん、すべての若者が優秀なわけではないので、今後は海外から有能な人材を集め、日本で働き、日本で税金を納めてもらうことも検討する必要がある。

第三世界の人口構成はまだ、裾野が広い安定したピラミッド型だから、日本の老人は第三世界に移住してもらい、第三世界の若者に日本で働いてもらえば、帳尻は合うが、これは一国の政策で決められない。
すでにEU(欧州連合)ではそのようなことが起きているが、人材流出、移民の急増という新たな問題を抱え込むことになる。


続く衆愚政治
ところで、いよいよ今年から平成生まれの子供が大学に、そして風俗、サービス業などの労働現場に次々と入ってくる。
若い方の2007年問題である。
昭和の記憶を一切持っておらず、昭和天皇もバブル経済も左翼運動もベルリンの壁の崩壊も知らず、物心ついたころにはアメリカ一極支配や援助交際が自明となっているような世代が、大人の世界に参入してくるのである。

彼らを特徴付けるキャラクターはまだよく分かっていないが、昭和が深く記憶に刻まれている世代は、ますますコミュニケーション・ギャップに悩まされることになる。
おそらく外交問題の原因となっている歴史解釈の前提さえも彼らには通じないだろう。

彼らが20歳になるのは2年後だが、そのころには大学生の半分は平成生まれとなる。
彼ら新しい有権者の政治的な関心が高まることは考えられないので、従来通り、ポピュリズムという名の政策論議なき衆愚政治が続くだろう。
それは石原慎太郎都知事の再選で証明されることになりそうだ。

世界の政治日程を見ても、アメリカの大統領選が行われる2008年で8年続いた新保守主義の時代が終わり、イデオロギーも経済のプログラムも大幅に変わることがほぼ確実だ。
逆にいえば、2008年まで待たないと、日本の政治も変わりようがないのかもしれない。

二世、三世議員の巣である自民党は今後も「伝統」の対米従属路線を踏襲するほかない。
日本の保守もアメリカの変化への対応を迫られる形で、マイナーチェンジが必要とされる。
2007年はブッシュ政権の落日を横目に、再び巡ってくるであろう日米摩擦の季節への準備を進めることになるのだろう。


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日本の「第三の開国」

2008-04-03 11:51:41 | 評論


'06/12/18の朝刊記事から

日本の「第三の開国」
非核アジアの推進役に


元駐日韓国大使 崔 相龍(チェ サンヨン)

最近、日本では第三の開国(改革)に対する論議が盛んだ。
第一の開国は明治維新で、第二の開国は戦後の米国による占領改革だ。
それならば、日本が志向する第三の開国とは何か。

明治維新は日本の伝統的な存在である天皇に権力と権威を独占させ、その天皇制を中心に日本の近代化を成就させたものである。
その点で、明治維新は日本自らの選択であり、非西欧国家の近代化のモデルとして歴史に記録されている。

ところが、占領政策は戦勝国、米国によってもたらされたものだ。
明治維新が日本の伝統を制度化したものであるなら、占領政策は外圧による民主主義の移植ということができる。
占領改革に対する評価は日本の針路をはかるバロメーターになる。

再三の改革を論議する人々はおおむね、与えられた戦後日本の民主主義を受け入れながら、明治維新の伝統を継承しようと試みているようである。
彼らは占領の「非自主性」を強調し、現行憲法改正の必要性を説く。

脱亜なら孤立

こうした第三の開国に対する論議は、少なくとも次のような二つの点を深く考えておかなかればならない。
第一には明治維新と戦後占領は、連続性よりは変化の観点で把握しなければならない
ということだ。
明治維新の延長線上で展開された日本の帝国主義、軍国主義が結局、日本の敗亡の原因になったことを考えれば、米国による占領政策は明治維新の否定的要素の改革過程といえる。
従って明治維新の伝統と米占領下の民主改革の連続性を無批判的に受け入れてはならない。

第二に、今後展開される日本の第三の開国の方向はアジアとの関係を明確に設定する必要がある。
明治維新が選択した「脱亜入欧」の政策は日本の近代化には成功したが、その推進過程で朝鮮と中国に対してぬぐいがたい傷跡を残した。
戦後日本は明治以来の「脱亜入欧」の代わりに「脱亜入米」に近い路線を歩んできて、アジアとの友好的な関係の確立を渋ってきた。

今や、日本は言うまでもなく世界第二の経済大国であり、政治制度としての民主主義も130年の学習を通じて日本の伝統に深く根を下ろした。
そして、日中韓の経済力を合わせると世界の国内総生産(GDP)の約2割に達し、これら三国の経済的な相互依存関係は日増しに深まっている。

今後、日本が欧米、特に米国一辺倒に向かい北東アジア地域から「脱亜」の道を歩むなら、外交的孤立を自ら招くことになるだろう。
今や、日本はどの地域や国家に対しても「脱」とか「入」の立場を取るのではなく、欧米はもちろん特にアジアとの共生関係の道を歩まねばならないだろう。

