日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

人知を超えた神のご計画

2020-05-24 11:38:44 | メッセージ

礼拝宣教 使徒言行録8・1後半 

7日の旅路を守り導いてくださった主に感謝と賛美を捧げます。
大阪はじめ京都、兵庫の関西圏では昨日から各所の営業自粛要請の大幅な解除がなされ、外出自粛も解除されました。大阪教会としては主日礼拝が6月7日、祈祷会を6月10日から再開することが役員会で了承されました。
又、予防策として3蜜回避に対応したかたちでの集会の持ち方についても基本的な点を役員会で確認いたしました。

先週は、神殿の門で物乞いをしていた生まれつき足の不自由な人が、「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という使徒ペトロ言葉と支えによって立ち上がり、歩き出した。こうして躍りあがって神を賛美しながら、ペトロとヨハネと一緒に神殿の境内に入って行って神をほめたたえた出来事についての記事でした。
その後もペトロは神殿で説教をし、ユダヤの人々が悔い改めて立ち返り、神の祝福に与って生きるようにと語り続けます。
多くのユダヤの民衆がその言葉と業とを聞いて主イエスを信じ、救いが起こされていくのです。しかし4章において、そのペトロとヨハネらがユダヤの民衆に話していることに苛立ったユダヤ教の祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々から2人は捕えられてしまい、ユダヤの法廷で尋問を受けることになるのです。けれども結局、ユダヤの法廷は彼らを裁くことができず2人は釈放されることになるのです。

「大迫害の背後にある問題」
その後の出来事ですが、本日の使徒言行録8章1節後半にはこう記されています。
「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほか皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」
その迫害は6章後半から7章にかけての「聖霊に満たされたステファノの説教と彼の逮捕、そして殉教」に端を発したものでありました。
実はこの迫害は、先のペテロとヨハネを捕えたちのものとは異なり、その根底にはユダヤ教徒とキリスト教徒という構図だけではなく、ユダヤの民族間の差別的問題があったのです。生粋のユダヤ人であることを重んじ、誇りとするユダヤ人たちは、歴史の中で外国に移り住んでいたユダヤをルーツとするユダヤ人たちを見下していたのです。
ペトロやヨハネら12使徒はユダヤで生まれ育ちましたが、ステファノの先祖はユダヤ-をルーツとして外国で生まれ、彼自身もギリシャ語を話すユダヤ人でした。
まあ、彼の説教はユダヤの伝統を重んじていたユダヤ教の律法学者、又ファリサイ派の人たちにしてみれば、自分たちユダヤの先祖が裁かれているような教えで、それは神さえ冒涜する行為以外の何ものでもないと思え、ステファノは激しく糾弾され、石打に処せられたのです。
そうした憎悪がエルサレムのキリストの教会に対する大きな迫害となって襲ったのであります。正確に言えば、外国で生まれたユダヤをルーツとする先祖をもち、エルサレム周辺に移住していたギリシャ語を話すキリスト教徒たちへの大きな迫害となったのですね。
ここに「使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散った」と記されていますののも、ペトロら使徒たちはまがりなりにもそれぞれユダヤの地に生まれ育った者たちであったことから、散らされたギリシャ語を話していた信徒たちほど激しい迫害に遭うことなく、エルサレムの教会に踏みとどまることが出来たのではないかと想像できます。
何より彼らはエルサレムで福音を伝え続けるという使命があったのでありましょう。
私たちは様々な状況の中で、願おうと願うまいと、連れて行かれたり、残されたりということが時に起こってまいります。しかし、その事の中に「人知を超えた神のご計画」が秘められているというのが今日の主題であります。

