キリンフィルハーモニーの団員向けメルマガに拙作エッセイを寄稿しました。
今日がその発行日。これから隔月刊のメルマガで全3回の予定です。
社内向けなので、ちょいと個人情報の部分を弄ってますが、そのままこちらでも載せちゃいます。
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第1回「オヤジとオーケストラ」
「ビール飲みオヤジ」。
このハンドルネームを使うようになっていったい何年になるだろうか。
ちなみに「ビール飲みオヤジのHOMEPAGE」というHPを最初に作ったのが、オヤジの記憶に間違いが無ければ1994年である。その頃、オヤジは本社人材開発部というところで社員研修の企画・実施を職務としていた。
1990年前後、パソコンと言えばマッキントッシュが一世を風靡し、それをウインドウズが猛烈な勢いで追い上げていた。
1991年に営業から本社人材開発部へ移動し、会社で触れた初めてのマッキントッシュに感動して、パソコンにハマり、今後の主流はきっとウインドウズに違いないと、今から考えればオモチャのようなスペックで価格は今の5倍はしたパソコンをプライベートで買い、その後も10年ほどで2~3年おきにバージョンアップするウインドウズに合わせてパソコンまで買い替え、嫁に怒られたものだ。
パソコンを買って程なく始めたパソコン通信。
電話線とパソコンをモデムで繋ぎ、ピロピロという人工的電子音とともに画面をスクロールしていくテキストに、「ああ、これが世界と繋がっているんだ。」と夜の自室で素朴に感動したことを覚えている。その時にパソコン通信のフォーラムでハンドルネームが必要になり、ふと思いつき、語呂の良さに自画自賛して使い始めたのが最初で、もうかれこれ20年近くの付き合いになる。
そして1994年に最初のホームページを立ち上げた時、あの頃はまだHP作成ソフトも出ていない時代で物珍しさもあったのか、とあるケーブルテレビから現役ビール会社社員のHPと取り上げられたこともあった。
と、いきなりオーケストラとは全く関係ない話で恐縮であるが、オヤジの自己紹介がてら「ビール飲みオヤジ」という名前が歴史ある(笑)ハンドルネームであることをお話した。
さて、本題。
第一回のテーマであるオヤジとオーケストラの繋がりのあらましは、実はこのホームページの「音楽の部屋」というところに簡単に纏まっている。
では、第1回の内容はこれにておしまい・・・では編集責任者に怒られる。(爆)それに、あくまでもあらましはあらましであって、これで全てではない。
勿論、皆さんとの新たな出会いともなったキリンフィルも近々付け加えなければならないと考えている。キリンフィル結成と設立記念演奏会は、オヤジとオーケストラを語る上でも実に絶妙なタイミングだった。
オヤジは昨年3月に仙台から福岡に異動した。当然、福岡の地でもどこかのアマチュアオーケストラに所属しようと目論んでいたのだが、いくつかの事情が重なって月のうち土日に福岡に居られる週が最大2週までしかない状況になってしまった。
大方のアマオケは週末が練習日である、そこで所定の練習の半分しか出られませんが仲間に入れてくださいとはオヤジは言えなかった。自分が逆の立場だったら、ハッキリ言ってそのような方はご遠慮願いたいからだ。
オヤジはオーケストラという「場」は与えられるものではなく、構成する一人ひとりが主体的に参画することによって作り上げていく「場」だと考えている。
楽器の技量なんていうのは二の次。音楽をやりたい、アンサンブルをやりたいという個々の思いが音楽に投影されるのである。極端に言えば、一人でも欠けたり、受け身になったりすれば、そこで作られる音楽は全く違うものになってしまうのだ。
一方でアマチュアである以上、それを生活の最優先にはできないし、周囲に要求もできない。だからこそ、メンバー個々のオーケストラという「場」に対する責任感が大事になってくる。換言すればオーケストラを楽しむための権利と義務のようなものだ。
ということで、月のうち3週は福岡に居られるようになる今年の3月までは我慢だと、入社直後の1年間以来(ここについては「音楽の部屋」を参照されたい。)のオーケストラ浪人状態になろうとしていた。
そんな時にキリンフィル結成と演奏会開催のお話だった。
さすがに今お話したようなオヤジの主義主張から言えば、とても九州からゲネプロ本番だけの参加はすべきではないと最初は躊躇した。ところが発起人の方々のキリンの仲間でオケを作りたいという熱い思いと、福岡でオケ活動ができない事情を逆手にとるとある程度練習参加ができそうだとオケの練習担当の方にポロっと洩らしたところ、職権乱用?か、オヤジが参加可能な練習日を次々と(笑)追加設定してくださった。
そうなると、何よりオーケストラで弾きたいというオヤジの内側から突き上げる欲求に、参加を決断し、その決断は間違っていなかった。
オヤジとオーケストラ、既に30年を超え、このように切っても切れない関係となっている。(続く)
