ハイソフト「日本の名城」ギャラリーへようこそ。
ここでは、当サイトの管理人が自らハイソフトを購入し、賞味したうえで、収集した「日本の名城」カード全16枚を展示いたします。
どうぞ、ごゆっくりご観賞くださいませ。
No.1 五稜郭 【国指定特別史跡】(北海道函館市) 日本100名城・第2番
カードの絵柄は、五稜郭タワーから見下ろした五稜郭です。
幕末に欧米諸国がアジアに勢力を広げるにおよび、幕府が欧米の要塞建築を導入してできた星形要塞です。
大政奉還と江戸開城で幕府が終焉を迎えると、これをよしとしない旧幕府軍は蝦夷地(北海道)に脱出。
五稜郭を本拠地として政権を樹立しますが(いわゆる「蝦夷共和国」)、総裁榎本武揚は降伏を決断し、戊辰戦争は終わりました。
No.2 横手城 (秋田県横手市)
カードの絵柄は、模擬天守です。
秋田県の南東部を支配した小野寺氏の居城でしたが、関ヶ原で西軍についたため、改易。
戦後に秋田に移封させられた佐竹義宣のものとなりました。
一国一城令の例外で横手城は存続し、明治維新まで佐竹氏の家臣・戸村氏の居城でした。
No.3 鶴ヶ城 【国指定史跡】(福島県会津若松市) 日本100名城・第12番
カードの絵柄は、復興天守です。
はじめは「黒川城」といいましたが、蒲生氏郷が城主の際に大改修をし、「若松城」と改称されました。
雅称の「鶴ヶ城」は、蒲生氏郷の幼名「鶴千代」から来ています。
城主が目まぐるしく変わりましたが、江戸時代中期から保科松平(会津松平)家の居城となり、幕末の会津戦争の戦地となりました。
No.4 小田原城 【国指定史跡】(神奈川県小田原市) 日本100名城・第23番
カードの絵柄は、復興天守です。
小田原城は最初大森氏の本拠地でしたが、15世紀末から16世紀初頭のあいだに北条早雲が奪い取り、以後北条氏5代の本拠地となりました。
3代目氏康の代に大幅に増築され、上杉謙信や武田信玄も攻め落とせなかった「難攻不落の巨城」となりましたが、豊臣秀吉の小田原征伐で、ついに北条氏は降伏。
関東は徳川家康に与えられ、譜代の大久保氏が明治維新まで城主を務めました。
No.5 越前大野城 【福井県指定史跡】(福井県大野市) 続日本100名城・第138番
カードの絵柄は、俯瞰した復興天守群です。
織田信長の家臣・金森長近が、越前の一向一揆平定の恩賞として大野郡が与えられた折に建てられました。
江戸幕府成立時には越前松平家(徳川家康の次男・松平秀康を祖とする家系)の支城となります。
天和2年(1682年)大老・土井利勝の四男・利房が入封されてからは、明治まで土井家が城主となりました。
No.6 上田城 【国指定史跡】(長野県上田市) 日本100名城・第27番
カードの絵柄は、本丸東虎口櫓門【復元】と本丸北櫓【長野県宝】です。
上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸によって築城されました。
昌幸はこの城で徳川家康の軍勢を2度迎え撃ち2度大勝しましたが、関ヶ原の戦いで勝利した家康は真田昌幸・信繁(幸村)父子を追放し、上田城は徹底的に破壊されました。
後に仙石忠政が上田に移り、幕府の許可を得て築いた城が、現在に残る上田城です。
No.7 松本城 【国指定史跡】(長野県松本市) 日本100名城・第29番
カードの絵柄は、乾小天守・天守渡櫓・大天守・巽附櫓・月見櫓【国宝】による連結天守群です。
元を深志城といい、戦国時代には守護の小笠原氏の支配に属していましたが、甲斐の武田晴信(信玄)が攻め取りました。
武田信玄の死後、織田信長による侵略を受けますが、信長が本能寺で斃れ、そのどさくさで徳川家康がこの地を攻め取り、小笠原貞慶が城主に返り咲き、名を松本城に改めました。
豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、もと家康の重臣・石川
No.8 犬山城 (愛知県犬山市) 日本100名城・第43番
カードの絵柄は、現存天守【国宝】です。
織田信長の叔父・信康によって築城されました。
関ヶ原の戦い後は、尾張徳川家の付家老である成瀬正成が犬山城主となりました。
以後犬山城は、(あいだに明治政府の接収があったものの)平成16年まで成瀬家が城主を務めていました。