米中韓と協力

ここで私は日本の友人の1人として一つの提言をしたい。
それはほかでもない日本が第三の開国の出発点として、非核イニシアチブを取ることだ。
日本は核を持たない先進国であり、人類の歴史上、最初の被爆国だ。
そして、最近のNHKの世論調査によると、日本国民の67%が核を持ってはだめだと言っている。
経済大国、日本が核を持つことはこの地域最大の恐怖である。
逆に、驚くべき潜在力にもかかわらず核を持たない日本の存在は、それ自体が魅力的なソフトパワーである。

韓日両国は、核をつくることができる十分な能力があるにもかかわらず、持っていない。
この両国の協力は六カ国協議でも説得力があり、中国を含めた北東アジア三国の地域協力の新たな出発にもなる。
さらに、日本の自主外交の象徴ということができる日朝の平壌宣言は非核、国交正常化、経済支援を内容にしているために、この宣言が履行されれば、北東アジアの平和達成に決定的な役割を果たすだろう。

従って、日本政府は六カ国協議で核と拉致問題をセットで提起するのではなく、核問題は米中韓と手を結び、拉致問題は北朝鮮と二国間対話で解決するという高難度のリーダーシップを発揮することを望む。
この道こそが、長い間の脱亜の誘惑から抜け出し、アジアとの共生への新たな開国へとつながるだろう。

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防衛省昇格法成立

2008-03-22 21:32:02 | 評論
'06/12/16の朝刊記事から


防衛省昇格法成立 専門家に聞く

防衛庁が悲願としてきた省昇格関連法が15日、成立した。
日本の防衛政策の転換をもたらすとも指摘される同法の成立をどう見るのか。
軍事評論家の前田哲男氏と、拓大海外事情研究所長(安全保障論)の森本敏氏に聞いた(聞き手・東京政経部 青山修二)

前田哲男氏 軍事評論家
核心を巧妙に隠ぺい

自衛隊の海外活動が本格任務化され、専守防衛という防衛政策を根本的に変えるという法の核心が明らかにされないままに採決された。
国会でも、この法の核心を外れた議論が多かった。

2001年にテロ対策特措法を制定するとき、秘密を漏らした自衛隊員や防衛庁の契約業者などを処罰する自衛隊法改正も同時に行われた。
この法改正は1985年に「知る権利を妨げる」と批判されて廃案になった国家機密法案と似ていたが、国会審議はテロ特措法に集中し、自衛隊法改正は議論されなかった。

今回の昇格法も、省昇格と、自衛隊の海外活動の本来任務化が一体として審議されたことで、核心が巧妙に隠ぺいされたと感じる。

防衛庁は、憲法9条の下で自衛隊を海外に出さない、戦争をしないという国の姿勢を示すために「庁」として生まれた。
実態に合わないからといって省に昇格させ、海外活動を本来任務化するのは本末転倒の議論だ。
この昇格法は、専守防衛を定めてきた憲法9条に対して「下克上」を起こしているといえる。


森本敏氏 拓大海外事情研究所長
「恒久法」整備が必要

防衛庁は、旧社会党が自衛隊を違憲とみるなど、設置当時の政治状況の中で、庁になれないまま現在まで続いてきた。
自衛隊は、災害派遣、国連平和維持活動(PKO)、テロ特措法に基づく活動など、海外でも活動の幅を広げている。
防衛庁は、ほかの省や、他国の防衛担当機関と同等の仕事をしており、省昇格は遅すぎた。

防衛という国の基本的な機能を「庁」に担わせている国はほかにない。
法の成立により、防衛庁の省昇格を論じる必要性はなくなり、どんな役割を充実させるべきか議論する時代に入った。

海外活動が本来任務化されても、派遣する際には根拠法が必要だ。
ただ、自衛隊を海外に派遣するときに、その都度、特措法の制定を国会で議論していたら、政府の対応が遅れてしまう。

政府の次の仕事は、自衛隊を海外に派遣する手続きを定めた「恒久法」の整備だ。
自衛隊派遣の基準や、自衛隊員の武器使用の基準をどうするかを国民にきちんと示すためにも、恒久法を制定する必要がある。