今日がその発行日。これから隔月刊のメルマガで全3回の予定です。
社内向けなので、ちょいと個人情報の部分を弄ってますが、そのままこちらでも載せちゃいます。
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第1回「オヤジとオーケストラ」
「ビール飲みオヤジ」。
このハンドルネームを使うようになっていったい何年になるだろうか。
ちなみに「ビール飲みオヤジのHOMEPAGE」というHPを最初に作ったのが、オヤジの記憶に間違いが無ければ1994年である。その頃、オヤジは本社人材開発部というところで社員研修の企画・実施を職務としていた。
1990年前後、パソコンと言えばマッキントッシュが一世を風靡し、それをウインドウズが猛烈な勢いで追い上げていた。
1991年に営業から本社人材開発部へ移動し、会社で触れた初めてのマッキントッシュに感動して、パソコンにハマり、今後の主流はきっとウインドウズに違いないと、今から考えればオモチャのようなスペックで価格は今の5倍はしたパソコンをプライベートで買い、その後も10年ほどで2~3年おきにバージョンアップするウインドウズに合わせてパソコンまで買い替え、嫁に怒られたものだ。
パソコンを買って程なく始めたパソコン通信。
電話線とパソコンをモデムで繋ぎ、ピロピロという人工的電子音とともに画面をスクロールしていくテキストに、「ああ、これが世界と繋がっているんだ。」と夜の自室で素朴に感動したことを覚えている。その時にパソコン通信のフォーラムでハンドルネームが必要になり、ふと思いつき、語呂の良さに自画自賛して使い始めたのが最初で、もうかれこれ20年近くの付き合いになる。
そして1994年に最初のホームページを立ち上げた時、あの頃はまだHP作成ソフトも出ていない時代で物珍しさもあったのか、とあるケーブルテレビから現役ビール会社社員のHPと取り上げられたこともあった。
と、いきなりオーケストラとは全く関係ない話で恐縮であるが、オヤジの自己紹介がてら「ビール飲みオヤジ」という名前が歴史ある(笑)ハンドルネームであることをお話した。
さて、本題。
第一回のテーマであるオヤジとオーケストラの繋がりのあらましは、実はこのホームページの「音楽の部屋」というところに簡単に纏まっている。
では、第1回の内容はこれにておしまい・・・では編集責任者に怒られる。(爆)それに、あくまでもあらましはあらましであって、これで全てではない。
勿論、皆さんとの新たな出会いともなったキリンフィルも近々付け加えなければならないと考えている。キリンフィル結成と設立記念演奏会は、オヤジとオーケストラを語る上でも実に絶妙なタイミングだった。
オヤジは昨年3月に仙台から福岡に異動した。当然、福岡の地でもどこかのアマチュアオーケストラに所属しようと目論んでいたのだが、いくつかの事情が重なって月のうち土日に福岡に居られる週が最大2週までしかない状況になってしまった。
大方のアマオケは週末が練習日である、そこで所定の練習の半分しか出られませんが仲間に入れてくださいとはオヤジは言えなかった。自分が逆の立場だったら、ハッキリ言ってそのような方はご遠慮願いたいからだ。
オヤジはオーケストラという「場」は与えられるものではなく、構成する一人ひとりが主体的に参画することによって作り上げていく「場」だと考えている。
楽器の技量なんていうのは二の次。音楽をやりたい、アンサンブルをやりたいという個々の思いが音楽に投影されるのである。極端に言えば、一人でも欠けたり、受け身になったりすれば、そこで作られる音楽は全く違うものになってしまうのだ。
一方でアマチュアである以上、それを生活の最優先にはできないし、周囲に要求もできない。だからこそ、メンバー個々のオーケストラという「場」に対する責任感が大事になってくる。換言すればオーケストラを楽しむための権利と義務のようなものだ。
ということで、月のうち3週は福岡に居られるようになる今年の3月までは我慢だと、入社直後の1年間以来(ここについては「音楽の部屋」を参照されたい。)のオーケストラ浪人状態になろうとしていた。
そんな時にキリンフィル結成と演奏会開催のお話だった。
さすがに今お話したようなオヤジの主義主張から言えば、とても九州からゲネプロ本番だけの参加はすべきではないと最初は躊躇した。ところが発起人の方々のキリンの仲間でオケを作りたいという熱い思いと、福岡でオケ活動ができない事情を逆手にとるとある程度練習参加ができそうだとオケの練習担当の方にポロっと洩らしたところ、職権乱用?か、オヤジが参加可能な練習日を次々と(笑)追加設定してくださった。
そうなると、何よりオーケストラで弾きたいというオヤジの内側から突き上げる欲求に、参加を決断し、その決断は間違っていなかった。
オヤジとオーケストラ、既に30年を超え、このように切っても切れない関係となっている。(続く)