3月第3週・第2日目のおやつタイム。
この週は森永ハイソフトを5日分購入していたので、連日ながら、同僚の皆様におすそ分けしていきます。
本日の「美しい日本の橋」カードは・・・
「美しい橋」「名橋」を挙げるなら、この橋を欠くことはできませんね。
15番、錦帯橋!
錦帯橋は、錦川にかかる山口県岩国市の歩行者専用橋です。
長さは193.3メートル、幅は5メートルあり、日本三名橋と日本三奇橋のひとつとされています。
関ヶ原の戦い後の領地替えで、吉川広家は伯耆国(鳥取県)米子から周防国(山口県)岩国へと移ることとなり、この地で岩国城を築きました。
当時はまだ世情が不穏であったこともあり、岩国城は横山の山上に、城下町とは錦川によって隔てられた場所に建てられました。
元和元年(1615年)に江戸幕府の一国一城令が発布され、岩国城は廃城となるのですが、横山のふもとに陣屋が建てられました。
岩国陣屋と城下町をつなぐ橋は架けられていましたが、錦川の洪水とともに幾度となく流失していました。
3代領主の吉川広嘉は、中国の名勝・西湖が島づたいに6つのアーチ橋が架かっていることから着想を得て、錦帯橋の建設に着手しました。
延宝元年(1673年)6月8日に工事は始まり、その間広嘉は近くに住居を構え、自ら工事の監督を行ったといいます。
同じ年の10月、錦帯橋は完成します。
翌年の洪水で橋脚が壊れ、橋も落ちてしまったため、橋脚を石垣で強化したうえで再建しました。
橋脚の改良により、錦帯橋は昭和時代まで276年間、定期的な架け替え工事はあったものの、洪水などで流失することはなかったのです。
昭和25年(1950年)9月14日、キジア台風により橋脚が崩壊し、錦帯橋はほぼ流失してしまいます。
再建に際しては、コンクリート製による案もありましたが、市民の求めにより木製での再建となりました。
名橋中の名橋ともいうべき錦帯橋。
日本100名城登城をライフワークとしている私にとって、この橋は必ず訪れなければならない場所です。
解説で述べたとおり、100名城となっている岩国城へと続く橋だからです。
錦帯橋の最寄駅は、JR
岩国市の中心駅である岩国駅や、新幹線の停まる新岩国駅からだと5kmほど離れています。
岩国駅から川西駅までは、岩徳線に乗車して2駅、運行頻度はおおむね1時間に1本ほどです。
新岩国駅から川西駅に向かうとすると、錦川鉄道で1駅ですが、こちらは1~2時間に1本と運行本数が少ないことに注意が必要です。
今度の旅は、広島、山口方面もよさそうですなぁ~。
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