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中国にとっての「自由」

2007-08-17 20:55:04 | 評論
‘06/09/25の朝刊記事から


中国にとっての「自由」

「彼はまだ釈放されていない。それだけは確かだ。
これ以上は微妙な問題なので、申し訳ないがコメントできない」

中国当局に身柄を拘束された米ニューヨーク・タイムズ北京支局の中国人スタッフ・趙岩氏(44)について、同支局に問い合わせたところ、こんな答えが返ってきた。

中国に駐在している外国の報道機関や外交官は、電話を盗聴されていることが多い。
それを意識してか、先方の米国人記者は言葉のやり取りに慎重だった。

趙氏は2004年9月17日、国家機密漏えい罪と詐欺罪の容疑で突然拘束された。本人は「身に覚えがなく事実無根」と、容疑を否認したが、今も収監されている。

思い当たる節がある。
ニューヨーク・タイムズ紙は中国の人権問題や民主化、言論の自由について批判的な記事をよく書く。

そのたびに、同紙のインターネットサイトが中国国内で遮断されるなどの嫌がらせを中国当局から受けていた。

どうやら2年前の9月7日に「江沢民前国家主席が、共産党中央軍事委員会主席を辞任することを考えている」と報じたことが、当局の逆鱗に触れたらしい。

当時、江沢民氏の後に胡錦濤国家主席(総書記)が、党中央軍事委員会主席に就任するのは時間の問題と見られていた。
その報道はいわゆる観測記事だった。

だが、中国当局は趙氏が「重大な国家機密」を外国人記者に漏らしたと断定し、強硬措置に出たもようだ。

同紙への抑圧に対し、米政府もだまっていなかった。
「言論・報道の自由を侵害するのか」と、趙氏の釈放を働きかけた。

すると、北京市第二中級人民法院(地裁)は先月末、国家機密漏えい罪については「証拠不十分」で不起訴処分とし、別件の詐欺罪で懲役3年を言い渡した。

同紙は「専制体制であっても、だれかがある程度の恥を知っているらしい。趙氏は機密漏えい罪を免れたが、不当な拘束は真実を報道しようとするものへの警告だ」と、皮肉たっぷりに中国側を批判した。

それにしても、最近の中国の言論・報道統制は目に余る。

趙氏だけでなく、8月末にはシンガポールの英字紙「ストレーツ・タイムズ」の香港駐在記者程翔氏(56)がスパイ罪で懲役5年に。

山東省では「当局は強制中絶で人口抑制を行っている」と告発した全盲の人権活動家陳光誠氏(34)が懲役4年3月の判決を受けた。

陳氏は米紙「タイム」5月号で「世界を作る百人」の一人に選ばれたほど著名だ。

さらに、中国政府は今月、国内に情報を配信する外国通信社に対し、国営新華社通信の許可を義務付ける管理規則を公布し、欧米や日本のメディアをあぜんとさせた。

報道統制の強化が中国のイメージダウンとなるのは必至だが、来年秋の第17回共産党大会に向け、政治的安定と団結を誇示しなければならないという事情がある。

華僑向け通信社・中国新聞社によると、貧富の格差拡大や腐敗のまん延、公権力の横暴、土地の強制立ち退きで民衆が憤り、昨年だけで8万7千件の暴動が起きた。

だが、こうした都合の悪い事実は国内では報道されない。
報道機関は「党の喉」と考えられている。
中国の憲法は言論の自由を保障しているが、西欧の概念とは異なり、党の指導あっての「自由」なのである。



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高まる円高ドル安リスク

2007-07-28 22:55:24 | 評論
‘06/09/17の朝刊記事から


高まる円高ドル安リスク
購買力の格差 拡大進行


          国際基督教大学教授 八代尚宏   

日銀のゼロ金利政策は解除されたものの、まだ銀行預金の金利はすずめの涙ほどである。

そこで金融機関は、ドルをはじめ金利の高い外貨預金を勧めることが多い。
だが普通の預金と違い、為替変動のリスクがある。
満期の時に、円と比べたドルの価値が上がれば得になるが、逆に下がれば損をする。
こうした一般的な説明はどこでもしてもらえる。

問題はどちらのリスクが大きいかということだ。
経済学の教科書では為替レートの水準は、円とドルとの購買力の違いで説明される。
例えば世界共通の商品である「ビッグマック」の値段が、仮に日本で300円、米国で3ドルとすれば、1ドルの価値は100円になる。

これを数多くの商品やサービスについて比較すると、円と比べたドルの平均的な価値は傾向的に下がっている。
なぜなら日本は、過去10年近く物価が停滞ないし下落してきた半面、米国では2-3%の物価上昇が続いてきたからである。

米に流れ込む資金

他方で、現在の為替レートの水準は、上下の変動幅はあるものの、1993年ごろとほぼ同じである。
為替の長期安定は、一見すれば望ましいと考えられるが、その背景にある円とドルとの購買力の格差が持続的に拡大していることは、それに見合った円高のリスクも高まっていることを意味する。

それではなぜこれまでに円高にならなかったかといえば、それは日本がゼロ金利政策を維持してきた半面、米国の金利が持続的に引き上げられたためだ。
日本から米国に資金が流れ込み、それが高いドルの価値を支えてきたからである。

これを日米間で全体的に考えれば、日本が米国に安い商品を輸出してもうけたお金を、高金利の米国に預金してさらにもうけるという行動を、過去10数年以上も続けてきたことになる。
しかし、こうした日本から米国に向けて商品とお金が一方的に流れる取引を、いつまでも続けられるのだろうか。

あり得ぬ安全・有利

85年には、日欧と米国との貿易収支不均衡の拡大から、大幅なドル安円高が生じた。
現在の不均衡の大きさは、その時の比ではないが、世界の金融市場も発展しており、そうした調整の時期がいつ来るのかは誰にも分からない。

もっとも、海外旅行で使う費用の範囲内でドル預金をするなら、大きな問題はない。円に監禁さえしなければ為替リスクは生じないからである。

金融自由化の時代には「安全で有利な資産運用」というものはあり得ない。
高い利回りの金融商品には、必ずそれに見合った損失リスクがあることを承知で契約する必要がある。


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