鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

第一京浜で北上

2014-07-06 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 6 日 ( 火 )

午 前 1 0 時 0 5 分

横 浜 市 南 区

坂 東 三 十 三 箇 所 第 1 4 番 霊 場 ・ 弘 明 寺



弘明寺でたか氏と別れ、この日は自宅に戻るべくママチャリをこいで北上を開始します。



弘明寺からは鎌倉街道をまっすぐ進みます。
30分後、みなとみらいへ。意外と時間がかかりました。

 

せっかくのみなとみらいも曇天では少しばかり寂しいものです。



そしてこの日は、前日までの暑さとは打って変わって、半そででは肌寒いくらいでした。

チャリ旅の場合、荷物は最小限にとどめる必要が出てきます。
そうすると削ることになるのは衣類、とくに長袖です。この日は長袖、長ズボンを1枚も持っていませんでした

↑前フリっぽい記述ですねぇ。
そうです前フリです。



艦船「日本丸」が泊まっているところ。
それには似つかわしくない、なんだかポップな音楽が聞こえてきたので、様子を探ってみました。
小学生の女子がダンスをしています。
そして30歳近い女性がひとり、中心で踊って掛け声をかけています。
おそらくは横浜市内のダンススクールのイベントだったのでしょう。

これこれ、「ババアはいらねえ」なんて言うのはどこの同好会員ですかな?



みなとみらいからそのまままっすぐ進み、国道15号・第一京浜へ入ります。
横浜・東京間のルート、こたびは第一京浜を使うことにしました。
アップダウンのない平坦なルート、長距離移動をするのにこれほどよい条件はありません



1Kmも進まないところに最初の青看は、「東京 29Km」とあります。
つまり横浜の第一・第二京浜の分岐点から日本橋までは、約30Kmです。



ちなみにこちらは、日本橋から3Km進んだ霞ヶ関にある国道1号の青看、「横浜 32Km」。
この場合の「横浜」は横浜市役所と考えられますが、そこは京浜国道の分岐点から1Kmほど南側にあります。
そこから考えると、京浜国道の分岐点から第二京浜を通って日本橋までは、約34Kmということになります。

やっぱ第一京浜がいいね!


さてさて私は、その青看から7Km先の鶴見で最初の寄り道をするつもりでおりました。

鶴見といえば・・・

花月園の競輪場。これはもう廃止になっています。
箱根駅伝の最初・最後の中継所。いまは正月ではありません。
テツ分色濃いJR鶴見線。しかしこの日はチャリ旅です。

總持寺。そう、總持寺です。
鶴見で広大な境内を有する・・・というより石原裕次郎の墓があることで有名な曹洞宗の寺院です。




午 前 1 1 時 1 2 分

横 浜 市 鶴 見 区

京 急 ・ 花 月 園 駅 付 近


花月園駅のあたりで、「總持寺 左」の案内表示が出たので、ここで第一京浜を外れて商店街へ入っていきます。
おでんやさんでは、すべての具が1本60円で売っていました。おおいに惹かれます。
しかしながら、まずは總持寺に行こう、おでんはお昼に食べよう、ということで通過。

すぐ先のJR、京急の2段構えの踏切へ。





いつまでたっても踏切が開きません。とくにJRの踏切はひどい。
私は京急線とJR線の間に取り残されてしまいます。



「この踏切道をご利用の皆様でお急ぎの方は、横浜方にある花月園跨線橋をご利用ください」
京急の踏切前にある、この勧告を無視して待つこと15分





遮断機は下りたままです。


いったん引き返し、商店街のおでん屋さんに行っちゃいます。



この日最初の朝食は、おでん6本(360円)です。
具はなんだったかおぼえていませんが、踏切を待つ間、あつあつおでんに食いつきます。

おでんを食べるのが先か。
遮断機が上がるのが先か。

むちゃくちゃ行儀が悪いですが、チャリにまたがっておでんをはふはふ。
あつあつおでんをムリヤリ急いで食べた結果、遮断機は上がらず。



それから5分後、ようやく遮断機が上がり、私はJR京浜東北線&JR東海道線&JR横須賀線を越えていくことができました。





朝の弘明寺

2014-07-06 | 寺院仏閣

2 0 1 4 年 5 月 6 日 ( 火 )

午 前 9 時 4 0 分

横 浜 市 南 区

坂 東 三 十 三 箇 所 第 1 4 番 霊 場 ・ 弘 明 寺



GW最終日の朝、よね氏宅を出た私は、たか氏とともに近所をぶらりと歩いていました。
そして近辺にある弘明寺に行ってみようということになりました。


弘明寺は「坂東三十三箇所巡拝」で一度参拝したことがありますが、それから5年ぶりとなります。


弘明寺は真言宗の寺院で、横浜市内では最古の寺院です。
養老5年(721年)にインドの僧・善無畏が来訪し、この地に結界を設けたといいます。
天平9年(737年)疫病が流行した際、河内国(大阪)の僧・行基が勅命により天下安泰を祈願するために全国を回ったとき、この地に寄って観音像を刻んで一宇を建立したといいます。
もとは「求明寺」と称されていましたが、観音経偈文の中の「弘誓深如海」の「弘」の字をとって、鎌倉時代以降は「弘明寺」となりました。



弘明寺に到着しましたが、妥当な駐輪場がありません。
近くの7に停めちゃいました。あとでコーシー買ったんで許してくださいね(^_^;)




山門をくぐって石段を上ると、すぐに本堂です。
駅名にもなっていてわりと有名な割には、とてもこぢんまりしたお寺です。



石段の途中に、京急が奉納した身代地蔵があります。

 

本堂です。
こちらにご本尊・木造十一面観音立像【国指定重要文化財】(通称・弘明寺観音)が安置されています。秘仏なので拝見することはできません。
ご朱印がもらえるのもこちらです。

ここで自転車旅の無事を祈願します。
なにぶん当方は横浜から船橋までチャリを走らせなきゃいけないのでねぇ。


 

鐘楼は境内の隅に立ちます。
釣ってある梵鐘【横浜市指定文化財】は、江戸時代中期のもので、西村政平という鋳物師が造ったものです。
文化財に指定されているからなのか、突き棒が天井に固定されて鐘を突けなくなっています。



本堂の向かいに位置する七つ石
インドの僧・善無畏はこの七つの石を地面に据えて結界を設けたそうです。



緑に囲まれてちょっと落ち着いた雰囲気のお堂。
ここでも旅の無事を祈り、弘明寺を出ました。



弘明寺の商店街を歩いて戻り、ここでたか先生とはお別れです。
たか先生、次の白熊対決麻雀大会では、後れをとりませんぞ~。



◆参考文献
 ・瑞應山蓮華院弘明寺 http://www.gumyoji.jp/