No.9 名古屋城 【国指定特別史跡】(名古屋市中区) 日本100名城・第44番
カードの絵柄は、大天守【外観復元】です。
徳川家康の命により、西国の諸大名による「天下普請」により築城されました。
家康は名古屋城を九男・義直に与え、尾張徳川家が江戸時代を通じて城主を務めました。
第2次大戦で米軍の空襲を受け、天守と御殿は炎上、現在の天守は、戦後に鉄筋コンクリート造で復元されたものです。
No.10 長浜城 【長浜市指定史跡】(滋賀県長浜市)
カードの絵柄は、模擬天守です。
長浜城【長浜市指定史跡】は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が一国一城の主となったときの最初の城です。
当時「今浜」と呼ばれていたこの地は、信長の「長」の字をいただき「長浜」と改まりました。
関ヶ原の戦い後、内藤氏が城主になりますが、大坂の陣後に廃城となり、資材の大半は彦根城【国指定特別史跡】の築城に流用されました。
No.11 大坂城 【国指定特別史跡】(大阪市中央区) 日本100名城・第54番
カードの絵柄は、外観復元天守【国登録有形文化財】です。
もとは、織田信長に頑強に抵抗した石山本願寺の跡地で、本願寺が退去した天正11年(1583年)、豊臣秀吉の本拠地として築城されました。
秀吉死後の大坂の陣で大坂城は炎上しますが、豊臣時代から姿を変えて新築されました。
現在の大坂城は、徳川時代の天守台に豊臣時代の天守が復興されたものとなっています。
No.12 姫路城 【世界遺産・国指定特別史跡】(兵庫県姫路市) 日本100名城・第59番
カードの絵柄は、連立天守群で、大天守・イの渡櫓・東小天守【国宝】が写っています。
播磨守護・赤松氏が有する城でしたが、黒田官兵衛孝高が羽柴秀吉に帰順し、西国攻略の本拠地となりました。
関ヶ原の戦いの後は池田輝政が入り、8年の歳月を費やして改修、拡張し、現在の天守を築きました。
池田氏3代の後は、本多忠政が入封し、長男・忠刻とその室・千姫のために西の丸を整備し、現在の姫路城の姿となりました。
No.13 竹田城 【国指定史跡】(兵庫県朝来市) 日本100名城・第56番
カードの絵柄は、本丸から望む千畳敷です。
但馬(兵庫県北部)の守護・山名宗全が播磨への出撃拠点として築城し、山名氏の重臣・太田垣氏が代々城主を務めました。
時代は下り16世紀後半、織田信長は中国地方攻略の総司令官として羽柴秀吉を播磨に派遣、秀吉の弟・秀長が竹田城を落としました。
斎村正広があらたに城主となり、山頂に広がる総石垣の城に生まれ変わりましたが、正広は関ヶ原の戦いの不手際の責めを負い切腹、主を失った竹田城は廃城になりました。
No.14 松江城 【国指定史跡】(島根県松江市) 日本100名城・第64番
カードの絵柄は、現存天守【国宝】です。
関ヶ原の戦いでの功績により出雲国24万石を与えられた堀尾吉晴により築城されました。
堀尾氏が改易となると、次いで入封した京極忠高は松江城の造営を進め、完成させました。
忠高が没して嗣子がなく京極家も改易となると、その後は松平直政が受け、明治維新まで続きました。
No.15 岡山城 【国指定史跡】(岡山市北区) 日本100名城・第70番
カードの絵柄は、外観復元天守です。
豊臣五大老のひとり・宇喜多秀家が、慶長2年(1597年)に築城しました。
しかし関ヶ原の戦いで西軍の首脳となった秀家は八丈島へ流され、代わって西軍から寝返った小早川秀秋が岡山に入り、城下を開発しました。
秀秋は2年で死去、世継ぎがいなかったため改易となり、代わって池田家が入り、明治維新まで続きました。
No.16 首里城 【世界遺産・国指定史跡】(沖縄県那覇市) 日本100名城・第100番
カードの絵柄は、正殿【再建】と
創建は13世紀から14世紀と考えられていますが、15世紀初頭に琉球を統一した尚巴志によって琉球王国の王城として整備されました。
首里城は火災のために何度か焼失しており、現在の首里城は正徳5年(1715年)に再建されたときの姿をもとにしています。
昭和20年(1945年)、上陸した米軍の攻撃により全焼しましたが、戦後琉球大学のキャンパスとなりましたが、大学移転後の復元事業により首里城が復元されました。