今日は名古屋で会社のメンバーの結婚披露宴へ出席してきました。
仕事で若いメンバーが結構多い割には、最近の晩婚トレンドでなかなか結婚まで踏み切られる人がいなかったことや、結婚しても年々堅苦しさを嫌うライト化の流れの中でパーティ的なもので済まされていたので、仲人こそ立てていないものの所謂伝統的な披露宴は久しぶりでした。
相変わらずこちらが赤面してしまうようなワザとらしい演出も健在でしたが、時には感動のお裾分けもしていただき、気持ち良く帰途につけました。
特に両親への感謝の気持ちは大切です。花束贈呈やお手紙朗読といった表面的なお涙頂戴的な演出は単に切り口であって、やっぱりそこに臨む気持ちの問題で周囲の感動をもたらすものだと思います。
セレモニアルなことが敬遠されがちな昨今ですが、感謝、区切り、決意等々いろんな意味で時には必要なことだと感じました。
蛇足として・・・
そんな素敵な結婚そのものにケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、式場内チャペルでの結婚式の司式はいかにも・・・ってな内容でした。
超不良とはいえクリスチャンの端くれのオヤジには、外人牧師然とした人の奇妙な動作、やたらと「アーメン」を連呼して大袈裟に両腕を広げたり、天を仰いだり、お祈りの時だけ何故か英語でペラペラとまくしたて・・・決して出鱈目を言っているのではないようですが、まあ形式も大切という意のことを言って舌の根も乾かぬうちですが、限度はあるよなと思いつつ結婚式を別の意味でも楽しませてもらいました。
ちなみにあの外人はきっと単なるバイトです。平日はきっとN×V×あたりで英会話教師やっているに違いありません。
仕事で若いメンバーが結構多い割には、最近の晩婚トレンドでなかなか結婚まで踏み切られる人がいなかったことや、結婚しても年々堅苦しさを嫌うライト化の流れの中でパーティ的なもので済まされていたので、仲人こそ立てていないものの所謂伝統的な披露宴は久しぶりでした。
相変わらずこちらが赤面してしまうようなワザとらしい演出も健在でしたが、時には感動のお裾分けもしていただき、気持ち良く帰途につけました。
特に両親への感謝の気持ちは大切です。花束贈呈やお手紙朗読といった表面的なお涙頂戴的な演出は単に切り口であって、やっぱりそこに臨む気持ちの問題で周囲の感動をもたらすものだと思います。
セレモニアルなことが敬遠されがちな昨今ですが、感謝、区切り、決意等々いろんな意味で時には必要なことだと感じました。
蛇足として・・・
そんな素敵な結婚そのものにケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、式場内チャペルでの結婚式の司式はいかにも・・・ってな内容でした。
超不良とはいえクリスチャンの端くれのオヤジには、外人牧師然とした人の奇妙な動作、やたらと「アーメン」を連呼して大袈裟に両腕を広げたり、天を仰いだり、お祈りの時だけ何故か英語でペラペラとまくしたて・・・決して出鱈目を言っているのではないようですが、まあ形式も大切という意のことを言って舌の根も乾かぬうちですが、限度はあるよなと思いつつ結婚式を別の意味でも楽しませてもらいました。
ちなみにあの外人はきっと単なるバイトです。平日はきっとN×V×あたりで英会話教師やっているに違いありません。