礼拝宣教 マルコ15章25-41節 受難週
3月第一週から受難節・レントから始まって、主イエスのご受難を覚えつつ、今日の受難週を迎えました。本日からの7日間、全世界の救いを成し遂げるために歩まれた主イエスの御あとを偲びつつ、その愛と恵みを覚えてまいりましょう。
ウクライナでは、戦争で惨殺された多くの市民、お年寄り、女性や子どもの遺体が無残なかたちで
市街に晒されるように放置され、命の尊厳が踏みにじられているありさまを連日ニュースで知り、人間の残虐さを目の当たりにしていたたまれない思いです。
軍事侵攻が激しく起こっている都市では、多くの市民のライフラインが絶たれ、避難を余儀なくされておられます。その人々のところに食料や衣料、生活必需品が届けられ、命が守られますように。又、愚かな戦争による犠牲者をさらに出さないために一刻も早く停戦がなされていきますように。同時にこれらの残虐行為は、人間が命と平和の源であられる神に背を向け続けることから起こるものであることを、今日も十字架につけられ給いしままなるキリストの姿から覚え、平和の福音の訪れを神にとりなし祈り続けてまいりましょう。
本日は、先ほど読まれましたマルコによる福音書15章から「十字架につけられたままのキリスト」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。この題は、私が神学生時代に新約学の教鞭をとられていた青野太潮先生のご著書のタイトル「十字架につけられ給ひしままなるキリスト」よりお借りしたことを始めに申し添えておきます。先生は特に使徒パウロから、「十字架の神学」の研究なさった第一人者であられます。
この記事は主イエスが十字架にはりつけにされた午前9時から午後3時までの6時間に至る場面であります。
ローマ帝国の支配下における極刑は、この十字架刑でした。それは、予め鉄の刺のある鞭で犯罪人の身体を傷めつけ衰弱させた上で十字架にはりつけにし、見せしめのため徐々に死に至るまで長時間群衆の晒しものにされるという残酷なものでした。
主イエスは大勢のローマ兵に囲まれ虐待と暴力を受け、衰弱し、人としての尊厳までもはぎ取られ、十字架に両手両足を釘で打ち抜かれて磔にされるのです。主イエスの耐え難い苦しみに全被造物がうめくように、「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた」と聖書には記されています。
あのモーセの時代の出エジプトの直前、主の過ぎ越しが起こる前にもエジプト全域が暗闇に覆われて、人々は3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかった、ということが出エジプト記に記されています。
主イエスが十字架にはりつけにされたお昼の12時から3時は、本来は太陽が燦燦と照り輝く真昼の一番明るい時間帯であるにも拘わらず、その時全地は闇に包まれるのです。
かつてエジプト領内だけに臨んだ闇が、ここでは「全地は暗くなった」とあります。
それは、これから成し遂げられようとしている神の救いが、全地を覆う闇の支配からの解放であることを暗示しているのです。
イスラエルの民は闇の中で屠られた小羊の血をもってあがなわれ、災いを過ぎ越して囚われの地から解放されます。それは今や、罪なき神の小羊、主イエス・キリストによって罪の滅びからの解放の道が人類に拓かれようとしているのです。
そのような中、3時になると、主イエスは大声で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と、大声で叫ばれます。
そばに居合わせた人々はそれぞれに、「そら、エリヤを読んでいる」とか、「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言ったと記されています。
人々はしるしを求めますが、聖書は「しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた」と、淡々と伝えるのみです。
それは、主イエスが大声で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫び訴えたことに対して、神からの答えや助けが何もなかったということです。
先々週のペトロの離反の個所でも小説家の遠藤周作さんの「沈黙」という史実に基づく小説についてふれました。私は小説を読み、その後舞台となった海沿いにある「記念館」で、実際の踏み絵を見、なんともやるせない思いをしました。数年前には映画にもなりましたので観にも行きました。
その映画のシーンの中で、役人に捕まっても棄教しない、転ばなかった隠れキリシタンの人々は、潮が満ちて荒波迫りくる海岸沿いの岩場で、十字架にはりつけにされながら、ただ刻々と近づく死を待つほかありませんでした。又、愛する者のその痛ましい状況を苦悩のうちにただ見守り、祈るほかない者たちもいました。無残な現実を前に、無力感しかないというような場面であります。中には、棄教に追い込まれ自らの弱さと自責の念に押しつぶされそうになりながらも、その光景を見つめ、立ち尽くすほかなかった隠れキリシタンたちもいたのです。神の沈黙とも言える状況の中で、私ならどうするだろうかと、心さぐられる思いでしたが。
聖書には、イエスが十字架にかけられて無残な死を遂げられるまでの一部始終を、「婦人たちも遠くから見守っていた」とあります。又、「この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた」と記されてあります。
他の福音書にもそこにいた数名の女性たちの名前が記されていますが。女性の立場が考えられないほど軽んじられ、疎んじられていた時代にあって、主イエスは区別なくいやされ、神の国をお話になりました。主イエスをとおして多くの女性たちが神の慈愛と自身の尊厳の回復を体験し、実感したのです。主イエスからあふれる神の愛と慈しみをこの女性たちは慕い、遂に主イエスの十字架のもとまでついて来たのです。それはたとえ細々で、遠くからであっても、主イエスを見守り続けたのです。
この女性たちは、主イエスが「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫されて、息を引き取られたそのお姿をどのような思いで見守っていたのでしょう。
この女性たちも又、「神よ、なぜ罪なきイエスさまをお見捨てになったのですか」「なぜですか」と。震えながら見守るほかなかったのです。
神の子であるはずのイエスさまが十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫んでも、何の助けも、応答もなく、ただ沈黙のみであった。それは又、私たち一人ひとりの人生における苦しみの中で、同様に発せられる叫びでもありましょう。
確かに十字架上の主イエスは弱く、無力な方となられたのです。それは、無力にされたというより、自ら無力な者となられたのです。なんのためにそんな愚かと思える道を主イエスは受けていかれたのでしょう。それは私たち人間をどこまでも愛し抜くためです。
