引き続き、長町武家屋敷街。
金沢市老舗記念館、前田土佐守家資料館の両資料館から、大野庄用水の流れる通りを北向きに歩いていきます。
このあたりには、往時の武家屋敷が保存されていて、中に入ることができます。
まず最初に入ったのが、旧野村家住宅。
水曜どうでしょう「絵ハガキの旅」では、ミスターだけが中に入りました。
藤村D・嬉野D・大泉さんは入口で待っていたようで、付近にある売店でソフトクリームを買って食べていました。
野村家は、前田利家が尾張の荒子で領主をしていた時代からの家臣です。
加賀藩における石高は1200石で、馬回役の組頭を代々務めてきました。
やがて時代は明治に入り、武家は没落していきます。
長町の武家屋敷の多くは売却され、菜園に変わっていきました。
野村家住宅もその例外ではなく、庭園は縮小し、館は取り払われてしまいます。
昭和になると、加賀藩の豪商の出である久保家の所有するところとなり、豪邸の一部が移築されました。
現在は、母屋が商家、庭園が武家のものとなっています。
まずは母屋からです。
総檜造りの天井、襖絵は狩野派の画家による水墨画と、金に糸目をつけない豪商の母屋ふさわしいものです。
質素を旨とする武家とは一線を画しています。
しかし野村家住宅といえばやはり庭園です。
アメリカの雑誌による日本庭園の格付けでは、兼六園を抑えて世界第2位になったこともあります。
(ちなみに2010年版は16位。くわしくはこちら)
⇒ 2010 Shiosai Rankings @Journal Of Japanese Gardenings
(さらに、2013年版は21位。くわしくはこちら)
⇒ 日本庭園全国ランキング(Shiosai Project)
世界で何位だと言おうと、ここの庭園はすばらしい。
兼六園とここの庭園は、私が完全に日本庭園にはまったきっかけだったのです。
1年9か月前は春でしたが、今回は冬。
雪に覆われる武家の庭先です。
冷たく冴えた白い庭。
池の錦鯉はその寒さからほとんど動きません。
そして庭の一角に居座って動かない無粋な輩。
彼らは一眼レフを構えています。
「どけよ・・・」
心の中で思っていたのですがどうやら顔に出てしまっていたようです。
あまりに露骨に嫌な顔をしていたようで、彼らも少しは遠慮していた様子でした。
2階では300円でお抹茶を飲むことができます。
本日1杯目のお抹茶。
雪がしんしんと降る中、静かな雰囲気で飲むお茶もいいものですなぁ~(#^.^#)
2階の窓からは、階下の庭園を見下ろすもできるのですが・・・
そうしなくとも十分な佳景を見ることもできます。
そのほうがなんとなく粋な気がします。
ところが、さきほどの一眼レフの輩が2階にやってきました。
きゃつらは、私がぼんやり窓を見ているところに、その窓に立ちふさがり、下を覗きこんでバシャバシャ。
これほどカメラを構える人間に害意を感じたことはありません。
またも露骨に嫌な顔をしたうえで、明らかに聞こえるような舌打ちを連発していました。
次は旧高田家。
こちらは馬屋などの一部の家屋と庭園のみが残っています。
最後に足軽資料館。
足軽とは下級武士のことをいいます。
その家屋は、慎ましやかな生活感ある空間です。
足軽の生活は決して楽なものではなかったようです。
気づいてみれば、この日訪れた場所は見事に石高順になっていました。
前田土佐守(12000石)→ 野村家(1200石)→ 高田家(700石)→ 足軽(100石未満)
武家屋敷街を歩き回ると、いつしか昼食の時刻となっていました。
当時の禄はそれこそ足軽程度でしたが、私はやはり海鮮丼が食べたい!
ということで、前日も訪れた近江町市場へ向かいました。