金沢城の黒門跡から退城してすぐのところに、黒門前緑地という一画がありました。
このあたりは豪姫の住居があったそうです。
豪姫は、天正2年(1574年)に前田利家とその正妻・まつの方(芳春院)の四女として生まれました。
当時実子のいなかった羽柴(豊臣)秀吉の養女となり、秀吉夫妻のもとで不自由なく成長しました。
同じく秀吉夫妻に養育されていた宇喜多秀家に嫁いで岡山城に移り、備前の方と称されました。
豊臣5大老のひとりであった秀家は、関ヶ原の戦いで西軍の主力として奮戦しますが、敗北。
2年後に秀家が八丈島へ流罪となると、豪姫は金沢に戻されました。
秀家との夫婦仲はとても良好だったようで、宇喜多家が八丈島へ流されたあとは、幕府の許可を得たうえで米などの物資を宇喜多家へ送り続けたそうです。
豪姫は寛永11年(1634年)に亡くなりますが、加賀前田家はその遺志をくんで宇喜多家への仕送りを続けました。
仕送りは明治維新により宇喜多家が赦免されるまで続いたそうです。
そして黒門前緑地には、金沢出身の偉人である高峰譲吉の旧家が移築されています。
高峰家は、譲吉の父の代から加賀藩の御典医(主治医)でした。
譲吉も医学を志学してイギリスへ留学し、帰国後は農商務省に入省します。
当時の上司であった高橋是清のもとで特許制度の整備に尽力しました。
その後はアメリカへ永住。
デンプンを消化する酵素アミラーゼの一種であるジアスターゼを植物から抽出して生成する「タカジアスターゼ」を発明。
またアドレナリンの抽出研究をすすめ、アドレナリンを結晶化することにも成功しました。
のち「タカジアスターゼ」の特許権を保有した三共製薬(現在の第一三共)の初代社長に就任しました。
中には無料で入ることができるので、少しの間ゆっくりさせてもらいました。
外に出ようとすると、雷鳴!!
雪も降りだし、風も出てきました。
三国志の劉備さんと同じく雷が大嫌いな私は、もう少し休むこととしました。
(※「曹操酒を煮て英雄を論ず」・・・『三国志演義』第21回より)
雪国を傘なしで旅する私に、こちらの管理人である淑女が、置き去りにされたビニール傘をくださいました。
つくづく北陸の淑女は優しいものです!!
くだんの淑女は、黒門前緑地の近くにある穴場的スポットを教えてくれました。
昼食後にでも行ってみるとしますか。
雷が鳴っていないことを確認して、外に出ました。
近くにある近江町市場での昼食。
やっぱり北陸の海の幸を豪勢に食べたい・・・
今日のランチは海鮮丼ではなくカツカレー。
金沢が誇る?B級グルメ「チャンピョンカレー」!
金属の器。
スプーンではなくフォーク。
キャベツの千切りが同居。
なかなかうまいっ!
でもやっぱり海の幸が食べたいなぁ・・・
ということで、しばらく近江町市場を歩き回りました。
まずは「近江町コロッケ」。
それから、名前は忘れてしまいましたが、タコ入りの練り物。
がっつり食べたところに、さらに少しずつ食べていきます。
私が旅先でムダ遣いするパターンはこんな具合。
私が旅先で太っていくパターンもこんな具合。
結局海鮮丼は食べることなく、近江町市場を後にしました。
黒門前緑地の淑女が教えてくれた穴場的スポットへ行ってみたのですが・・・
旧園邸【金沢市指定文化財】はかたくカギで閉められていました・・・
これじゃああんまりにも悔しいので、扉のすきまからのぞいた画をお届けします。
旧家の小粋な庭を、文字通り垣間見ることで心のなぐさめとしました。
次の目的地は、尾山神社。
加賀藩藩祖・前田利家とその正妻・まつの方を祭神とする神社・・・
雷鳴が轟く!!
私は恥も外聞もなく他家の軒下に逃げ込みました。
そこのお宅は表千家のお茶の先生のようでした。
家主が現れることはなく、15分ほど軒を借りて、そのまま後に。
ほんと、ありがとうございました。
風雪が強まる中、
ほうほうの体で尾山神社の裏口にあたる東神門【登録有形文化財】にたどり着きました。
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