備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

履歴稿 北海道似湾編  古雑誌と次郎 7の7

2025-02-08 19:28:25 | 履歴稿
DCP_0335
 
履 歴 稿  紫 影 子
 
北海道似湾編
 古雑誌と次郎 7の7
 
 これは後日の物語りに属したことではあるが、私が二十八歳であった時に苫小牧町(現在は市政)の沼ノ端で父母と三人で生活をした時代であって、その当時の私は、現在では、国鉄日高本線となった鵡川駅から分岐をして居るのだが、その当時は室蘭本線の沼ノ端駅を分岐点として居た北海道鉄道株式会社(その当時は現在の千歳線の主要駅である、東札幌へ東京に在った本社が、駅前に新築をした建造物に移って居た。)の派出事務所に、その辞令面は車掌職と言う資格ではあったが、その実質的にはその派出事務所の次席と言った役割であった。
 
 私の父は、前にも書いたように、幼少の頃から関学を学んだ人であって、また書を良くした人であったのだが、その他に自分の趣味であった漢詩、短歌、俳句等を創作した物を、色紙や短冊に書いた場合に、自分の雅号であったその頭に、必ず五十翁と書くと言った程に弱々しい人になって居た。
 
 
 
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 勿論、当時の父は肋骨カリエスと言う難病と必死に闘って居た時代であったので、そうしたことも無理からぬことであったかも知れない父ではあったかも知れないが、当時の私としては、何んとかして今一度元気な父になって貰いたいと言う一念で、その当時の沼ノ端に蛇捕りのとても上手な人が住って居たので、そうした父の強壮に役立たせようと思って、その人に蝮を捕えて貰ったことがあった。
 
 私が頼んだその翌日に、その人は早速蝮を捕えて持って来てくれたので、「お母さん、似湾に居た時代に布施の次郎から貰った蝮を、美味い美味いと言って食べたお父さんでしょう。だから今日一日天日で干してさ明日蒲焼きにして、お父さんに食べさせておくれ。」と私は母に頼んだのであったが、その蒲焼を父の食膳に載せると、「義章、お父さんには、似湾時代の匂いがするぞ。」と懐かしそうにとても喜んで食べてくれた。
 
 次郎と私の古雑誌から生まれた交友は、その後父が室蘭市に程近い幌別の役場に転勤をした、大正四年の十二月まで続いたのであった。



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