主イエスは私たち人間の、「なぜですか、なぜですか、なぜですか」という不条理で理解しがたいような事どもを、引き受け、苦しまれ、十字架にかかられます。だからこそ、どんな時も、どんな苦しみの中にも共にいる、あなたと共にいるといわれる神の愛を信じることができるのです。
先週の水曜日の聖書の学びの時に、この聖書箇所からある方が、「神さまは私のために無力になられた。私の『なぜ』というところまで来てくださった。私はそこで救われている」と、おっしゃっていました。
主イエスが十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てにったのですか」と大声で叫んだ時、そばに居合わせた人は、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言って様子を見ました。
主なる神は目に見える奇跡現象やしるしでもって救いの御業をなさいませんでした。
「なぜ」なのか。立ち尽くすほかないこの罪の闇に包まれる世界で、私たち人間とどこまでも共に痛まれ、うめきを共にしてくださるお方となられるためです。それは今も、十字架につけられたままのお姿で最も深い闇ともいええる私どもの現実、そのような時代にあっても、神は必ずそこに共に居給う。神は愛であり、救いの主イエス・キリストであられるのです。私たちはまさに、このお方に希望を抱いているのです。
十字架の主イエスの前を通りかかった人たちは、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」、さらに「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架ら降りるがいい。それを見たら、信じてろう」と主イエスを次々にののしります。多くの人がこのことに躓くのです。ユダヤ教徒もイスラム教徒も無神論者も、ともすればバプテスマを受けた人も「他人は救ったのに自分は救えない」と。
ところが、今日の個所でそのような主イエスの無残な姿を目の当たりにしながらも、神の栄光を見出した人物がいたのです。
それは主イエスを十字架で処刑するため、その最初から最後まで指揮にあたり、イエスのそばに立っていたローマの百人隊長です。彼は、「イエスがこのように息を引き取られるのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」のです。
どうしてこの百人隊長はそのように言い得たのでしょうか。この人は何を見たのでしょうか。目に見える限り、主イエスの死は、神からも見捨てられた絶望にしか映りません。
並行記事のマタイの福音書では、主イエスが十字架上で息を引き取られた後、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに避け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」とあり、これらの出来事を見て、百人隊長らは非常に恐れて、「本当に、この人は神の子だった」と言ったと伝えております。もし彼が目に見える衝撃的な現象を目の当たりにしてそう言ったとなれば、わかりやすいですが。
本日のマルコ福音書では百人隊長は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫なさった主イエスの方を向き、イエスが息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言っているのです。それは目に見える奇跡的現象によってではなく、十字架につけられた無力なイエスの方を向き、「この人は、本当に神の子だった」と、確信するのですね。
なぜだろう、と思います。いろんな説があるでしょう。ある百人隊長が部下のため主イエスにいやしを願い出る話がありますが、その本人なのか。その話を人伝えに聴いたのか、本当のところは分りません。ただ、この人はイエスの姿に躓かなかった。神の子の救いをそこに見るのです。
主イエスが息を引き取られた後に、エルサレムの神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けるという出来事が起った、と記されていますが。
それまでは、神が人と出会う場所は、神殿の幕屋の奥まった至聖所であったのです。神殿の幕屋には、ユダヤの特別な階層、宗教家や律法学者、祭司、レビ人といった人たちのみが近づくことを許されていました。それ以外の庶民は中庭まで。ユダヤの社会で罪人とされていた人、女性や子ども、異邦人などは決してそこに入ることも、近づくことすらもできなかったのです。
しかし、神の子イエスさまが私たち人間の罪をすべて担って死なれたその時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。それは、永い間そういう特別な人しか近づくことができないようにされていた神と人との仕切り、隔てが全く取り除かれたことを表しています。ユダヤの民のみならず文字通りすべての人、全世界の人が直接神と出会い、罪のゆるしに与ることができる驚くような救いの道が開かれたのです。
この百人隊長はユダヤの一部の指導者がもっていた特権意識や選民思想、民族主義的なイデオロギーをもっていませんでした。だからこそ、幼子のように神の子の本質に目が開かれ、「本当に、このイエスこそ、神の子であった」と言えたのではないでしょうか。私どももそのような柔らかな感性をもって神の御心と御業とを、察知できる者でありたいと願うものです。
最後に、先週の水曜祈祷会に私が神学生時代から何かとお世話になったご婦人が出席してくださいました。この方は下関バプテスト教会で主イエスと出会い、クリスチャンになられたそうですが。こういうお話をして下さったのです。「当時の牧師であられた尾崎主一先生が十字架のキリストについて口癖になさっておられたのが『一回即全回』という言葉でしたね」と。
主イエス・キリストは唯一回、十字架にかかり死なれましたが。それは過去のことで終わるのではなく、今も、私たちの日常はじめ、世界中のどうすることもできないような無力と弱さの中にいまし、共におられる神。その絶え間ない救いを先生はそのように言い表されたと思うのです。
「一回即全回」。本当に力強い福音のメッセージですね。
私たちはこの主イエスの十字架によって、日々、何度も主の命に生かされているのです。唯、感謝と賛美をもって主の愛と恵み恵みに応えていきたいと願うものです。
今日から始まりました受難週、その一日一日を「十字架につけられ給いしままなるキリスト」と共に、神の救いを見出してまいりましょう。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとって愚かなものですが、わたしたち救われている者には神の力です。」コリント一1章18節。