さて、2節には「信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ」と記されています。
ここでの「信仰深い人々」とは誰のことでしょう?
エルサレムの教会のキリストの信徒たちのことでしょうか。しかし使徒以外の多くは散って行きました。
としたら、それはエルサレム周辺に住む敬虔なユダヤ人たちだったのではないか、と考えられます。
多くの信徒たちは散らされて行ったが、「しかし」、キリストの信徒ではないけれども神を畏れ敬うエルサエムに住む人たちがステファノを葬ったのです。
ちなみに当時エルサレムにはギリシャ語を話すユダヤをルーツとしたユダヤ教の人たちが多く住んでいたようです。彼らは異なる立場であっても神に忠実に生き抜いたステファノに敬意を払い、ユダヤの同胞として深く悲しんだのです。
あのイエスさまの遺体を葬るためにピラトのところに行き、引き渡して欲しいと願い出て、丁寧に遺体をお墓に葬ったのは、神の国を待ち望んでいたユダヤの議員のアリマタヤのヨセフでした。

しかし3節、「一方、サウロ(後に使徒となるパウロ)は家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」のです。
ここにユダヤの律法とその民族の属性に囚われていたファリサイ派のサウロがいました。まさに彼はこの時のキリスト教会とその信徒に対する迫害の急先鋒だったのです。
彼は後に復活の主イエスと出会い、回心してキリスト者として新しく生まれ変わり、ユダヤ以外の多くの地にキリストの福音を伝えていくべく使徒としての大きな働きをなすこととなります。このことも、まさに「人知を超えた神のご計画」を知らされるわけであります。

ところで、この当時のエルサレムの教会は複数単位の家の教会によって構成されていたのです。まあ、現代でいえば家庭集会のような集まりであったともいえましょう。
同時に彼らは毎日ひたすら心を一つにして、神殿に参り、相互の主にある交わりを大切にしていました。
そのように初代教会は家の教会から始まりましたが、時代とともに秩序だった構成が計られ、小アジアと呼ばれた地の諸教会との協力伝道も生まれていきます。そしてやがてキリスト教は大きな影響をもっていたローマに受け容れられていき、さらに教会は組織化されていくことで世界各地に福音が伝えられていくこととなったのです。

「人知を超えた神の計画」
さて、4-5節「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポ
はサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。」
ここでフィリポという人物が登場します。
6章で、エルサレムの教会において、ギリシャ語を話すユダヤ人から「日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていた」との苦情が出て、祈りと御言葉の奉仕をする使徒たちとは別に、食事など生活についての世話をするいわゆる執事が、ギリシャ語を話すユダヤ人から7人が選ばれ、その奉仕者として立てられたのです。先のステファノもそうでしたが、フィリポもその1人でした。

このように先にお話したユダヤで生まれ育ったユダヤたちとユダヤにルーツをもちながらもギリシャ語を話す人たちとの間にある差別は、残念なこと現実としてエルサレムの教会にも起こっていました。
外部からは熱狂的ユダヤ教徒からの激しい迫害、内部ではギリシャ語とヘブライ語(アラム語)を話すユダヤ人の問題。当時のエルサレムの教会には、この内外の2面からの闘いがあったのです。
そういう中で教会は大迫害の果てに、ギリシャ語を話すユダヤ人たちはやむなく散らされる他なかったのです。
この後エルサレムの教会、家の教会の集まりは縮小し、人々は隠れて住むようになりました。
確かにエルサレムの教会の目に見える躍進は止まり、中断してしまうのであります。
しかしそこで福音の拡がりが止まってしまったかというと、決してそうではありません。それどころか、散らされたギリシャ語を話す信徒たちは向かう方々、先々で「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」というのです。
エルサレムを離れた彼らに何の保証があったでしょう。この先どこへ行きどうしていったらよいか先行きも不透明であったことでしょう。日々が危機の中にあったといえるでしょう。
けれども、そのような危機の中にも、主なる神の御心を信じ、時がよくても悪くても御言葉に堅く立ち、神の国が訪れた大いなる喜びの知らせを告げ知らせたのです。

