巻頭言
TVのニュースなどつけますと、サッカーワールドカップ・ブラジル大会一色ですが。日本の将来にとって大きな分岐点ともなるような国政の動きが慌ただしくなってきております。今月中にも「集団的自衛権」について閣議決定がなされようとしています。戦後70年築き上げてきた平和の道は、今一体どこへ向かおうとしているのでしょうか。戦争ができる国へと舵を切りだすような危険な大転換であります。時間をかけての国会審議や憲法の改正という手続きを経ず、政府の「閣議決定のみ」で決めようとする異常な事態であります。これまで歴代の内閣法制局(法の番人)は集団的自衛権は認められず、許されていないという見解をずっと保ち、守ってきました。だから日本は自ら外国に対して武力攻撃をすることなく、他国からの武力攻撃もなされることなく、戦争による戦死者を国内外に一人も出さなかったのです。そこには「平和憲法」の歯止めがあったからですね。ところが今の政府は、憲法の平和主義を骨抜きにし、血が流れる事をいとわない体制を形作ろうとしています。
私たちは聖書の言葉から聞く時、神の言葉である十戒には、神の言葉として「殺してはならい」(出エジプト20章13節)と命じています。又、イエス・キリストは「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26章52節)と言われました。
戦後70年間積み重ねて来た平和主義をそんなに簡単に投げ捨ててもよいのでしょうか。極めて危険な決議がこの6月中にも政府の閣僚のみでなされようとしていることに非常に深刻な危惧の念をおぼえます。
又、掲示板でご紹介していますが。吉田敬太郎さん、この方は衆議院議員時代に軍部批判をして投獄される中、「汝復讐するなかれ」と説く聖書の言葉に出会い、クリスチャンとなられた後、牧師となられ、その後若松市長を3期務められた、骨太なクリスチャンであられた方です。戦争の過ちが二度と繰り返されないために、歴史の証言が葬り去られてはなりません。併せて、バプテスト教会連合の一信徒の女性から始まりました「憲法9条をノーベル平和賞に」の署名についても、ご理解とご協力お願いいたします。また、23日は「沖縄(命どう宝)の日」として、沖縄の平和を覚える日です。
二度と戦争の過ちを繰り返さないために、宗教者として祈り、できることをなしてまいりましょう。手遅れにならないうちに。
かつてドイツのヴァイツゼッカー元大統領は次のように叫ばれました。「過去に目を閉ざす者は結局の ところ現在にも盲目となる。」
TVのニュースなどつけますと、サッカーワールドカップ・ブラジル大会一色ですが。日本の将来にとって大きな分岐点ともなるような国政の動きが慌ただしくなってきております。今月中にも「集団的自衛権」について閣議決定がなされようとしています。戦後70年築き上げてきた平和の道は、今一体どこへ向かおうとしているのでしょうか。戦争ができる国へと舵を切りだすような危険な大転換であります。時間をかけての国会審議や憲法の改正という手続きを経ず、政府の「閣議決定のみ」で決めようとする異常な事態であります。これまで歴代の内閣法制局(法の番人)は集団的自衛権は認められず、許されていないという見解をずっと保ち、守ってきました。だから日本は自ら外国に対して武力攻撃をすることなく、他国からの武力攻撃もなされることなく、戦争による戦死者を国内外に一人も出さなかったのです。そこには「平和憲法」の歯止めがあったからですね。ところが今の政府は、憲法の平和主義を骨抜きにし、血が流れる事をいとわない体制を形作ろうとしています。
私たちは聖書の言葉から聞く時、神の言葉である十戒には、神の言葉として「殺してはならい」(出エジプト20章13節)と命じています。又、イエス・キリストは「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26章52節)と言われました。
戦後70年間積み重ねて来た平和主義をそんなに簡単に投げ捨ててもよいのでしょうか。極めて危険な決議がこの6月中にも政府の閣僚のみでなされようとしていることに非常に深刻な危惧の念をおぼえます。
又、掲示板でご紹介していますが。吉田敬太郎さん、この方は衆議院議員時代に軍部批判をして投獄される中、「汝復讐するなかれ」と説く聖書の言葉に出会い、クリスチャンとなられた後、牧師となられ、その後若松市長を3期務められた、骨太なクリスチャンであられた方です。戦争の過ちが二度と繰り返されないために、歴史の証言が葬り去られてはなりません。併せて、バプテスト教会連合の一信徒の女性から始まりました「憲法9条をノーベル平和賞に」の署名についても、ご理解とご協力お願いいたします。また、23日は「沖縄(命どう宝)の日」として、沖縄の平和を覚える日です。
二度と戦争の過ちを繰り返さないために、宗教者として祈り、できることをなしてまいりましょう。手遅れにならないうちに。
かつてドイツのヴァイツゼッカー元大統領は次のように叫ばれました。「過去に目を閉ざす者は結局の ところ現在にも盲目となる。」