2 0 1 4 年 5 月 6 日 ( 火 )
午 後 3 時 2 9 分
川 崎 市 川 崎 区
川崎大師を出て、東京方面へママチャリを走らせます。
川崎大師は第一京浜から東京湾寄りに進んだところにあるので、このまま第一京浜に戻るのはかえって遠回りです。
近くには
産業道路という、羽田から横浜の大黒までを結ぶ幹線道路が走っているので、このルートをとることとしました。
東京都道・神奈川県道6号線は、通称「産業道路」と呼ばれています。
第一京浜、第二京浜とともに、東京横浜間を結ぶ第三の道路という位置づけです。(私だけはこう位置付けています)
港区・品川区内の海岸通りとともに、東京湾寄りのルートです。
このルートの利点がもっとも発揮されるのは、真夏。
産業道路と海岸通りはそれぞれ首都高速のガード下を通っているので、直射日光を避けながら快適に走行することができるのです。
産業道路は
首都高速横羽線のガード下を通っていくのですが、彼らに突如別れがやってきます。
多摩川&
大師橋です。
多摩川を渡る直前で、横羽線は東京湾のほうに去ってしまいます。
残された産業道路さんはどうなるのかというと・・・羽田で国道131号線に合流し、ついには第一京浜に吸収されてしまうのです・・・。
午 後 3 時 4 6 分
東 京 都 大 田 区 羽 田
4 日 ぶ り に 都 内 へ
大師橋を渡り、東京都に入りました。
都内最初の交差点、
羽田2丁目交差点です。
このあたりは、水曜どうでしょう
「原付日本列島制覇」のスタート地点が近くにあります。というより大師橋の真下がスタート地点ですね。
この交差点を左折すればそのスタート地点に行けるのですが、この日は逆に、右折することとしました。
しばらくは商店街の中を進んでいきますが、突如前方が開けて見えてきます。
弁天橋という小さな橋を渡ると、その先は
羽田空港です。
なんだかいろいろ書いてある青看。
その割には記載されていないのですが、この丁字路の左右の道は
環八通りになります。
環八通りを横断せずに右折して、羽田空港に近づいていきます。
片側3車線の空港道路、対向車を左に見ながら道路の右側を走ります。
東京モノレールが地上に現れる地点。そこは・・・
水曜どうでしょう屈指の古戦場・
羽田東京ホテル跡地です。
「ツイン? バカ言うな。シングル? とんでもない。四人部屋で」
もともとはツインルームだったであろう部屋に、無理やりベッドをふたつ入れ込んだ部屋。
これぞ、羽田東急ホテルの四人部屋でした。
そして、元からあったツインベッドに、とりあえず入れてみましたと言わんばかりのふたつのベッド。
実は後から入れたふたつのベッドに大きな問題があったのです。
最初のベッド割りは、四人部屋を予約した張本人のD陣(嬉野Dと藤村D)が詰め込んだふたつのベッドで寝るはずでした。
嬉野「おかしぃなぁ、おかしいなぁこのベッド。おかしいよ大泉くん、このベッドおかしいよぉ。
スプリングがおかしいよぉ。腰にスプリングが当たるんだよ。おかしいなぁ。
藤やんのはどうなのかなぁ? あぁ藤やんのはいいなぁー、藤やんのベッドはまだいいなぁこれ。
ちょっとこっち(藤村Dベッド)寝てみようかなぁ。ああ、こっちはいいやぁ。こっちはまだ寝れるなぁ」
嬉野「大泉くん、ちょっとこっちのベッド(嬉野Dベッド)寝てごらん。こっちのベッド寝てごらんよ」
嬉野Dがぶつぶつつぶやき、あんまりおかしいおかしい言うんで、誘われるまま大泉さんがベッドに興味をもって寝てみたところ、
大泉「このベッドおかしいんだよ。もうね直接、スプリングが体に、当たるんだよねぇ、うれしー、ねぇ」
大泉さんがスプリングの当たるベッドで寝そべっているところに、藤村Dが歯みがきから戻ってくると・・・
大泉「それでぼくがここ(嬉野Dベッド)に寝てだ、嬉野君がここ(藤村Dベッド)に寝てる、ところに君が戻ってきたじゃないか。
君はそこ(大泉さんのベッド)に寝たね」
大泉さんが寝るはずのベッドを占拠してしまいます。
藤村「そらそうだよ、ここ空いたもん」
大泉「君なんてぇのは、(藤村Dの元のベッドに)移る気がない感じじゃないか」
大泉さんは、最初に嬉野Dがいたベッドで寝るはめになってしまいますが、さらにひと悶着。
嬉野「このベッドはおかしいなぁ」
嬉野Dは、最初に藤村Dがいたベッドで寝ようとしましたが、またもベッドの不具合を感じ、つぶやきます。
大泉「そうなんだよ。このベッド、おかしいんだよ。このベッドはねぇ、沈みすぎるんだよ。ね、傾くでしょ、あなた。
このベッドじつは落ち着かないベッドだったってわけよ」
藤村「こっちのベッド(スプリングが当たるベッド)のほうがまだ硬くてねぇ、いいベッドだったってことですよ」
そして嬉野D、ついに・・・
嬉野「大泉くん、代わってくれないかい?」
大泉「さらに代われっていうんだよ、彼は。驚いたよ、ぼくは」
藤村「ただただ大泉さん、もうね、この・・・どうでしょう班の中では若手」
(あなたは若手なんだから、年長者に悪いベッドで寝させちゃいけませんよ、とたしなめます)
大泉「それも言ったねぇ、君たちに対して。ぼくはいつまで、若手なんだと。君たちといる限りねぇ、ぼくはいつまでたっても若手だよ。
ぼくはもう23の大学生じゃないって言ったろ。ぼくはもうね、27のね、大人だよ。そうだろう? もうすぐ30になろうかっていう・・・。
でも君たちもどんどんもうすぐ40になろうかっていう、大人になっていくじゃないか」
そしてあの名言が出ます。
大泉「言いたかぁないけどさぁ、僕はねー藤村君、僕はこう見えてもねぇ、藤村君。全国放送にだってねぇ、僕は何度ともなく出てるんだ。
君は知ってるかい、テレビ朝日っていう・・・。その僕がだ、いまだにこのベッドとはどういうことだい」
大泉「僕は東京に行けばだ藤村君、六本木プリンスホテルのツインルームをシングル使用してる男だよ。
藤村「おや!? いつもそうなんですか?」
大泉「当たり前だろう、いつもそうしてくれるよ、テレビ朝日さん。
しかしこのHTBではだ、おそらく僕がテレビ朝日よりも貢献してるであろうHTBではだ、ツインルームの4人使用かい。
しかもそのなかのベッドに、ランクの差を設けて、その中でも時間をかけて調べたところ一番ダメだと思われるベッドに結果的に僕を寝せる始末。
おかしいぞ、君たちは」
大泉「僕はね、まだ企画も始まる前からぼやきたかぁないよ。藤村君。
始まってないんだもん企画が。何もしてないんだもん。前乗りしただけなんだもん。それでね、このやられ様」
ついにキレる大泉さん。
藤村「よし、喜界島に行くぞぉ! って(言ってください)」
大泉「うるせぇよ! なんで毎回毎回喜界島に行くぞって言わなきゃいけねぇんだよ。わかってんだろ、喜界島に行くって。
寝てみろよ一日ここで。バカじゃないの!?」
「一致団結!喜界島で輪を描こう」でのベッド争奪戦の一幕です。
企画が始まる前から最悪のベッドに寝せられてぼやく大泉さん。
これ以外にも羽田東急ホテルは、どうでしょう国内ロケでたびたび利用されていたようです。
羽田空港は国内線専用、成田空港は国際線専用。
この棲み分けが完全になされていましたが、羽田空港が国際線の運用を始めることとなりました。
国際線運用に必要な整備をすべく、その敷地内にあった羽田東急ホテルは取り壊されることとなりました。
現在は、国内線ターミナル付近(空港中央)に羽田エクセルホテル東急が新たに建っています。
そうして、どうでしょう屈指の名場面を生んだ戦場は、松尾芭蕉流にいえば「さても軍団この旅籠にこもり、功名一時の叢」となり、
立入禁止の看板が立つだけとなったのでした。