こうして、フィリポも又、ユダヤ人たちの忌み嫌っていたサマリア人の町に入って行きました。サマリア人とユダヤ人はもとを辿ればユダヤの一つの民でしたが。しかし双方には長い歴史を経ての確執がありましたから、フィリポも感情的には喜んで行けるようなところではなかったでしょう。
けれどもピリポは臆せずサマリアの町に入り「キリストの福音を宣べ伝えた」のです。
その彼が快く受け入れてはくれないようなところに入って行けた、さらにそこで福音を宣べ伝えることができたのは、確かに彼の性格や才能、個性もあったのかも知れません。
ただ不思議なのは、ユダヤ人で、さらにどこの馬の骨かもわからないようなキリストの信仰者を犬猿の仲であるはずのサマリアの町の人たちがよく受け入れることができたなあ、と言う点です。
この8章にはそのことに関して大変重要なことが記されています。
26節では「主の天使」が彼に指示して、29節では「霊」が彼を導き、さらに39節では「主の霊」がフィリポを別の働きの場へと連れ去って行くのです。このように常に「主」が「神の国とイエス・キリストの福音」を告げ知らせるフィリポに先立ち導かれておられる、ということなのであります。

フィリポは自分の計画に固執するのではなく、その聖霊の導きにゆだねて、日々み声に従いゆく中で、信仰を分かち合う人たちと出会い、導きの中で出会う人たちに福音を告げ知らせたのです。こうした聖霊のゆたかなお働きの中で、サマリアの人たちも心開いて、福音を受け取り「大きな喜び」に満たされたのです。

ここには、主なる神さまの御業が成し遂げられていくということは、人間の考えや方法とは異なっているということが示されています。

先ほど申しましたように、大きな危機が迫る中でエルサレムの教会の集まりは縮小し、信徒たちは隠れて住むようになりました。
しかしそのことが主の福音をも封じ込めるものとはなりませんでした。
いな、それどころかむしろ民族的に対立していたサマリアの人々のもとにまでキリストの福音が届けられる機会となり、さらにユダヤ以外の国々の人々、世界の果てまで「大きな喜びで満たす」福音が届けられていく最初の道筋がつけられていくこととなったのです。
そして、このフィリポたちの散らされた信徒たちを通して伝えられた福音伝道の使命を、なんとキリスト教とキリスト信徒を激しく迫害していたサウロが悔い改めの大転換を与えられて、キリストの使徒とされて引き継いでいくのですね。まさに、これも壮大な「人知を超えた神のご計画」であります。

今、私たちも自由に礼拝に集まることができなくなって今日で43日目となりましたが。これからもしばらくは以前と同じかたちで礼拝を行うことは難しいでしょう。
しかし今日聖書から知らされましたように、「人知を超えた神のご計画」は私たちの思いを超えた仕方で福音のゆたかさが拡がり、又深まり、そして、やがて大きな喜びに満たされるあかしの出来事へと変えられることと信じます。
使徒言行録の出来事は決して過去のものではありません。使徒たちを導かれた聖霊は、今も私たちをも導かれ、その福音の喜びのあかし人として立て、私たちの使徒言行録として天に記録され、引き継がれているのです。
今週のひと日ひと日も主の御心を祈り求めつつ、聖霊のお導きを頂いて、主のあかし人とされてまいりましょう。

祈ります。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」
主なる神さま。今日の御言葉を感謝します。
来週はいよいよ聖霊降臨、ペンテコステの礼拝を迎えます。
主は今も、聖霊なるお方として私たちがどんな時も、どこにいようとも、共にいまし、慰め、導いてくださいます。
大きな迫害に遭ったエルサレムの教会の中から散らされた信徒たちのうちに絶えず聖霊のお導きがあり、その行く先先々、人の思いを超えた主のみ業が興されていった使徒言行録のメッセージを頂きました。
私たちも今は礼拝に集うことができませんが、与えられた主の福音を感謝しながら、主を畏れ敬い、日々御言葉と祈りによって整えられ、喜びをもったあかしの日々を大切に歩むことができるよう、導いてください。
コロナウイルス感染症が蔓延し、苦しみ、悲しんでおられる方々がたくさんおられます。どうか主よ、一日も早い収束へと助け、導いてください。又その方々の治療や看病、お世話をされておられる方々のうえにも、あなたからの守りと支えと又、祝福がありますようお願いいたします。
主イエスの御名によって祈ります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする